みなさんには、動物園に行ったことがありますか?動物園にはどんな動物がいましたか? さる、ライオン、トラ、キリン、いろいろな動物がいます。
何年か前、旭山動物園に行ったことがあります。同じグループの人が、カバが好きで、カバを見ることになりました。ずっとカバを見ていたのですが、ほとんど動きませんでした。ところが、動物園が終わる時間になって、蛍の光がなりだすと、そのカバがカバっと動き始めて、自分の家に帰っていったのです。カバが好きな女性は、「やっぱりカバは頭が良い」と大感激をしていました。
すべての動物は神様が造られました。そして、神様はすべての動物を愛しておられるのです。
それ以上に、神様はすべての人間一人一人を、神の最高作品として造られました。世界には、74億人の人がいるそうです。そして、みんな違って同じ人は誰もいません。話す言葉や、肌の色が違ったり、食べるものも違ったりしますが、みんな神様が造られた人間です。そして、神様は、全ての人を、かけがえのない大切な人として愛しておられるのです。
ところが、聖書の時代、ユダヤ人は、外国人のことを「異邦人」と呼んで、軽蔑していました。異邦人は、まことの神様を知らない人々だと、思っていたからです。
しかし、今日の聖書の箇所で、ペトロは、神様から思いがけない命令をいただいたのです。
今日の中心の御言葉は、10:15節です。
「すると、また声が聞こえてきた。「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」
この人は、ペトロです。ペトロは何をしているのでしょう?
お祈りをしている内に眠ってしまったです。
ペトロが、ヨッパという町にいた時のことです。ペトロは、毎日、お祈りをする時間を決めてお祈りをしていました。その日も、お祈りをするために、家の屋上に上がりました。
すぐそばの、海岸から、きれいな波の音と、気持ちのいい風がふいていました。あんまり、気持ちよくてうとうとして眠っていると、不思議な幻を見たのです。
それは、こんな幻です。
天から、大きな布がつり降ろされてきたのです。布の中には、いろいろな動物や鳥が入れられていました。
中には、ユダヤ人が「汚れている」といって食べなかった生き物たちもいました。すると、天から声が聞こえて「さぁ、ペトロ、料理をして食べなさい。」ペトロはびっくりしてしまいました。
しばらくすると、また天から、いろいろな動物や這う物が入った布が入ってきて、
「さぁ、ペトロ、料理をして食べなさい。」というのです。
ペトロが「いいえ、それはできません。私はきよくない生き物は食べません。」と言いました。
すると、天から「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」 という声が聞こえてきました。
また、三回目にも またまた天から、いろいろな動物や這う物が入った布が入ってきて、
「さぁ、ペトロ、料理をして食べなさい。」というのです。
三度も同じ声が、聞こえたので、ペトロは「いったい、今の幻には何の意味があるのだろう」と考え込んでいると、また声が聞こえてきました。
「三人の人があなたを訪ねてきます。その人たちについて行きなさい。その人たちが行かせたのはわたしです。」
ペトロが、トントントンと階段を降りて、玄関の所に行くと、言われたとおりに、三人の人たちが立っていました。
ペトロを訪ねてきた三人の人たちは、コルネリオというローマの百人隊長のお使いの人たちでした。
「ペトロさん。私たちの主人コルネリオは、あなたをお招きしてお話をお聞きしたいともうしております。コルネリオは、まことの神様を信じる、立派な人です。」
次の日、ペトロは三人のお使いと一緒にコルネリオの家に行きました。。
コルネリオは、家族や友達など、たくさんの人が集まって、待っていました。
「ペトロさん、良く来てくださいました。4日前のことです。私がお祈りをしていると、真っ白に輝く衣を着た神様のお使いが現れて、『ペトロさんをお迎えに行きなさい』とおっしゃったのです。」
するとペトロは「そうでしたか。私たちユダヤ人は、外国人とつきあってはならないと言われています。」けれども、神様は、『どこの国の人とも仲良くしなさい』とおっしゃっていることが、今はっきりわかりました。」
それから、ペトロは、イエス様のことを、みんなに話しました。
イエス様は、神の独り子であること、神の国の福音をたくさんの人にのべ伝えたこと、病気の人を治してあげたり、悲しむことを助けてあげたことを話しました。
そして、イエス様が、十字架にかかってくださり、三日後にお墓の中からよみがえられたことも話しました。
「イエス様は、すべての人の罪を背負って、神様の罰を受けて下さいました。そのことを信じる人は、罪を赦していただいて、神様の子供になることが出来るのです。」
それを聞いた、コルネリオも、家族も、友達も、みんなイエス様を信じたのです。
今日は、この聖書の箇所から、二つのことをお話ししたいと思います。
(1)神様は、全ての人を愛しておられるということです。
ペトロが見た夢は、どんな夢でしたか?
