教職セミナーのために、お祈りをありがとうございました。
今年は、奥多摩バイブルシャレーで、40数名の教職が集まって、牧師であり、心理学者でもある丸屋真也先生から、「牧師のメンタルケアー、認知行動療法」についての学びの時が与えられました。また、早天や聖会でメッセージを聞くことが出来、感謝でした。
今年の、主題聖句は詩編136篇でした。1~2節
「主よ、あなたはわたしを究め/わたしを知っておられる。2 座るのも立つのも知り/遠くからわたしの計らいを悟っておられる。」
その中で、先生方の牧会のご苦労を伺いました。そして、すべてをご存じの神様が共におられるとということにこそ、本当の解決があると証ししてくださいました。
すべてを知っておられる神様が共におられる事こそが、私たちの最大の祝福です。
今日の中心の御言葉は、出エジプト13:21~22です。
「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。22 昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。」
出エジプトをしたイスラエルの民の先頭に主がおられました。そして、昼は雲の柱、夜は火の柱となって、神様の御臨在を明らかにしてくださったのです。この聖書の箇所から3つの事をお話ししたいと思います。
(1)遠回りをして与えられる祝福
人生には、自分の願い通りではなく、遠回りをしなければならないことがあります。しかし、遠回りをしなければすることのできない、素晴らしい経験があります。
エジプトを出たイスラエル人は、カナンの地を目指して旅を始めました。
当時、エジプトから東へ向かうためによく使われた道が3つありました。
最初の道は地中海の海岸沿いを旅する、ペリシテ街道で、一番近道でした。次の道は、シュルの荒野を通って、ベエルシェバに向かう道です。そして、三番目は、当時エジプト人とアラビヤ人が交易のために用いていた道で、シナイ半島の真ん中を縦断する道です。
しかし、神様は、イスラエルの民をその3つのどの道でもなく、一番南にあるシナイ山を通る荒野へと導かれました。
その理由が、13章17節に書かれています。
「さて、ファラオが民を去らせたとき、神は彼らをペリシテ街道には導かれなかった。それは近道であったが、民が戦わねばならぬことを知って後悔し、エジプトに帰ろうとするかもしれない、と思われたからである。」
ペリシテ街道を始め、彼らが普段通る道を通ると、ペリシテ人と戦いを避けることが出来ません。戦いに負けると後悔して、エジプトに帰ろうとするかもしれません。そこで、荒野を通る遠回りの道に導かれたのです。
神様が、シナイ山への道に導かれたのには、他にもいろいろな理由があったと考えられます。カナンの地に到着する前に、神様はイスラエルの民に、いろいろな体験を通して、訓練されたのです。
まず、イスラエルの民は、紅海を渡り、エジプト軍が滅ぼされるという奇蹟を通して、信仰が強められました。
また、イスラエルの民は、何ものにも邪魔をされない、シナイ山のふもとで、律法を与えられ、神様との契約を結ぶ必要がありました。
そして、食料のほとんどない荒野で、ある時はウズラが飛んできたり、毎日マナによって養われることで、神様がすべての必要を満たしてくださるお方であることを知ることになるのです。
そのように、神様は、時には私たちに遠回りをさせることがあります。しかし、その遠回りを通して、そこを通らなければ、得ることの出来ない祝福を与えて下さるのです。
今日は、齋藤 悠兄と、佐藤明香姉の婚約式があります。優くんも、この結婚に至るまで、いろいろ遠回りをして、一番いい人と出会ったと聞きました。
実は、私も遠回りをして、家内との結婚に導かれました。
私は、高校を卒業して、2年浪人をしました。一浪は仕方がないと思いましたが、二浪が決まった時は、しばらく何も考えられませんでした。浪人時代は、良く早天祈祷会に行きました。神様に祈って勉強をしたのです。それなのに、なぜ2浪もしてしまったのかと、神様に対して、つぶやきたくなる時もありました。
けれども、今考えると、2年浪人していなかったら、私と家内とは4つ違いで、家内は短大でしたから、家内と出会うことはなかったのです。2年浪人したので、2年間KGK(キリスト者学生会)の交わりを通して、良い友との交わりが与えられ、家内と出会う事が出来たのです。その後、献身に導かれ神学校では恋愛御法度でしたから、家内と出会って結婚まで8年もかかりましたが、遠回りをしたからこそ、今の私たち家族があるのです。
神様は、私たちにとって、最善の事を成してくださるお方です。このお方が共にいて下さるなら、たとえ遠回りをしても大丈夫です。いや、その遠回りをしなければ得ることの出来ない祝福を用意して待っていて下さるのです。
(2)ヨセフの骨を携えていたモーセ
19節
「モーセはヨセフの骨を携えていた。ヨセフが、「神は必ずあなたたちを顧みられる。そのとき、わたしの骨をここから一緒に携えて上るように」と言って、イスラエルの子らに固く誓わせたからである。」
