みなさん英国ケズィック・コンベンションのためにお祈りをありがとうございました。
イギリスの北の方に、富士五湖のように美しい、湖水地方がありますが、その北の方にあるケズィックという村で、今から140年前に、リバイバルが起こりました。
そのリバイバルが、イギリス全土に広がり、世界に広がりました。
日本ではケズィックが始まって55年、東北でケズィックが始まって10年になりますが、今回初めて、世界中のケズィックの代表者が集まる、コンフェルテージョンが行われました。全国各地のケズィックの祝福や状況、そして、いろいろな課題が話し合われました。
小さな、イギリスのケズィック村で起こった、リバイバルの業が、今や世界に広がったのです。何と素晴らしい事でしょうか。
そして、来年の2月には、東北ケズィックの後で、日曜日の朝の礼拝は、山形南部教会にケズィックの講師が、御奉仕してくださり、午後は、他の教会の兄弟姉妹もお誘いして、山形ケズィックが行われる予定です。
その、最初の集会が、山形南部教会の新会堂で行われるかもしれないという話もあります。ぜひ、覚えてください。そうなれば本当に素晴らしいと思います。
ケズィックとは、何でしょうか。一つは「キリスト・イエスにあってみなひとつ」教団教派を超えて、みんなが、キリスト・イエスにあって一つであることを、今回、実際に、そのことを経験をすることができて感謝でした。
そして、ケズィックの信仰とは、何でしょうか。それが、講壇の上の3つの柱に現されていました。
①Hearing 神の言葉に耳を傾けること
②Becoming 神の言葉によってイエス・キリストに似た者に代えられること
①Serving 神の御言葉に仕え、福音を伝える事です。
ケズィックて何?と聞かれたら、①Hearing 神の言葉に耳を傾けること
②Becoming 神の言葉によってイエス・キリストに似た者に代えられること
②Serving 神の言葉に仕え、人々に福音を伝える事です。と答えれば良いのです。この事を良く表しているのが、パウロの生涯です。
今日は、o神様の御声を聞いて、oキリストに似たものに造り変えられ、o福音宣教に仕えたらパウロのお話しです。
パウロは救われる前、サウロという名前でした。
サウロは、聖書を一生懸命勉強して、まことの神様を心から信じる人でした。でも、イエス様が救い主だということを信じることができなかったのです。
十字架にかかって死んでしまった人を礼拝するなんて、絶対に許せないことでした。
そこで、サウロは大祭司の所に行って、「イエス様を信じる人たちを捕まえに行きたいので、許可書をください。」と頼みました。
そして、イエスを信じる者は、男でも女でも捕まえて良いという許可を受けて、イエス様を信じている人を迫害するために、ダマスコに向かったのです。
ところが、ダマスコまで来た時です。突然強い天から明るい光が、サウロを照らしました。
そのまぶしさにサウロは、地面に倒れてしまいました。すると、神様の声が聞こえてきたのです。
「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。」
サウロは震えながら「あなたはどなたですか?」と訪ねると「わたしは、あなたが迫害しているイエスです。立ち上がって、ダマスコの町に入りなさい。そうすれば、あなたのすべきことがわかります。」
サウロは、立ち上がろうとしましたが、目が見えなくなっていました。そこで、仲間達に手を引いてもらって、やっとの思いで、ダマスコに着きました。
パウロは、ダマスコで目が見えないまま、3日間、何も食べずに過ごしました。
光の中で聞いた声を、何度も思い出しながら、お祈りをしていたのです。
今まで、イエス・キリストを信じる人たちを迫害してきたけれども、神様に背いていたのは、私の方だったと、サウロは心から悔い改めたのです。そして、イエス様こそが、神様が遣わしてくださった救い主だということを、心から信じたのです。
そんなサウロのところに、神様がアナニヤという人を遣わしたのです。
アナニヤが、サウロ上にに手を置いて、お祈りをしました。
「兄弟サウロ。あなたがここに来る途中で現れたイエス様が、私をここに遣わされました。あなたが再び見えるようになり、聖霊に満たされるためです。」
