クリスマスおめでとうございます。
そして、今日は、今年最後の礼拝になりました。そこで、今年山形南部教会に与えられた年間聖句から、御言葉を取り次がせていただきたいと思います。
今年の年間聖句は、コロサイ3:14節です。一緒に読んでみましょう。
「愛は、すべてを完成させるきずなです。」
このクリスマスを、オンヌリ教会宣教チームの方々と一緒にお祝いできることを心から感謝しています。昨日のクリスマスイヴ礼拝には、58名の方々が集われて、心から主の御降誕をお祝いすることができました。
2007年に、仙台でラブソナタが行われたときから、山形南部教会に着て下さるようになり、今年で記念すべき10周年を迎えました。
この10年間、オンヌリ教会宣教チームが大きな犠牲を払って、イエス様の愛を伝えて下さいました。夏のアウトリーチは、まだ分かりますが、教会にとって一番大切なクリスマスに、オンヌリ教会を離れて、一番飛行機題の高いこの時期に、山形南部教会のクリスマスに来て下さるということは、なかなか出来ることではありません。
そのことを通して、神様がどんなに私たちを愛して下さっているのかを知らされてきました。韓国と日本と国籍も言葉は違いますが、キリストの愛のきずなによって、しっかりと結び合わされていることを感謝します。
コロサイ3:14の「きずな」は、神様が与えて下さる、決して変わることのない永遠の愛のきずなです。その愛のきずなによって結ばれていることを心から感謝します。
14節
「これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。」
この御言葉から3つのことをお話ししたいと思います。
(1)愛を身に着けなさい
この手紙を書いたパウロは、コロサイの教会の人々に、一番大切なこととして、愛を身に着けることを命じています。14節の前半にこう書かれています。
「そして、これらすべての上に、愛を着けなさい。」ここに「愛を着けなさい」とあります。
3章には、脱ぎ捨てるべきものと、身に着けるべきものとが対照的に書かれています。
まず、脱ぎ捨てるべきものが、8~9節に書かれています。
「今は、そのすべてを、すなわち、怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべき言葉を捨てなさい。
互いにうそをついてはなりません。古い人をその行いと共に脱ぎ捨て、」
ここでパウロは、コロサイの教会の人々に「怒り、憤り、悪意、そしり、口から出る恥ずべきことばを、捨てなさい。9 互いうそをついてはなりません。古い人をその行ないと共に脱ぎ捨てて」なさいと勧めています。
そして、次に身に着けるべきものが、12~14節に書かれています。
まず、12,13節をご覧ください。
「あなたがたは神に選ばれ、聖なる者とされ、愛されているのですから、憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。互いに忍び合い、責めるべきことがあっても、赦し合いなさい。主があなたがたを赦してくださったように、あなたがたも同じようにしなさい。」
パウロは、12節で、新しくされた者として「憐れみの心、慈愛、謙遜、柔和、寛容を身に着けなさい。」、そして「互いに赦し合」うことを勧めています。
これらすべてのものは、素晴らしいものですが、更に最高のものがあります。それが、愛です。そこで、パウロは、14節で
「これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。」とパウロは勧めているのです。
神様は、今から2016年前のクリスマスに、皇帝アウグストスから人口調査をせよとの勅令が出て、ヨセフとマリアは、ガリラヤから、生まれ故郷のベツレヘムへ出かけます。ベツレヘムに着いたとき、人口調査のために、どこの宿屋もいっぱいで、泊まるところがありませんでした。
旧約時代から約束された、聖なる神のひとり子が私たちの救いのためにお生まれになるのです。それなのに、泊まる場所もなく、ヨセフとマリアは、飼い葉桶に泊まることになりました。そして、その晩お生まれになったイエス様は、飼い葉桶の中に寝かせられます。
この飼い葉桶が、よく私たちの心にたとえられます。
飼い葉桶というのは、牛や馬の餌箱で、家畜のよだれなどで汚れていました。また、暗い所に置かれ、石でできた冷たい物だったといわれています。