ペトロが、見た幻は、天が開いて、動物が、大きな布の四隅がつるされて、降ろされる幻でした。
12節には、「その中には、あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。」と書いています。
あらゆる獣、地を這う物、空の鳥です。いったい何匹は行っていたのだろうと思いますが、全ての動物が、その布の中に入っていたのです。その中には、ユダヤ人が、食べて良い清い動物もいましたが、食べては行けない汚れた動物もいたのです。
あらゆる動物が、その中に入っていました。
これは、あらゆる人が、救いから漏れることはないということです。ユダヤ人達は、自分たちだけが、選ばれた民で、他の外国人達は、異邦人と呼んで、彼らは救いにはいることが出来ないと思っていました。
しかし、神様は、「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」とおっしゃったのです。
肌の白い人も、黄色い人も、黒い人も、どのような人種の人も、どこの国の人も救いから漏れることはありません。
また、赤ちゃんも、子どもも、若者も、壮年も婦人も老人も、誰一人救いから漏れることはないのです。
そして、自分は、こんな大きな罪を犯してしまったから、自分は汚れた物だから、もう駄目だと思っている人も、神様の救いの御手から決して漏れることはないのです。
また、どんなに弱くて何も出来ない人も、この愛から漏れることはないのです。
昨日、岩沼の復興住宅で、「三浦綾子読書会」が行われました。三浦綾子さんの作品の中から、「母」という作品を取り上げて、小林多喜二のお母さんの、愛と、子どもたちの言葉を聞くことの大切さを教えられました。
その話の中で、ベトナム戦争に行った、ネルソンさんの事が語られました。戦争は本当に恐ろしい物です。人間を人殺しの機会にしてしまうのです。
最初は、虫を殺すことから始めます。次にネズミやウサギのような小動物を殺す訓練があります。それが、やがて猫や犬のような動物になり、山羊や羊と大きくなり、最後には平気で人間を殺すような、人殺しの機会に造り上げられていくのです。
ネルソンさんは、ベトナムで、多くの人を殺しましたが、ある日のこと、洞窟の中に入っていくと、女の人のうめき声が聞こえました。中に入っていくと、そこに赤ちゃんを産んでいる女の人がいたのです。もう、頭が出かかっていました。ネルソンさんは、銃を捨てて、すぐに出産に立ち会いました。そして、かわいい赤ちゃんを手にしてその命を受け止めた時、もう、その女の人や赤ちゃんを殺すことは出来ませんでした。
彼は、やがて、アメリカに帰りましたが、PTSD という精神的な病気に苦しみました。夜寝ると、人を殺したことを思い出したり、自分が殺される夢を見て、大声を出して起きることもありました。もう、自分の人生はもう駄目だと思いました。
そんなある日、ある小学校で、ベトナム戦争の話しをして欲しいと、呼ばれたのです。ネルソンさんは、戦争の恐ろしさを話しましたが、その時に、子どもは、素直なだけに残酷です。一人の男の子が「あなたも人を殺しましたか。」と聞いたのです。
ネルソンさんは、「はい、私は罪もない多くの人を殺してしまいました。」と答えました。その時に、感情を抑えきれずに、涙を流して、大声で泣き始めたのです。
すると、どうでしょう。そこにいた子どもたちが、ネルソンさんの所に集まって、ネルソンさんを抱きしめて、一緒に泣き始めたのです。
そのような、子どもたちの愛によって、ネルソンさんは、神様の愛に触れ、罪を悔い改めて、やがて、PTSDから、癒やされたのです。
そして、その経験を、本に書いて、世界の平和と、神様の愛の素晴らしさを、証ししておられます。
神様は、全世界の全ての人を、かけがえのない人として愛しておられ、その人を大事に思って思っておられるのです。