するとすぐに、サウロの目からうろこのようなものが落ちて、もう一度、見えるようになったのです。
サウロは、イエス様を信じたしるしに、バプテスマを受けて、ダマスコに住むイエス様の弟子たちと過ごしました。
そのようにして、サウロは、まったく造り変えたのです。人々が集まる会堂を回って、イエス様が救い主であると、力強く伝え始めたのです。
「あの男は、イエスを信じる人たちを迫害していたのに。」と、周りの人たちは、ただただ驚くばかりでした。
それでも、よみがえりのイエス様に出会ったパウロは、迷うことなく確信を持って、福音を宣べ伝えたのです。
この聖書の箇所から、3つのことをお話しししたいと思います。
(1)神様の御言葉に耳を傾けること(HEARING)
最初、サウロは、どうしてもイエス様がよみがえられたということを信じることができませんでした。そして、十字架で死んだ人を礼拝するなんてとんでもないと迫害していたのです。
けれども、確かにイエス様はよみがえられたのです。
サウロは、ダマスコ途上で「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。」
という、よみがえりのイエス様の声を聞いたのです。
この時、サウロは、よみがえりのイエス様に出会って御声を聞いたのですから、もう疑うことはできません。確かに、イエス様はよみがえられたのです。
そして、そのパウロが 「主よ、あなたはどなたですか」、と聞くとこう答えがありました。5~6節「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。:6 起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」
パウロがまずしたことは、神様の御声に耳を傾けることでした。心を閉ざさずに、 「主よ、あなたはどなたですか」とよみがえりのイエス様の御声を聞こうとしたのです。
サムエルが、「サムエル、サムエル」という声を聞きました。最初は、祭司エリが自分を呼んでいるのだろうと思って、エリのところに行って、「ここにいます。」と言って「お呼びになったので参りました。」と言いました。しかし、祭司エリは、この時、「わたしは呼んでいない。わが子よ、戻ってお休みなさい。」と言います。
そんなことが何度か続いた時、祭司エリは、これは、神様がサムエルを呼んでいるに違いないと示されました。その時に、神様は、サムエルに御声をかけられるのです。
Ⅰサムエル3:10 「主は来てそこに立たれ、これまでと同じように、サムエルを呼ばれた。「サムエルよ。」サムエルは答えた。「どうぞお話しください。僕は聞いております。」
神様は、この神様の御声に耳を傾けたサムエルを、イスラエルの祭司として用いられました。
私たちも、主の御声に耳を傾けましょう。そして、その主の御声に聞き従う時、神様は、素晴らしい御業を成して下さるのです。
Ⅱコリント15章3~8節に、よみがえりのイエス様に出会った500人以上の人たちのことが書かれています。しかも、この手紙が書かれた時には、その人達の大多数が生きていたというのですから、間違いのない事実です。
そして、パウロは、自分のことを「そして最後に、月足らずで生まれたようなわたしにも現れました。」と言っていますが、パウロは、肉体を持ったイエス様ではなく、目に見えない主の御声を聞いたのです。
それは、私たちも同じです。私たちも、肉体をもったイエス様に出会っていません。けれども、パウロと同じように、イエス・キリストを救い主の御声を聞き、信じた時、心の中によみがえりのイエス様をお迎えしたのです。
わたしたちも、「静まって、わたしこそ主であることを知れ。」と詩編46編にありますが、主の御声を毎日、朝も昼も夜も聞かせていただきましょう。
(2)サウロからパウロに変えられた(BECAMING)
よみがえりのイエス様に出会ったサウロは、全く新しい人に造りかえられました。
パウロは、イエス様を信じる人たちを迫害しようと、息をはずませて、ダマスコに向かって言っていたのです。その時に、よみがえりのイエス様に出会いました。そして「サウロ、サウロ、なぜわたしを迫害するのか。」という主の御声を聞いた時、イエス様を憎む者から、イエス様を愛する者へと変えられたのです。