しかし、イエス様が、寝かせられたとき、ヨセフとマリアは、その飼い葉桶から、汚いわらを取りのけて、飼い葉桶をピカピカにみがき、明るい場所に置いたのではないでしょうか。
そのように、私たちの心の中にイエス様をお迎えするなら、私たちの心は暗い心は明るくなり、汚い心は清められ、冷たい心は主の愛で温かくされるのです。
14節
「これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。」
汚れた服を脱ぐように、古い人を脱ぎ捨てて、日々、キリストを着て、愛を身に着けさせていただきましょう。
(2)神様と愛のきずな
14節
「これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。」
神様は、私たちを愛しておられます。どれくらい私たちを愛しておられるのでしょうか。それは、独り子を与えてくださるほどに愛してくださっているのです。また、その独り子であるイエス様は、私たちの罪のために十字架で、私たちの罪の身代わりに十字架にかかってくださるほどに愛しておられるのです。
Ⅰヨハネ4;10には、こう書かれています。
「わたしたちが神を愛したのではなく、神がわたしたちを愛して、わたしたちの罪を償ういけにえとして、御子をお遣わしになりました。ここに愛があります。」
普通、赤ちゃんは生きるために、幸せになるために生まれてきます。しかし、一人だけ死ぬために生まれてきた赤ちゃんがいます。それが、神の子であるイエス様です。イエス様は、私たちの罪を償ういけにえになるために、お生まれになったのです。神様は、その独り子を与えて下さるほどに、私たちのことを愛しておられるのです。
今年も神様は、たくさんの祝福を与えてくださいました。
ぜひ、今年残された一週間、与えられた恵みを一つずつ数えてみたいと思います。
教会では4月29日、齋藤 悠兄と明香姉が結婚され、明香姉が、酒田キリスト教会から山形南部教会に転入会されました。ずっと、祈ってきた悠君と教会の祈りを神様が聞いてくださり、本当に感謝でした。
また、今年、赤ちゃんが与えられたことも大きな喜びでした。6月28日には、及川家に愛菜ちゃんと結菜ちゃんの双子が与えられ、川上 拓夫妻に長女、8月15日に茉奈(まな)ちゃんが、11月17日佐藤愛(まな)さんに、次女「こはるちゃん」が与えられました。
12月14日には、加藤家に璃湖(りこ))ちゃん、17日には一牛家に綾衣理(あいり))ちゃんが誕生しました。また、他にも出産予定のお母さん方がおられます。それは、そのご家族にとっては勿論ですが、教会にとっても大きな祝福です。
また、病気のために、入院された方もおられましたが、神様が癒して下さり、クリスマスをお祝いできることも感謝なことです。
特に今年は、神様は私たちに特別な恵みを私たちに与えてくださいました。それは、新会堂の土地建物が与えられたことです。
その初めは、オンヌリ教会の新年の40日間の祈祷から始まりました。毎日のように、オンヌリ教会の兄弟姉妹が、山形南部教会の祈祷題のリクエストを送って下さいとメールがありました。祈祷題を送ると、みんなで、祈ってくださり、祈ったら祈りましたとメールで返事があったそうです。
そのような、祈りに刺激を受けて、何人の方から「私ももっと熱心に祈らなければと示されました。私も断食の祈りをしました。」と聞きました。そして、山形南部教会では、礼拝の中で、全員で心を合わせて熱心に祈るようになりました。その祈り神様が答えて下さっれたのです。
ネヘミヤ4;14の御言葉が与えられました。
「角笛の音を聞いたら、わたしたちのもとに集まれ。わたしたちの神はわたしたちのために戦ってくださる。」
その御言葉通り、「角笛の音」がなるように突然、6月5日、山形南部の真ん中に、新会堂の土地・建物が紹介され、その日に全員一致で、交渉が始まりました。また、私たちには不安や恐れがありましたが「わたしたちのもとに集まれ」と、イエス様が招いてくださって、恐れや不安を取り除いて下さいました。そして、「わたしたちのために戦ってくださる。」とあるように、主が先立ってくださり、その都度奇跡と思われるように、助け手が与えられ、必要が満たされてきました。
そして、思いがけない多くの人たちが、献金や祈りをもって支えて下さり、これは、山形南部教会だけの会堂ではなく、神様の会堂だと思わされました。
まだまだ、今年与えられた恵みを数えるときりがなくて、漏れたところは許していただきたいと思いますが、すべての人に与えられた何よりも大きな恵みが、このクリスマスです。
