日本伝道会議のためにお祈りをありがとうございました。日本伝道会議は七年に一度行われています。今回は第6回目で神戸コンベンションセンターで行われ、約2000人の方が集われました。
今回の始めての試みは、講演が四回行われたのですが、コイノニアという6~8人の小グループで、毎回分かち合いが行われ、祈りの時が持たれたことです。ただ、講演を聴くだけでなく、メッセージを分かち合い、お互いのために祈る事が出来ました。
山形南部教会のためにも祈っていただき、大きな恵みをいただきました。
今日の中心の御言葉は、使徒言行録12:5です。
「こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。」
聖霊が、弟子たちに降り、弟子たちは力に満たされて、福音を伝え始めました。ところが、イエス様を信じないユダヤ人の指導者たちは、クリスチャンを迫害しました。
ある日、ユダヤ人の指導者達は、「イエス様の事を伝えてはならない。」と脅かして、弟子たちを牢屋から釈放しました。しかし、ペトロたちは、イエス様の事を伝え続けたのです。
そこで、ユダヤ人の国を治めていたヘロデ王が、教会のリーダの一人、ヤコブを捕まえて、剣で殺してしまったのです。ユダヤ人たちは、「よくやった」と大喜びをしました。そこで、ヘロデは、もっとユダヤ人から良く思われようと、今度はペトロを捕まえました。ペトロもヤコブと同じように殺すつもりだったのです。
ペトロは、教会の一番のリーダーです。そのペトロが殺されてしまったら、大変なことになってしまいます。そこで、教会の人たちは「神様、ペトロを助けてください。」と熱心にお祈りをしていました。
牢屋では、四人の兵隊が、一日中ペトロを見張っていました。ペトロは両手を鎖につながれて、二人の兵隊にはさまれて横になっていました。ペトロは、夜が明けると、ヘロデの前に連れて行かれて殺されてしまうのです。もう絶体絶命のピンチでした。
ところが、ペトロは、兵隊たちの間でぐっすり眠っていたのです。普通だったら、恐くてたまらなくて、眠ったり出来ないのでは無いでしょうか。ところが、ペトロは牢屋の中でも神様が一緒にいて下さることを信じていました。たとえ、殺されたとしても、イエス様の元に行き事が出来ます。神様が一番良いようにしてくださることを信頼して、すべてをお任せして、ぐっすり眠っていたのです。
すると、突然、暗い牢屋の中がぱっと明るくなりました。神の使いが現れたのです。御使いは、ペトロのわき腹をたたくと、「急いで立ちなさい。」と言いました。ペトロが目を覚まして立ち上がると、両手の鎖がしぜんに外れて、下にガチャンと落ちました。「さぁ、帯を締めて、靴をはきなさい。」「上着を着て、わたしに着いてきなさい。」と言いました。ペトロは夢中で御使いの後をついていきましたが、夢を見ているような感じでした。
見張りのいる場所を何カ所も通り抜け、町の門まで来ると、丈夫な鉄の門が、ギーッと開いたのです。
門を出て道を歩き出すと、御使いはペトロから離れていなくなりました。
その時ペトロは、はっとして言いました。11節
「ペトロは我に返って言った。「今、初めて本当のことが分かった。主が天使を遣わして、ヘロデの手から、またユダヤ民衆のあらゆるもくろみから、わたしを救い出してくださったのだ。」
ペトロは、弟子たちの家に急ぎました。そこは大勢の人が集まって祈っている場所です。家に着くと、戸をたたきました。
「私です。ペトロです。開けてください。」と言いました。ロデいう召使いが開けに来て、戸を開けに行くと、ペトロの声が聞こえたので、あまりにも嬉しくて、戸を開けるのも忘れて、奥の部屋に駆け込んでいきました。「みなさん、ペトロ先生が門の前に立っていらっしゃいます。」
ところが、みんなは「そんなばかな」と言って信じようとはしませんでした。ペトロが牢屋から救われるようにと一生懸命祈ってきたのに、信じることが出来なかったのです。
「私ですよ。開けてください。」とペトロが戸をたたき続けたので、みんなはやっと扉を開けに行きました。そして、そこにペトロが立っているのを見て、びっくりしました。「あっ、ペトロさん無事だったのですね。」「本当にペトロさんだ」とみんな大喜びです。ペトロは、みんなを落ち着かせてから、神様が助けてくださったことを話しました。
使徒言行録12:5
「こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。」
この御言葉を中心に2つの事を話したいと思います。
(1)教会の原動力(熱心な祈り)
ヤコブが剣で殺され、ペトロが牢屋に入れられたとき、教会では何をしていたでしょうか。
5節にこう書いています。
「こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。」
私たちの生活の中にも、この時ペトロが、2重の鎖につながれ、多くの番兵によって見張られ、鉄の扉によって閉じ込められているように、人間的な力によっては、どうしようもないということがあるかも知れません。
けれども、「教会では彼のために熱心な祈りがささげられていた」とあるように私たちが熱心に祈るとき、神様はその問題の一つ一つを解決して下さるのです。祈りこそが、教会の原動力です。
昔、5人の卒業前の神学生が、イギリスのロンドンに行きました。大伝道者スポルジョンや、他の説教を聞きに行くためでした。
彼らがスポルジョンの教会の玄関で、集会が始まるのを待っていると、見知らぬ人が近づいてきて、「みなさん教会の原動力」を見たくありませんか?」と語りかけました。
暑い日でしたが、その人の案内に従って、地下室に行くことにしました。その入り口を開いた時、その案内人は「私たちの教会の原動力はここにあります。」と言いました。そこには、何とこれから始まる集会のために、700人もの人たちが、心を合わせて熱心に祈りをささげていたのです。
そして、その案内人は、何と大伝道者スポルジョンだったのです。彼は、自分の知恵や話術に力があるのでは無く、教会でささげられる祈りにこそ力があることを良く知って、神様に依り頼んでいたのです。
神様は、私たちの祈りによって、足枷を打ち砕き、牢屋から解き放ち、鉄の門を開いて下さるお方です。どんな不可能と思える問題や課題があったとしても、私たちを救ってくださるお方です。そのお方に熱心に祈るものとさせていただきましょう。
(2)鉄の門を開く祈り
牢屋から出てきたペトロはどんな気持ちだったでしょうか?
