今日の中心の御言葉は、6節です。
「イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」
ビリー・グラハムは、世界的に有名な伝道者です。そして、今は息子のフランク・リングラハムがその後を継いでいます。そのクルセードは、多くの人たちが集まるので、広い会場が使われます。ある時は、野球場が使われて、そこに一杯の人が集まります。 そのステージ上には、いつも「わたしは道であり、真理であり、命である。」という言葉が掲げられています。「わたしが道、真理、命」という自己紹介は、イエス様お一人だけが、父なる神様と私たちの間を執り成してくださる唯一の、救い主であることを示しています。
イエス様は、十字架にかけられる時が近くなった時、弟子たちに最後の話しをされました。そのことを聞いた弟子たちは、不安になってしまったのです。そこで、イエス様はこうおっしゃいました。1節を読んでみましょう。「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」
私たちは、将来のことを考えたり、初めてのことをする時には、心配になって、心を騒がせることがあります。しかし、そのような私たちにイエス様は、「心を騒がせるな。神を信じなさい。そして、わたしをも信じなさい。」と言われるのです。
イエス様が、私たちと共にいて、私たちを守ってくださいます。だから、心配する必要はないのです。
イエス様は、2節で
「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。」 と天国の話しをされました。
ところが、弟子たちは、イエス様の言われたことが、全くわかりませんでした。そして、弟子たちの中でも解らないことは、解らないとはっきり言った弟子がいました。
それがトマスです。5節にはこう書かれています。
「 トマスが言った。「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」
トマスは、本当に正直で、また熱心な人でした。ですから、イエス様に対して、自分には分からないことを、わたしには分かりません。と言ったのです。
みなさんは、解らないことがあったら誰に聞けば良いと思いますか。
解らないことは、先生やお父さんやお母さんに聞くことは大切な事です。そして、それでも分からない時は、お祈りをする事です。知ったかぶりをしてはいけません。
トマスは、イエス様の言葉が分かりませんでした。そして、トマスの素晴らしさは、自分に分からないことをイエス様にお尋ねしたことです。
わたしたちも、聖書を読んでいて、イエス様がおっしゃったことで分からないことがあります。けれども、それは全然恥ずかしいことではありません。
ただ、その答えをイエス様に求めればいいのです。そうするなら、イエスが 「求めなさい。そうすれば、与えられる。探しなさい。そうすれば、見つかる。門をたたきなさい。そうすれば、開かれる」 (マタイ7:7)とおっしゃったように、必ず、求める者には、その答えを与えてくださるのです。
トマスが、「主よ、どこへ行かれるのか、わたしたちには分かりません。どうして、その道を知ることができるでしょうか。」 とイエス様に尋ねると、イエス様はそれにお答えになりました。
それが、6節です。
「イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」
この御言葉は、イエス様御自身を良くあらわした偉大な御言葉です。
そして、この御言葉は、多くの人に語られてきた有名な言葉でもあります。イエス様は、この御言葉の中で、ご自分のことを3つの言葉であらわしています。
1つは道、もう一つは真理、そして、もう一つは命です。
(1)わたしは、道である。
今週の月曜日に、東北聖会の講師の本間義信先生と、証し者の酒井章世姉が来られました。本間義信先生の生まれ故郷が鶴岡なので、車でドライブに行ってきました。あいにく雨でしたが、きれいな紅葉や最上川を観たり、白鳥が田んぼで餌を食べている姿を見て、楽しい時を過ごしました。
はじめて、本間先生の生まれ故郷に行くので、道が分かりませんでしたが、今は便利な世の中です。カーナビに案内されて、無事にお連れすることが出来ました。
良く人生が、旅に例えられます。私たちは、将来のことは分かりません。けれども、道案内をカーナビがしてくれるように、神様は、私たちの人生という道を、導いてくださるお方です。そして、私たちの人生のゴールはどこでしょうか。天国です。私たちは、信仰の道を進んでいますが、最後には、神様が天国で私たちに、素晴らしい住まいを用意して待っていてくださるのです。
2~3節
「わたしの父の家には住む所がたくさんある。もしなければ、あなたがたのために場所を用意しに行くと言ったであろうか。3 行ってあなたがたのために場所を用意したら、戻って来て、あなたがたをわたしのもとに迎える。こうして、わたしのいる所に、あなたがたもいることになる。」
それでは、どうすれば、私たちは父の家に行くことが出来るのでしょうか。
イエス様の言葉の中にその答えがあります。
6節で、イエス様は、「わたしは道である。」とおっしゃいました。
イエス様は、私たちと共にいて、私たちの人生の道案内をしてくださるお方です。
私たちにとって、人生の道というのは、初めてのことばかりです。私たちは、一年後のことは解りません。いや、明日のことも、一時間後のことでさえも解りません。
