今日から新年度を迎えますが、今日は、川上詩音くんのお証しを感謝します。神様が、遣わされるところは、最善の所です。詩音くんの大学生活を、神様が必ず祝福してくださることを信じています。先週は、イエス様がよみがえられたイースターをお祝いしましたが、この時から、弟子たちは新しい歩みが始まりました。
よみがえられたイエス様は、まず、トマスがいない時に、カギのかかった弟子たちの部屋の真ん中に入って「あなたがたに平和がありますように」とおっしゃいました。
そして、二度目には、トマスのいる時に表れて、手の傷痕と、槍でさされたわき腹を見せられて、「信じない者ではなく、信じる者になりなさい。」とおっしゃいました。
それから、三度目に弟子たちに表れた事が今日の聖書の箇所に書かれています。
イエス様は、ガリラヤ湖に行かれました。そこで、弟子たちは漁をしていましたが、夜通し働きましたが、何も捕れませんでした。そこで、イエス様が、「舟の右側に網を打ちなさい。そうすればとれるはずだ。」とおっしゃって、その通りに網を降ろしてみると、何と、たくさんの魚が捕れて、網を引き上げることが出来ないほどでした。
その時に、弟子たちは、それがイエス様だということが、はっきりと解りました。ペトロは、早くイエス様に合いたいと思って、上着を着て、船から飛び込んで岸まで泳いでいきました。
岸に上がると、イエス様が、魚を焼いて下さって、弟子たちは、パンと魚をいただいたのです。イエス様が、焼いて下さったパンと魚です。どんなに美味しかったことでしょう。そして、大好きなイエス様と、食事が出来るなんて、弟子たちは、嬉しくて胸が一杯になりました。
15節
「食事が終わると、イエスはシモン・ペトロに、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」と言われた。ペトロが、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」と言うと、イエスは、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われた。」
食事の後、イエス様は、ペトロの方を向いて、「ヨハネの子シモン、この人たち以上にわたしを愛しているか」 と質問されました。ペトロは、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」 と答えました。すると、イエス様は、「わたしの小羊を飼いなさい」と言われました。
しばらくすると、イエス様はまた、ペトロに、「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」
そこでまた、ペトロは、「はい、主よ、わたしがあなたを愛していることは、あなたがご存じです」
と答えると、イエス様は「わたしの羊の世話をしなさい」とおっしゃいました。
また、しばらくすると、イエス様がペトロに、「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」
と質問されました。ペトロは、イエス様が三度も、同じ質問をされたので、イエス様を前の失敗を思い出して、悲しくなりました。そこでペトロは、「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」 と一生懸命答えました。それを聞いたイエス様は、「わたしの羊を飼いなさい。」とおっしゃいました。
イエス様は、ペトロの失敗を全部赦して下さったのです。そして最初にペトロに「わたしについて来なさい。人間をとる漁師にしよう」 とおっしゃったように、ペトロをもう一度呼んで、新しい使命を与えて下さったのです。ペトロは、どんなに嬉しかった事でしょう。
イエス様は、ペトロに新しい使命を与えられた後で、こんなお話しをされました。
「よくよく、あなたに言っておく。あなたは年を取ると、自分で行きたくないところに連れて行かれます。」これは、ペトロが悪いことをしないのに、牢屋に入れられたり、ひどい目にあったりするということです。そのことを通して、もっとたくさんの人が、神様の素晴らしさをしるようになるとおっしゃったのです。
それから、イエス様は、「わたしに従いなさい。」とおっしゃいました。
ペトロは、聖霊に満たされて、それからどんなにつらい事があっても、逃げ出さないで、喜んで、イエス様に従いました。