神様が、独り子を与えて下さるほどに、私たちを愛しておられます。そのイエス様は、私たちの罪のために十字架で命を捨てて下さるほどに、私たちは愛されているのです。その愛によって、私たちは救われて、神様と決して変わることのない永遠の愛のきずなで結ばれているのです。これほど大きな祝福はありません。
14節
「愛は、すべてを完成させるきずなです。」
神様は、今年も私たちを愛して下さり、たくさんの恵みと祝福を与えて下さいました。その神様にしっかりとしたきずなでつながって、更に豊かな実を結ばせていただきましょう。そして、この素晴らしい恵みを数えながら、心からの感謝をお献げしましょう。
(3)人との愛のきずな
もう一つのきずなは、私と人とのきずなです。
キリストの愛に満たされる時、私たちは、隣り人を愛する事が出来るようになるのです。そして、愛のきずなに結ばれて、私たちは互いに愛し合う共同体に変えられて行くのです。
Ⅰコリント13:13には、聖書の中で一番大切なものが書かれています。
「こういうわけで、いつまでも残るものは信仰と希望と愛です。その中で一番すぐれているのは愛です。」 神様が、私たちに与えてくださるものの中で、一番素晴らしいもの、それは、愛です。
先週の木曜日、新潟県糸魚川市で、大火災が起きました。
火災が広がって、住宅など140棟が、火災に遭うという大火災になりました。早い復興を祈りたいと思います。
あの火災のニュースを聞いて、山形県酒田の酒田大火を思い出された方も多いのではないでしょうか。
酒田大火(さかたたいか)は、1976年(昭和51年)10月29日に発生して、この火災で酒田市中心部の商店街約22万5000m2(22.55ha)が焼失してしまいました。
その酒田大火から、ちょうど40年が経ちました。その時に起こった一つの出来事をお話したいと思います。
この酒田大火が起こる少し前に、一人の女性が花嫁として酒田にやってきました。その嫁ぎ先は3代続いた八百屋さんで、嫁がくるというので大変喜んで、新しい家具や新しい衣装もそろえました。そして、思い切って新しい家も新築したのです。
ところが突然の酒田大火ですべてを失ってしまいました。2人は何かめぼしいものはないかと家の跡に行きました。ところが残念なことに、全部灰になってしまって何一つのこっていませんでした。思わず涙が流れたのですが、その時ふと祈っていなかったことに気がついたのです。そこで祈ろうということになったのですが、御主人はなかなか言葉が出ません。ところがその奥さんが大変恵まれていたのです。
その時奥さんの心に一つの御言葉が心に浮かびました。Ⅰコリント13章13節「いつまでも存続するものは、信仰と希望と愛とこの3つである。このうちで最も大いなるものは愛である」そして、こう祈りました。
「神様、私は新しい家も、家具も、衣装もすべて失いました。けれども、あなたに対する愛が変わらないことを感謝します。そして、私の夫に対する愛も変わらないことを感謝します。私は夫を愛します。私は夫に従います。」
この祈りを聞いた御主人は大変喜んで、次の日にバラック小屋を建てて八百屋をはじめました。あまり2人がニコニコしているのでお客さんが、「あなたたちは、火事ですべてを失ったんでしょう。それなのに、なぜあなたたちは、そんなにニコニコしているのですか。」と聞かれます。最初は、すべてのものを失っても神様の愛は変わらないからと説明をしていたのですが、あんまり沢山の人に聞かれるのでとうとう自分の証を印刷して酒田全市に配ったというのです。それほどに神様に愛されているという事がすばらしいことなのです。
神様の愛が、この夫婦を強いきずなで結び、大変の試練の中を通りましたが、その愛は取り去られることはないばかりか、ますます強いきずなで結ばれたのです。
神様の愛は、神様と私たちの強いきずなです。そして、その愛のきずなによって、私たち一人一人が結び合わされていくのです。何という恵みでしょうか。
最後14節を読みましょう。
「これらすべてに加えて、愛を身に着けなさい。愛は、すべてを完成させるきずなです。」
神様が独り子をくださったクリスマスを迎えましたが、この大切な日に、私たちが愛を身に着けさせていただきましょう。そして、愛のきずなに結ばれて、神様を愛し、人を愛して、また、来年年素晴らしい一年を歩ませていただきましょう。
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