この時、彼らはヨセフの願い通り、ヨセフの遺骨を携えていました。それは、ヨセフが生きていた時に、子どもたちにその事を誓わせていたからでした。
創世記50:24~25
「ヨセフは兄弟たちに言った。「わたしは間もなく死にます。しかし、神は必ずあなたたちを顧みてくださり、この国からアブラハム、イサク、ヤコブに誓われた土地に導き上ってくださいます。」25 それから、ヨセフはイスラエルの息子たちにこう言って誓わせた。「神は、必ずあなたたちを顧みてくださいます。そのときには、わたしの骨をここから携えて上ってください。」
ヨセフは、信仰によって、神様がもう一度彼らをカナンの地に戻してくださる事を信じていました。
その事は、ヘブライ11:22でも分かります。
「信仰によって、ヨセフは臨終のとき、イスラエルの子らの脱出について語り、自分の遺骨について指示を与えました。」
ヨセフは、エジプトがイスラエルの民の永住の地でないことを知っていました。そこで、イスラエルの民は、エジプトに住んでいる時も、将来必ず、カナンの地に変えることができ事を信じていたのです。
それと同じように、今は私たちは罪の世に住んでいますが、罪に属するものではなく、いつかはこの世を去って、とこしえの国を受け継ぐことを待ち望んでいるのです。
来週の土曜日に、基督教独立学園高等学校の同窓会が行われます。久しぶりに、高校時代の友人に会えることを楽しみにしていますが、この独立学園は、内村鑑三の弟子、鈴木弼吉先生によって創設されました。
その、内村鑑三は、1912年(明治45年)に非常に愛していた娘、ルツ子を失いました。彼女の病気は、当時の医学では、正体の良く分からない難病でした。 内村鑑三は、娘の癒しのために熱心に祈りましたが、その祈りにもかかわらず、病気は悪くなり、ついに、死の宣告を下されました。
内村鑑三は、娘の臨終の様子をこう書いています。
「ルツ子は、病気により、無邪気な少女から信仰の篤い婦人となった。病は彼女の肉を滅ぼしたが、霊を救った。ことに、医師よりの宣告が下った後の彼女は、信仰的に立派で、神とキリストの名を聞いて彼女の目は涙で浸された。彼女は自分の罪を悔い、これを神の御前に言い表して、その赦しを得た。」
ルツ子さんの臨終の3時間前に、両親と共に最後の聖餐に与りました。その後で、ルツ子さんは、「感謝、感謝、お父さん、お母さん、もう往きます。」と言って、19才の生涯を終えたのです。
内村鑑三は、娘の告別式の時に、最後に立って、謝辞を述べました。その謝辞の中で「今日は、ルツ子の葬式ではなく結婚式です。」と言いました。
墓地で埋葬が行われた時に、地下に身をかがめて棺が納められ、遺族が土をかけることになりました。
その時に、内村鑑三は、一握りの土をつかんで、その手を高く挙げて大声で「ルツ子、万歳。」と叫んだのです。
愛する娘の死は、内村鑑三の復活の信仰を不動のものにし、彼の多くの信仰の戦いの中で、決して屈することのない、勝利の力になったというのです。
19節
「モーセはヨセフの骨を携えていた。ヨセフが、「神は必ずあなたたちを顧みられる。そのとき、わたしの骨をここから一緒に携えて上るように」と言って、イスラエルの子らに固く誓わせたからである。」
ヨセフが、必ずカナンの地に変えることを信じて、モーセがヨセフの遺骨を携えて、カナンに旅だったように、イエス・キリストを信じる私たちも、召天記念礼拝の時に、「本国はは天にあります。」という御言葉をいただきましたが、私たちは、天国を待ち望みながら、この世の旅路を歩ませていただきましょう。
(3)昼は雲の柱、夜は火の柱
イスラエルの民は、スコトを出発し、荒野の端のエタムに宿営しました。ここに、素晴らしいことが書かれています。
21~22節
「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。22 昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。」
神様が、昼は雲の柱、夜は火の柱の中にいて、イスラエルの民を導かれたのです。
シナイ半島の、荒野の旅は大変な旅です。4年前に、聖地旅行に行かせていただきましたが、その時、シナイ半島を観光バスで、旅しました。シナイ半島は、どこまで行っても、岩山です。景色が変わるのは、岩の色が変わるのと、時々、オアシスがあって、そこに小さな村があるくらいです。
岩山は、昼になると灼熱の太陽がイスラエルの民を照らします。しかし、その時に、神様が共にいて雲の柱となって導いてくださったので、雲の柱の陰の中を彼らは旅をすることができたのです。
また、夜になると、気温が下がって、凍えるような寒さになります。しかし、神様は火の柱となって導いてくださったので、その凍り付くような寒さから守られ、それだけでなく、火の柱によって、周囲が明るくなり、荒野にひそんでいる獣や危険から守られたのです。