このサウロは、やがて、パウロと呼ばれるようになりますが、よみがえりのイエス様によって、キリスト・イエスに変えられた者となったのです。
このサウロを造りかえてくださったイエス様は、私たちをも造りかえてくださるお方です。
(3)キリストに仕える伝道者(SERVING)
5~6節
「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。6 起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」
神様が、サウロに声をかけられた時、最初から、大切な使命を持っておられたのです。
それは、大切な福音に仕える仕事でした。
イエス様は、パウロに御言葉を与えられ、キリストに似たものに変えられただけではなく、大切な使命を与えられました。
イエス様は、私たちにも語りかけて下さり、御言葉によって聖潔てくださいます。
そして、その次が大切です。それは、福音を伝える使命です。
今回、アフリカのナイジェリアから、カリスト オデデという宣教師の方が、①迫害は、教会を破壊しない。②迫害は、教会を聖める。③迫害は、信仰を建て上げる。という3つの事を証ししてくださいました。ナイジェリアでは、次々に救われる魂が起こされ、今では、3000人の礼拝を毎週ささげているそうです。しかし、そのような中でイスラム教の迫害や殺害が起こり、学生100人が殺されるという悲しい事件がありました。
それでも、カリスト・オデデ先生たちの教会は、イスラム教の人を愛し、イスラム教の人たちと対話を欠かす事がありませんでした。そのような中で、イスラム教の人たちが、「これからの子どもの教育が心配です。イスラム教の中にも、キリスト教主義の学校を建てて下さい」とお願いをし、キリスト教の学校が建てられました。そのような木養育の中で高校一年生がクリスチャンになりました。
しかし、そこで学生が、イエス・キリストの信仰を持って、モスクに行かないということは、イスラム教では殉教の死を意味しています。そこで、洗礼を授けないで、モスクに行きながら、イスラム教の世界の中で、キリスト教の信仰を守り続けているそうです。そのような迫害や弾圧の中にある人たちのために、その集会では、みんなで心を合わせて祈りました。
世界のケズィックに共通している大きな問題は、信仰の継承です。信徒が高齢化して、若者や子どもたちにどのように、このケズィックの恵みを伝えていくかがどこの国の課題でもあります。
そのような中で、今回のケズィックで恵まれたのは、キッズの集会に出ることが出来たことです。キッズのテントがいくつも張られ、その中に、100人位のお友だちが、大きな声で暗唱聖句をしていました。それも、大人の集会で語られる御言葉と同じ聖書の箇所が暗唱聖句になっていて、家に帰ってからも家族で、御言葉を分かち合うそうです。
そして、私たちは、一日早く帰ってきたので、見学に行くことは出来なかったのですが、もうすでに鉛筆工場の土地を買っているそうですが、2年後には、大人も若者も、子どもたちも同じ場所で、ケズィックの集会が持たれるビジョンが掲げられています。
大人から若者へ、親から子どもへ、そして、更に多くの国々に福音が伝えられていくように、私たちを用いていただきましょう。
パウロは、イエス様を信じる人を迫害していましたが、よみがえりのイエス様に出会って、主の御声を聞いた時、その罪を悔い改めて、イエス様の愛を伝える人になりました。
また、イエス様を信じている私たちにも、イエス様は、なお、私たちを造りかえてくださり、私たちをイエス・キリストに似たものと造りかえてくださるお方です。
この神様の御声を毎日お聞きし、心の中に、イエス様をお迎えしてキリストに似たクリスチャンにしていただきましょう。そして、この素晴らしい福音を伝える使命を与えて下さった神様は、私たちにも同じ福音を委ねて下さっています。この福音を一人でも多くの方々に伝えましょう。
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