9節をご覧下さい。
「天使のしていることが現実のこととは思われなかった。幻を見ているのだと思った。」と書いてあります。
これは、何とも不思議な感じがしませんか?
ペトロも「ここから救い出して下さい。」と熱心に祈っていたのではないでしょうか。けれども、実際に祈りが聞かれると、それが現実のこととは思われず、幻のように思われたというのです。
また、それはペトロだけではなくて熱心に祈っていた教会の人達も同じでした。
12節以下に、そのことが書かれています。
ペトロが、牢から出て行くと、まず、自分のために熱心に祈ってくれていた「マルコと呼ばれていたヨハネの母マリアのところに」行きました。
ペトロが、その家の門をたたくと、ロデという女中が出て来ました。そして、ペトロの声だということが分かると、嬉しくてたまらなくなって、門も開けずに奥に駆け込んで行って、ペトロが門の外に立っていることをみんなに告げました。けれども、そこにいた教会の人達は、それを信じることが出来なかったのです。
15節をご覧下さい。
「人々は、「あなたは気が変になっているのだ」と言ったが、ロデは、本当だと言い張った。彼らは、「それはペトロを守る天使だろう」と言い出した。」
ここで人々は「あなたは気が変になっている」と言っています。それでも、ロデが本当だと言うと、弟子たちは「それはペトロを守る天使だろう」と言ったのです。
そして、実際にペトロの姿を見ると、16節には「しかし、ペトロは戸をたたき続けた。彼らが開けてみると、そこにペトロがいたので非常に驚いた。」とあります。
彼らはペトロが牢から出されることを熱心に祈っていたのです。けれども、実際にペトロが牢を出て来たということを信じることが出来ませんでした。そして、ペトロの姿を見て、非常に驚いたのです。
神様は、私たちの祈りを聞いて御業を成して下さるお方です。しかも、私たちの小さな頭で考えることをはるかに越えた素晴らしい御業を成して下さるお方です。
エフェソの信徒への手紙3章20節(P355)
「わたしたちの内に働く御力によって、わたしたちが求めたり、思ったりするすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方に・・・・」
ここに「わたしたちが求めたり、思ったりするすべてを、はるかに超えてかなえることのおできになる方」とあります。この方を心から信頼して大きな希望を持って祈り続けましょう。
神様は、私たちの願いをはるかに超えて素晴らしい御業を成して下さるお方だからです。
第6回の日本伝道会議で、クリス・ライト博士が講演をしてくださいました。そのクリス・ライト博士に、日本伝道会議の準備委員とやりとりの中で、こんな手紙を書いたそうです。
「日本の教会は、小さくて力がありません。そんな教会が、問題や課題の多い世界や日本の社会に仕えることなどできるのでしょうか。」
日本のクリスチャン人口は1%と言われていますが、実際に毎週教会に集っている人は、0.1%と言われています。まさに、鉄の門で閉ざされているようです。
そんな小さな弱い、クリスチャンが、何が出来るのでしょうかと、先生に問いかけたのです。
それに対して、クリス・ライト先生は、エレミヤ29:1~14を開かれて、バビロン捕囚のイスラエルの民の話をされました。バビロンの中で、イスラエルの民は、小さく弱い存在でした。しかし、神様は、イスラエルの民を愛し、守られ、イスラエルの民に、バビロンの繁栄のために祈りなさいとおっしゃるのです。神様の祝福は、イスラエルの民だけではなく、全世界に広がっていくことが神様の御心でした。
そして、エレミヤ29:11でこう語られるのです。
「わたしは、あなたたちのために立てた計画をよく心に留めている、と主は言われる。それは平和の計画であって、災いの計画ではない。将来と希望を与えるものである。」
神様のご計画は、イスラエルの民だけにとどまることなく、敵国であるバビロンにも、いや、全世界の人が救われることでした。
神様は、クリスチャンだけが救われるのでは無く、イスラム教の人も、ヒンズー教の人も、仏教の人も、すべての人が救われることを望んでおられるのです。
私たちは弱く力がありません。しかし、「神には何でもできないことはありません。」その神様の心を、私たちの心とさせていただいて、すべての人のために熱心に祈りましょう。
特に、私たちは、新会堂を与えらようとしています。まず、山形南部全体に福音を宣べ伝えさせていただきましょう。
「こうして、ペトロは牢に入れられていた。教会では彼のために熱心な祈りが神にささげられていた。」
今日は、熱心な祈りについて2つのことをお話ししました。
(1)教会の原動力(熱心な祈り)
(2)鉄の門を開く祈り
そのお方を信じて熱心に祈るもの、熱心に祈る教会とさせていただきましょう。
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