今日は、国井雄歩くんの証しを聞くことが出来て感謝しています。今日も素晴らしい証しをしてくれましたが、洗礼を受けてからの雄歩くんは、本当に変わりました。暗唱聖句をたくさん覚え、いつもホサナで証しをしてくれます。雄歩くんは、イエス様の証し人です。
今日の中心の言葉は、6節です。
「ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」
午後3時のことです。ペトロとヨハネが、いつものようにお祈りをするために、エルサレム神殿の「美しの門」にやってきました。神殿には、人々にお金や食べ物をもらうために集まってくる人達も集ってくるのです。
その中に、生まれつき足が不自由な男の人が座っていました。この人は毎日、「美しい門」に運ばれてきて、そこを通る人から、お金や食べ物をもらっていたのです。
その人は、ペトロとヨハネが神殿に入ろうとするのを見て、「どうか、あわれなわたしに何か恵んでください。」と声をかけました。
ペトロとヨハネは、その男の人をじっと見て、「わたしたちを見なさい」と言いました。
男の人は何かもらえるだろうと思って、じっと二人の顔を見ていました。
するとペトロがこう言ったのです。
6節を一緒に呼んでみましよう。
「ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」
そして、ペトロは、右手を取ってその男の人を立ち上がらせました。すると、たちまち、今まで一度も歩いたことがなかったのに、足のくるぶしがしっかりして、躍り上がって立ち上がり、歩き出したのです。
その男の人は、嬉しくてたまりません。歩き回ったり、踊ったりして神さまを賛美して、ペトロとヨハネと一緒に、神殿の境内の中に入っていきました。
いつも門のところでずっと座っている男の人が、うれしそうに、歩いたり踊ったりして、神さまを賛美している姿を見て、大勢の人達が集まってきました。
そこで、ペトロが集まってきたみんなに言いました。
「みなさん、どうしてそんなに驚いているのですか?この人の足を治したのは、わたしではありません。神さまが治して下さったのです。」
「十字架にかかられたイエス様は、よみがえられました。イエス様は今も生きておられます。そのイエス様が、この男の人を癒やしてくださったのです。」
ペトロとヨハネは、みんなの前で、イエス様の十字架と復活の話しをしました。そして、イエス様こそが、罪を赦して下さる救い主であることを伝えたので、多くの人達がイエス様を信じたのです。
この聖書の箇所から3つのことをお話ししたいと思います。
(1)一番大切な贈り物
6節
「ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」
生まれつき足が不自由だった人は、毎日、「美しい門」に運ばれて、通りゆく人から、お金をもらって生活していました。
ペトロとヨハネが通りかかって、「わたしたちを見なさい。」と言われた時、男の人は、いくらくれるんだろうと、ドキドキしたと思います。けれども、ペトロの答えは何でしたか?「わたしには、金や銀はない。」でした。この男の人は、本当にガッカリしたと思います。でも、ペトロは、その後で「持っているものをあげよう。」と言いました。ペトロとヨハネは、お金は持っていませんでした。でも、お金では買うことができない最高のものを持っていたのです。それは何ですか?
それは、イエス・キリストの名です。ペトロは、「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」と言いました。「ナザレ人イエス・キリストの名」です。イエス様だけが、病気を癒やし、私たちを救ってくださるお方です。
たとえ、自動で動く自動車を手に入れても、10年も20年も使っていると壊れてしまうでしょう。また、ダイヤモンドを手に入れても、お金を使うとやがてはなくなってしまいます。
けれども、イエス様は、生まれつき歩けない足を癒やしてくださるお方です。そればかりか、心の中の罪も赦してくださり、永遠の命を与えて下さるのです。このイエス・キリストの名に勝るものはありません。
生まれつき足の不自由な人は、ずっと今まで「美しい門」で「お金や食べ物をください。」と叫び続けていました。でも、本当に大切な事は「自分の足で動くこと」でした。そうすれば、もう、こんな惨めな思いをしなくてすんだのです。
そして、何よりも大切な事は、イエス・キリストの名によって、罪が赦され、神の子とされることです。そうすれば、心の中は、喜びと賛美で満ちあふれるのです。この男の人は、足が癒やされただけでではなく、イエス・キリストの名によって救われたのです。
神さまは、その独り子であるイエス様を、私たちの救いのために与えて下さいました。
ヨハネ3:16
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
神さまは、私たちに独り子であるイエス様を与えて下さるほどに、私たちを愛しておられます。それも、私たちの罪の身代わりに十字架で命を与えて下さるほどに愛しておられるのです。
アメリカの第十六代大統領エイブラハム・リンカーンが、まだ若い頃、スプリングフィールドから馬に乗って隣りの町に行く途中、一匹の豚が、泥沼に落ちてヒーヒー悲鳴をあげていました。
周りの人達は、その豚を見て、おもしろがっていましたが、リンカーンは、とても見ていられないといって、「馬車を止めてください。」と頼んで、自分がその泥沼に入っていって、そのあわれな豚を救ってやったのです。
イエス様も、このリンカーンと同じようなことをしてくださいました。私たちは、罪を犯し、永遠の滅びに向かっています。しかし、そのような私たちを愛してくださり、私たちを救ってくださるために、罪に汚れたこの世に来てくださったのです。そればかりか、私たちの罪の身代わりに、十字架で命を捨てて、私たちを救ってくださったのです。
私たちは、金よりも銀よりも、この世のどんなものよりも素晴らしい、贈り物を神さまから与えられているのです。そのことを覚えて、心からの感謝を神さまにおささげしましょう。
(2)踊りながら賛美した男の人
7~9節
「そして、右手を取って彼を立ち上がらせた。すると、たちまち、その男は足やくるぶしがしっかりして、8 躍り上がって立ち、歩きだした。そして、歩き回ったり躍ったりして神を賛美し、二人と一緒に境内に入って行った。9 民衆は皆、彼が歩き回り、神を賛美しているのを見た。」
イエス・キリストの名によって癒やされたこの男の人は、何をしたでしょうか?