ペテロに「わたしを愛しているか」と聞かれた、イエス様は、私たちにも「わたしを愛しているか」と質問されています。ペトロが「はい、わたしはイエス様を愛します」と答えたように、私たちも、イエス様を愛して豊かな実を結ぶ者でありたいと思います。
この聖書の箇所から、ペトロが結んだ3つの実についてお話ししたいと思います。
(1)悔い改めの実を結びましょう
17節の前の方にこう書いています。
「三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。」
ペトロは、イエス様が3度も「わたしを愛しているか」と聞かれた時、今までの自分の失敗を思い出して、悲しくなりました。
だれが、一番イエス様を愛しているかと比べたり、どこまでもイエス様に従います。と言ったのに、十字架を前にして逃げてしまったこと、あの大祭司の庭で、3度もイエス様を知らないと言ってしまったこと、どんなにあやまっても、赦してもらえないほど、ひどいことをしてしまったからです。
けれども、イエス様は、この時3度も「わたしを愛しているか」と聞かれて、ペトロの気持ちを確かめて、すべての罪を赦して下さったのです。
イエス様は、どんな取り返しのつかない失敗をしても、どんな大きな罪を犯したとしても、悔い改めるなら、すべての罪を赦して下さるのです。そのために、イエス様は、私たちの罪の身代わりに十字架にかかって下さったのです。
ペトロは、そのイエス様の十字架の愛によって、心から悔い改める事ができたのです。そして、この時から、豊かな悔い改めの実を結ぶ人の変えられたのです。
ウィリアム・ブースは、1865年に救世軍(キリスト教伝道と社会福祉の活動を世界各国で行う団体)を創設しました。
そのころ、東ロンドンの住民の多くの人は貧しくて学校に行くことも出来ませんでした。そして、お酒を飲んで悪いことばかりしていました。
ウィリアム・ブース、は多くの人が救われることと、社会が良くなることを考えて、道に立って、人々に聖書のお話をして「悔い改めの座」を開いて、東ロンドンを、神様の喜ばれる国に変えていきました。
そのウィリアム・ブースが天に召された時、多くの新聞記者が自宅に詰めかけました。
新聞記者は、記事に載せる写真を1枚お借りしたいとキャサリン夫人に申し出ました。
「あいにく主人は写真嫌いで……。ただ、彼が夜ひとりで祈っている姿を私が隠れて写したものが1枚だけ残っています」キャサリン夫人は1枚の写真を取り出しました。
それは、彼が神の前にひざまずき、泣き崩れて祈っている写真でした。夫人の話では、彼は毎日その写真のように泣いて悔い改めていたと言うのです。記者たちは驚きました。
「あの高潔で人々を立ち返らせた彼が、そんなに毎日悔い改める必要があったのか」
どんな社会の悪に対しても断固として立ち向かい、ロンドンの人々を悔い改めに導くことが出来たのは、このウィリアム・ブース自身の毎日の悔い改めがあったからです。
人々を「悔い改めの座」に招く前に、彼自身が誰よりも多く悔い改めて、神様から恵みをいただいていたのです。
イエス・キリストの永遠の赦しの約束を握って、日々ウィリアム・ブースのようにきよめられた心を主の御前にささげさせていただきましょう。
17節
「三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。」
イエス様の、御前に罪が示されるなら、それを心から悔い改めましょう。その悔い改めが、豊かな実を結ぶのです。
(2)愛の実を結びましょう
17節
三度目にイエスは言われた。「ヨハネの子シモン、わたしを愛しているか。」ペトロは、イエスが三度目も、「わたしを愛しているか」と言われたので、悲しくなった。そして言った。「主よ、あなたは何もかもご存じです。わたしがあなたを愛していることを、あなたはよく知っておられます。」イエスは言われた。「わたしの羊を飼いなさい。」
イエス様は、ペトロに3度も「わたしを愛しているか」と聞かれました。なぜ、3度も「わたしを愛しているか」と聞かれたのでしょうか。
イエス様にとって、「愛」が一番大切なことでした。イエス様が、十字架にかかられる前、最後の晩餐の時、弟子たちの足を洗われました。そのヨハネ13:1にこう書かれています。
「さて、過越祭の前のことである。イエスは、この世から父のもとへ移る御自分の時が来たことを悟り、世にいる弟子たちを愛して、この上なく愛し抜かれた。」