この雲の柱、火の柱は、神様の御臨在の象徴です。神様が先立って導いてくださるので、彼らはどのような危険からも守られ、地図がないにもかかわらず、迷うことなく旅をすることができたのです。
それと、同じように、神様は私たちを罪の世界から、導き出してくださるだけではなく、天国にいたるまで、荒野の旅路を、先頭に立って導いてくださるのです。私たちが道に迷う時にも、祈るならば、神様は必ず、私たちを雲の柱、火の柱のように導いてくださるのです。
この経験は、将来のイスラエルの民の力になっていきました。
招詞で、申命記の1章を読んでいただきましたが、彼らが、カナンの地を偵察に行った、カデシュ・バルネアでもそうでした。あの時、12人の偵察隊が、カナンの地を偵察に行きますが、ヨセフとカレブの他の10人は、「そこの住民は我々よりも強くて、背が高く、町々は大きく、城壁は天に届くほどだ。」どうして、そんなところに行かなければならないんだと言って、イスラエルの民を不安にさせます。その時に、モーセはこう言うのです。
申命記1:29~33
「わたしはあなたたちに言った。「うろたえてはならない。彼らを恐れてはならない。30 あなたたちに先立って進まれる神、主御自身が、エジプトで、あなたたちの目の前でなさったと同じように、あなたたちのために戦われる。31 また荒れ野でも、あなたたちがこの所に来るまでたどった旅の間中も、あなたの神、主は父が子を背負うように、あなたを背負ってくださったのを見た。」32 こう言っても、あなたたちの神、主をあなたたちは信じなかったが、33 この方こそ、あなたたちの先頭に道を進み、あなたたちのために宿営の場所を探し、夜は火、昼は雲によって行く手を示された方である。」
ここでも、「夜は火、昼は雲によって行く手を示された方である。」と言っています。
神様は、イスラエルの民といつも共にいて下さったように、私たちと共にいて下さるお方です。
神様が共にいてくださる。これ程素晴らしい祝福はありません。
今年の、日本シリーズは、ヤクルトとソフトバンク・ホークスの戦いとなりました。私の兄弟の2番目は、ヤクルトファンで、3番目はソフトバンクファンです。そこで、その前までは、ラインで良く連絡を取っていたのですが、この期間だけは、お互いに気遣って、だれも投稿をしませんでした。試合が終わって、「ソフトバンク優勝おめでとう。ヤクルトの山田哲人の3連続ホームラン凄かったね。」と両者をたたえるような投稿があって無事に日本シリーズが終わりました。
その優勝したソフトバンクの中に、素晴らしいクリスチャンが二人いるのをご存じでしょうか。二人ともピッチャーで、一人は、ジェイソン・スタンリッジ、もう一人はデニス・サファテです。この二人は、試合の中でも、ひざまずいて祈ったり、日曜日には、福岡のいろいろな教会に行って、証しをしたり、サインボールをプレゼントしたりしています。私たちの教団の福岡エルシオン教会にも来たと、その時の写真を見せてくれました。
その二人の証しが、チラシになっています。その中に、神様が共にいて下さる恵みが書かれています。
クリスチャンホームの家庭に生まれ、幼い頃から信仰をもってきたスタンリッジ選手は、こう話しています。
「僕はたとえ試合の結果が悪くても、心の底から動揺しないんだ。神は、僕が失敗しようと、しまいと、変わらず僕を愛してくれているからね。もちろん、試合するからには何としても勝ちたいと思っている、でも、勝つ時もあれば負ける時もあるとポジティブに思えるんだ。」
サファテ選手も、以前と考え方が変わったと言っています。
「以前は、ひどい試合をしてしまうと怒鳴り散らしたり、やけ酒を飲んだりしていたけれど、今は違う。自分は今、神のためにプレーをしている。たとえ負けても、自分の人生が終わるわけではないと思えるんだ。今は、イエス・キリストが僕の心の中に生きていることがわかる。それが、自分を内側から変えたのだと思う。」
残念ながら、スポーツ選手の寿命は短いものです。「いつまで活躍できるかわからない。」と二人は言っていますが、未来に不安はないといいきっています。
「神は、僕の人生に計画をもっていてくださる。僕は、今置かれているこの場所で、ベストを尽くしたい。」
どのチームにいても、たとえ野球選手でなくても、おそらくこの二人の姿勢は変わらないと思います。いつでも、どんな時でも、神様が共にいて、助けてくださるからです。
21~22節
「主は彼らに先立って進み、昼は雲の柱をもって導き、夜は火の柱をもって彼らを照らされたので、彼らは昼も夜も行進することができた。22 昼は雲の柱が、夜は火の柱が、民の先頭を離れることはなかった。」
昼は雲の柱、夜は火の柱として、イスラエルの民と共にいて下さった神様は、私たちの人生でも、目には見えませんが、雲の柱、火の柱となって共にいて下さるお方です。その神様の御臨在と、導きと守りの中を、私たちも歩ませていただきましょう。
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