ペトロが右手を取って立ち上がらせると、この男の人は、立ち上がって、踊り始めました。そして、歩き回ったり踊ったりして、神さまを賛美したのです。
私たちが、イエス・キリストの名によって癒やされ、救われる時、私たちの心に賛美が満ちあふれます。
熊本大震災が起こって2ヶ月になります。多くの救援物資が届けられていますが、森祐理さんのホームページに「心の救援物資」としてコンサートを行いたいと書かれていました。
森祐理さんは、NHKの歌のお姉さんで有名ですが、昔は、劇団四季のオーディションに合格したり、数々のミュージカルの主役をこなす有名な歌手として活躍していました。そして、当時は、この世の成功を必至になって求めていました。
ところが、ミュージカルの主役が決まって元気にレッスンをしていた時に、突然声が出なくなってしまったのです。「あっ」と言う声も出なくなって、声を失ったような気がしました。
その時に、森祐理さんは、初めて、自分の力で頑張って生きていると思っていましたが、そうではなくて、神様の愛が生かしてくださっているのだということに気がついたのです。
その時から、自分のためではなく、神様を心から賛美しようと決心をしたのです。そして、その時から森祐理さんは、ゴスペルシンガーとして神様に用いられるようになりました。
ところが、1995年1月7日に大変なことが起きました。阪神淡路大震災です。森祐理さんは、この時に大切な弟が亡くなってしまったのです。それは、大変な悲しみでした。けれども、そのような耐えられないような悲しみの中でも、このことも、最善をなしてくださる神様のご計画の中にあるということを信じて、その年の3月から「希望の翼コンサート」をはじめたのです。その働きは、全国に広がっていき、160回のコンサートが開かれ、多くの人が慰められ、心が癒されたのです。
それだけではありません。東日本大震災でもその時の経験が用いられて、被災地でコンサートが行われ、多くの人たちが、慰められ、励まされ、癒やされてきました。そして、今回の熊本でもこれから用いられようとしています。神さまへの賛美は、人を慰め、励まし、救いに導きます。
6節です。
「ペトロは言った。「わたしには金や銀はないが、持っているものをあげよう。ナザレの人イエス・キリストの名によって立ち上がり、歩きなさい。」
私たちも、金や銀は持っていないかも知れません。しかし、私たちには、ペトロやヨハネが持っていたのと同じイエス・キリストの福音が委ねられています。その福音を一人でも多くの人に宣べ伝え、この男の人が、賛美にあふれたように、素晴らしい神さまの御業を見せていただきましょう。
(3)十字架と復活の福音を伝えた弟子たち
ペンテコステに聖霊の力に満たされた弟子たちは何をしたでしょうか。
聖霊に満たされた弟子たちは、イエス様の事を伝えたのです。
15節
「あなたがたは、命への導き手である方を殺してしまいましたが、神はこの方を死者の中から復活させてくださいました。わたしたちは、このことの証人です。」
ペトロは、男の人が歩いているのを見て大勢の人が集まってくると、この男の人を治したのは、私たちではなく、イエス様だと証しをしました。そして、イエス様が、私たちの罪のために十字架にかかってくださつたこと、そして、3日の後によみがえられて今も生きていることを伝えたのです。
私たちも、イエス様を信じた時、心の中に聖霊をお迎えしました。そして、私たちもペトロと同じように、聖霊の証人とされたのです。
目が見えなくて、あんまさんがいました。そのあんまさんは、熱心なクリスチャンで、一度聞いた説教は、絶対に忘れませんでした。
そのあんまさんに「田中万吉」という友人がいました。あんまさんは、救われた喜びに満たされて、その友人のところに行って教会に誘いました。
「教会に行きませんか?良いところですよ。気持ちが晴れ晴れとしますよ。」と言うと「ああ、そのうちね。」と答えました。そこで、次の週の土曜日に訪問して「どうですか?明日は?」と聞きました。さすがの田中さんも断り切れず「明日は行きます。」と返事をしました。
喜んだあんまさん、翌朝迎えに行くと、いやでたまらなかったのですが、しぶしぶ着いていきました。どぶ川の土手に来た時に、つまずいたふりをして、いきなりあんまさんに体当たりをしました。かわいそうに、あんまさんは土手から転げ落ちて、どろんこになってしまいました。
田中さんは、そのまま逃げ帰って、「もう、これでこりてやってこないだろう。」と思っていると、次の土曜日になると、また、やってきて教会に誘ったのです。
田中さんは、とうとうこんまけして教会に通いだしました。そこで、田中さんははじめて福音を聞いたのです。それから、教会に通うようになり、イエス様を信じて、バプテスマを受けました。そして、ついに、この喜びを他の人にも伝えたいと思って、牧師になって多くの人々を信仰に導いたのです。
神さまは、ひとりの目の見えないあんまさんをイエス様の証人として用いられ、田中さんは伝道者になって、多くの人にイエス様の事を伝える人になりました。私たちもイエス様の証人として用いていただきましょう。
15節
「あなたがたは、命への導き手である方を殺してしまいましたが、神はこの方を死者の中から復活させてくださいました。わたしたちは、このことの証人です。」
ペトロの時代に働かれた聖霊、あんまさんをイエス様の証人として導いてくださった聖霊は、今も働いておられます。この聖霊に、私たちも満たされて、「わたしたちも、このことの証人です。」とイエス様の十字架と復活の福音をお伝えしましょう。
コメントをお書きください