そのような、人生の旅人である、私たちに対して、イエス様は、「わたしは、道である」と私たちを正しい道へと道案内をしてくださるのです。
イエス様は、私たちと共に歩み、私たちを導いてくださるお方です。そして、イエス様は、「わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」とおっしゃいました。イエス様だけが、天国へ導いてくださる道なのです。そのイエス様に導かれて、まっすぐに天国への道を進んでいきましょう。
(2)わたしは、真理である。
イエス様は、「わたしは真理である。」と言われました。真理というのは、いつまでもけっして変わることのない本当のことです。
しかし、私たちの周りには、真理と思っていることが、間違っていることがたくさんあって、「何が真理か」が、よく分からない時代です。
地球は、24時間で一周回り、太陽の周りを365日で一周回ります。それは、ガリレオ・カリレーが説いた地動説で、今では小さな子どもでも知っていることですが、400年くらい前には、地球は動いていない。太陽や月や星が地球の周りを回っているのだとみんなが信じていたのです。人間は、これが真理だと信じていても、間違ってしまうことがあります。
そして、この世には、真理だといわれるものが数多くあります。しかし、最も偉大な真理は、イエス様御自身です。
スイスにカールバルトという神学博士がいました。カールバルトは、20世紀最高の神学者であり、偉大な哲学者といわれています。
このカールバルトが、アメリカに行った時のことです。博士を囲んでセミナーが行われました。そのセミナーの中で、一人の学生が、「バルト博士、これまで、あなたが発見した、最も偉大な真理は何ですか?」と質問をしたそうです。
出席した人たちは、みんな、カールバルト先生が、何か偉大な、今まで一度も聞いたことのない素晴らしい答えが返ってくることを期待して、身を乗り出すようにしてその答えを待っていました。
すると、バルト先生は、その偉大な白髪の頭をゆっくりあげて、学生を見つめてこう言いました。
「Jesus loves me this I know for the Bible tell me so」とあの主我を愛すの歌詞を、ゆっくり語ったのです。「わたしはイエス様が愛しておられることを知っています。なぜなら、聖書にそう書いてあるからです。」という意味です。
イエス様は、私たちに対する愛を語られました。そして、その愛を十字架で命を捨てて、3日後によみがえられて現されたのです。そこに、本当の真理があります。
「わたしは真理である。」イエス様こそが、真理なのです。
(3)わたしは命である
イエス様は、「わたしは・・・いのちである」とおっしゃいました。
イエス様がおっしゃる命というのは、やがて朽ちる肉体の命ではありません。イエス様と共に生き続ける永遠の命なのです。
それは、イエス様が、わたしの罪のために十字架にかかってくださったということを信じるものに、一方的な恵みとして与えられるものです。
ヨハネ3:16でイエス様はこうおっしゃっておられます。
「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」
イエス様は、私たちの罪のために十字架にかかって下さり、罪と死に勝利されて、3日後によみがえられました。そのイエス様を信じるものにも、永遠の命が約束されているのです。
10月31日は宗教改革記念日でした。この宗教改革をしたのが、マルチン・ルターです。
ルターには、3男3女の子どもが与えられましたが、その中にマグダレーナというかわいい娘がいました。このマグダレーナは、とても優しい女の子だったので、お父さんのルターは特別にかわいがっていました。
ところが、この娘が13歳のとき、大変な病気にかかってしまいました。そして、その病気がだんだん悪くなってしまっいました。 そして、とうとうある日、お医者さんに「娘さんの病気は重くて、長く生きることは出来ません。」と言われました。
お父さんは、ある日寝たきりになったマグダレーナの所に行って、病気のことを話して「天のお父様のところに行く準備は出来ていますか。」とやさしく尋ねました。
マグダレーナは、イエス様を信じていたので、泣いたり叫んだりしないで、「神様の御心がなりますように」と言って、すべてを神様の御手にお委ねして、とてもいい顔をしていました。
ところが、それとは逆に、お父さんのルターは悲しくて悲しくて心が張り裂けるようでした。とうとう、その悲しみに耐え切れずに、ひざまづいて、激しく泣いてしまいました。しかし、その後お父さんは、一生懸命娘のために祈ったのです。そして、祈っているうちに、私たちの罪のために十字架に架かって、3日の後によみがえって下さったイエス様が、娘を必ず天国に連れて行って下さると、心から信じることが出来たのです。 その時、ルターの心の中に、神様から平安が与えられ、天国への希望と喜びをもって、マグダレーナを天国に送ることが出来たのです。
私たちの罪のために十字架にかかられ、三日目によみがえられたイエス様だけが、私たちに永遠の命を与えてくださるお方です。
「イエスは言われた。「わたしは道であり、真理であり、命である。わたしを通らなければ、だれも父のもとに行くことができない。」
この道であるイエス様に導かれ、真理の道に従い、永遠の命を目指して歩ませていただきましょう。
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