ここに愛し抜かれたと書かれています。イエス様の生涯は、すべてが愛によって貫かれていたのです。愛がすべてだったのです。ですから、私たちが、イエス様に従う時、一番大切なのは、神様と人とに対する愛です。
アポロ15号が月に着陸した事を知っていますか?その中に、ジェームズ・B・アーウィン宇宙飛行士がいました。ジェームスは、月に降り立った時、バランスを崩して仰向けにひっくり返ってしまいました。
その時、ヘルメットのバイザー越しに、青い地球が目に飛び込んできたのです。彼はこの聖書の言葉を思い出しました。
「 神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」(聖書/ヨハ3:16)
ジェームス・アーウィンは「この世」という箇所を「この地球」と読み替えてみました。その時、イエス様の愛が自分を取り巻いていることが、突然、はっきりと分かったのです。彼は、月で出会ったイエス様を伝えたいと思い、地球に帰還後、伝道師になりました。
私たちは宇宙に行くことはできませんが、この地上で神様の愛、イエス様の愛を見つけることができます。それは、イエス様の十字架に表されています。
イエス様は私たちを愛してくださり、この地球に来てくださいました。そればかりか、私たちの救いのために十字架にかかってくださって、私たちに対する愛を示して下さいました。ですから、私たちも、ペトロのように「わたしもあなたを愛します。」と心からイエス様を愛し、イエス様の愛を一人でも多くの人達に伝えさせていただきましょう。
(3)伝道の実を結びましょう
イエス様は、3度「私を愛するか」と質問された後で、最後だけ、これからペトロの身にどのような事が起こるかをお話しして「わたしに従いなさい」とおっしゃいました。
その時、ペトロはどうしたでしょうか。
①私には出来ませんと断った
②他の人に行かせてくださいと言った
③「はい」と従った。
答えは、②と③です。ペトロは、1度はヨハネを指さして、あの人はどうでしょう。と言ってしまうのです。ところが、イエス様が「あなたは、わたしに従いなさい」と言われると、ペトロは、この時から、どんなに苦しいことがあっても、イエス様の愛を伝える人になりました。
イエス様に従う道、それは、楽しいことばかりではありません。苦しいことやつらい事もあります。けれども、イエス様に従って行くならば、素晴らしい神様の栄光を見ることが出来るのです。
ペトロの事を書いた、「クオバディス」という作品があります。ペトロは聖霊に満たされて伝道旅行をしましたが、ちょうどその頃、64年にローマ大火と呼ばれる大火事がありました。皇帝ネロは、その火事はクリスチャンが起こしたのだと言い始めて、クリスチャンに対する迫害が起こったのです。多くのクリスチャンが、ローマから逃げ出しました。ペトロもローマを後にして逃げ出そうとした時です。よみがえりのイエス様が、道の向こう側からやって来ました。そして、通り過ぎていこうとされたのです。
ペトロが「主よいずこへ」クオバディスというと、「あなたが、ローマーへ行かないのなら、わたしがあなたに変わっていく。」とおっしゃいました。その声を聞いた時、ペトロは、ローマに帰る決心をしたのです。ペトロは、もう一度ローマに向かって歩き出し、ローマでは大変な迫害を受けてもイエス様の愛を伝えたのです。
言い伝えによると、ペトロも十字架につけられたのですが、十字架につけられる時、イエス様と同じでは申し訳ないと言って、逆さ十字架につけられたと言われています。
どうして、おの臆病なペトロが、そんなことまでして、福音を伝えることが出来たのでしょうか。
それは、よみがえりのイエス様が、ペトロと一緒にいて下さったからです。
19節
「ペトロがどのような死に方で、神の栄光を現すようになるかを示そうとして、イエスはこう言われたのである。このように話してから、ペトロに、「わたしに従いなさい」と言われた。」
イエス様は、「わたしに従いなさい。」とおっしゃいました。イエス様が、十字架にかかられて全人類に救いの道を開いて下さいました。そのように、私たちも、私たちの十字架を背負って、キリストに倣う者とさせていただきましょう。
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