そして、ペトロが見た幻のシーツの中に、「あらゆる獣、地を這うもの、空の鳥が入っていた。」、ように、全ての人が、誰一人として漏れることはないのです。
(2)世界中の人々に福音を伝えること
ペトロは、聖霊に導かれて、ローマの隊長コルネリオのところに、福音を伝えに行きました。そして、そのコルネリオだけではなく、コルネリオの家族も、友人も、周りの人たちを救いに導いてくださいました。
このペトロのように、私たちも、イエス様のことを知らない人の所に行って、福音を宣べ伝えるなら、私たちは、弱く足りなくても、神様は、素晴らしい御業を成してくださるのです。
木曜日から金曜日に、東京でウェスレアン・ホーリネス教団の全体委員会が行われました。その中で、8/18~22に上大岡キリスト教会で行われた、「キャラバン隊」の報告がされました。このキャラバン隊の活動のために、7000枚のチラシが配られました。上大岡駅前のアーケードでチラシを配りましたが、山形のように受け取ってくれる人は、なかなかいません。50人に声をかけて、やっと一人取ってくれるかどうかです。
けれども、そんな中、チラシを見て、教会に来てくださったおばあさんがいました。
このおばあさんは、小さい頃教会学校に行っていて、いつか、また教会に行きたいと思っていたそうです。そんな時に、教会のチラシが配られたのです。そのチラシの裏には、「親子いっしょの子ども会」という案内がありました。それを見たおばあさんは、孫を連れて教会に行こうと思って、キャラバン伝道が行われた三日間、続けて小学校四年生の孫を連れて教会に来たのです。
神様は、一枚のチラシを用いて、教会に導いてくださるお方です。
ある牧師先生の証しです。
日本が太平洋戦争で敗戦を迎えて間もない頃、私は、きれいにそうじされたごみ箱の中に、一冊の本が捨ててあるのを見つけました。いつもだったら、ごみ箱なんか気にもしないで通り過ぎてしまうのですが、その日はなぜか目が留まったのです。それは『ヨハネの福音書』と書かれた分冊聖書でした。
かねてから聖書を読みたいと思っていた私は、辺りを見回して、だれも見ていないのを確認すると、その分冊聖書を拾いました。
それが、私がキリスト教を求めた第一歩でした。
そして、1954年9月18日の早朝、千葉県一の宮のキャンプ場において、私は主イエス・キリストを救い主と信じて受け入れました。
やがて主に献身し、牧師となりました。
そして、現在まで喜びにあふれて福音宣教のご奉仕をさせていただいております。
特に、私が分冊聖書を通して救われたという現実を思う時、今も同じように聖書やトラクトを待っている人々がどこかにいるのだということを痛感させられ、私は今でも時を見つけては、戸別配布を続けています」
ごみ箱のゴミが人の人生を大きく変えました。
私たちに何が出来るでしょうか。私たちが、配ったチラシが、ゴミ箱に捨てられた聖書の分冊が、人を変えるのです。私たちも、家族や友人に福音を伝えましょう。神様は、私たちを用いて素晴らしい御業を成して下さるのです。
10:15節です。
「すると、また声が聞こえてきた。「神が清めた物を、清くないなどと、あなたは言ってはならない。」
神様は、すべての人を愛しておられます。また、すべての人が神様の愛を必要としておられるのです。まず、私自身が、神様の愛に満たしていただきましょう。そして、愛を必要としている私たちの隣り人に、言葉を通して、また行いを通して、この神様の愛を伝えましょう。
だれでもキリストの愛を求めて生きている。
だれでもキリストの愛を受けられる。
主の愛を伝えよう
主の愛を今伝えよう
とみんなで賛美しました。この賛美のように、すべての人がキリストの愛を求めています。この愛を一人でも多くの方に伝えましょう。
コメントをお書きください