先週の金曜日に、青年たちは昨日、富沢裕美さんをお見舞いに行ってきました。その日は、初めて赤ちゃんが、部屋に連れられて来た日で、赤ちゃんの名前はまだ決まっていませんが、赤ちゃんを抱っこして本当に幸せでした。
そして、「神と人とに愛された。」というルカ2章の御言葉を開きましたが、この赤ちゃんが、神と人との愛される生涯を過ごすことが出来るようにと心から祈りました。一番素晴らしい人生は、御言葉に従って、神様と人とに愛される人生です。
14~27節には、モーセとアロンの系図が書かれています。これは、ヤコブから始まった祝福が、親から子へ、子から孫へと受け継がれている素晴らしい系図です。
けれども、なぜ、出エジプトが始まろうとしている大切な事が書いているこの時に、わざわざ、モーセとアロンの系図が書かれているのでしょうか。
それは、ユダヤ人にとって、ある人物について述べる場合、系図が大切にされていたからです。特にその人が、イスラエルの12部族とどのような関わりを持っているかは、ユダヤ人にとって非常に関心のあることでした。
このアロンとモーセ系図を通して、3つの事をお話ししたいと思います。
(1)イスラエルの民の祝福
この系図には、イスラエルの12人の子どものうちの、3人の名前が書かれています。まず、14節にある、長男のルベン、 「彼らの家系の長は次のとおりである。イスラエルの長男ルベンの子らは、ハノク、パル、ヘツロン、カルミで、これらがルベンの氏族である。」
次に15節にある次男のシメオン。
「15 シメオンの子らは、エムエル、ヤミン、オハド、ヤキン、ツォハルおよびカナンの女から生まれたシャウルで、これらがシメオンの氏族である。」
そして、16節にある三男のレビです。
16 レビの子らの名は家系に従うと次のとおりである。ゲルション、ケハト、メラリ。レビの生涯は百三十七年であった。」
モーセとアロンは、三男レビの子孫として生まれました。レビには、息子が三人います。ゲルション、ケハテ、メラリです。
これらの歴史を見ると、モーセとアロンが歴史上実際に存在していた人物である事が解ります。また、イスラエルで始まるこの系図を見ると、モーセとアロンが神様から選ばれた選民の子孫である事が解ります。
神様は、この出エジプトを始めようとするこの世の歴史をすべて導かれ、一切の権限を持っておられます。それは、神様の愛の故、人間の救いのためです。ですから、イスラエルの民が行わなければならないことは、ただ、神様の御計画に従うことでした。
そして、ヤコブの信仰は、12人の子どもたちに、伝えられ、その信仰は子々孫々へと伝えられていったのです。そのイスラエルの信仰が継承されていった事が、この系図に表されているのです。
先週の木曜日、治面地学くんの所属している、山大の医学部聖研が主催で、やくざから牧師になった進藤龍也先生の講演会が、蔵王キリスト教会で行われました。
進藤龍也先生の、講演会の前に、カーボーイハットをかぶった、静岡から来られた見城牧師が、カントリー調の賛美を3曲くらい歌ってくださいました。
その講演会は、勿論素晴らしかったのですが、その集会が終わった後、最初に賛美をした見城先生から、見城先生のお父様のお証しをいただきました。それを読んで、非常に恵まれました。
先生のお父さんは、静岡城北キリスト教会の牧師、見城良雄先生で、若い頃、材木屋をしていました。戦後の復興の波に乗って、材木商で大いに金儲けをして、遊び回っていました。
ところが、そのような時に、奥さんが、教会に通うようになり、イエス・キリストを信じたのです。イエス様を信じてからの奥さんは、全く変わり、毎晩の晩酌の用意はしなくなるし、日曜日にどこかに遊びに行こうと言ったても、生きたくないというし、考えることがてんで合わなくなってしまいました。また、事業にも失敗してしまって、大変苦労しました。
そこで、ある日、奥さんを呼んで「キリスト教は止めてくれ、もし止めないなら別れる。オレを取るか、キリスト教を取るか 二つに一つ返事をしろ。」と迫ったそうです。 ところが、その時に奥さんは、キリストの愛からどうしても離れられないと返事をしたのです。
そう答えた、奥さんに対して、いろいろ嫌がらせをしましたが、それでも、奥さんは、信仰を捨てようとはしません。そこで、友人相談をすると、「あなたは、キリスト教を学んだことがありますか。もし、教会に行って、キリスト教を知って、本当にそれが、悪い宗教なら、その人から、奥さんにキリスト教から離れるように言ってもらったら良いじゃなんですか。」と言われ、それもそうだと、教会に行ったのです。
その教会の牧師に、教会に行く奥さんや従業員の不満を並び立てたのですが、牧師は、それをニコニコと全部聞いてくれたのです。不満と怒りをぶっつける自分の姿と、愛をもって受けとめてくれる牧師の姿の雲泥の差に、だんだん恥ずかしくなってきました。
牧師は、そこで、神様について、キリストについて、その神様の元を離れているから、人間は不幸なのだと話してくれたのです。
その話しを聞きながら、見城さんは、自分の罪に気付きました。特に、あの景気の良い時に、よく料理屋で、芸者遊びをしてきたので、「だれでも、情欲をいだいて女を見るものは、すでに心の中に姦淫を犯したのである。」と言う言葉には、ドキッとしました。そして、その場で、罪を悔い改めて、イエス・キリストを救い主と信じたのです。
その時から、見城さんの人生が変わりました。今まで止められなかった、酒やタバコをやめ、今まで犯した罪を赦された喜びに満たされました。
そして、奥さんと一緒に礼拝に通い、祈ることが何よりもの喜びに変わりました。
そして、58歳まで、普通に仕事をしていましたが、58歳で献身をして、福音を伝えるようになりました。そして、次々に救われる魂が起こされて、教会が誕生したのです。
そして、先生には、12人の子どもが与えられましたが、みんながクリスチャンになり、先生が96歳になられた時には、子や孫まで入れて、60人以上がクリスチャンになったというのです。そのチラシと、写真を見せてくださって、本当に感動しました。
「主イエスを信じなさい。そうすれば、あなたも家族も救われます。」その御言葉通り、神様は、私たちの家族や子孫を祝福してくださるお方です。
今日、読んでいただいた聖書には、ヤコブのからモーセやアロンの系図が書かれています。ヤコブに与えられた祝福が、このようにイスラエル全体に与えられたのです。
そのように、私たちを救ってくださった神様は、私たちの子どもや子孫を祝福してくださるお方です。
私たちも、このアロンとモーセの系図のように、子どもから孫へ、孫からひ孫へと、信仰を継承していく者とさせていただきましょう。
(2)モーセとアロンの両親、アムラムとヨケベテ
20節をご覧下さい。
「アムラムは叔母ヨケベドを妻に迎えた。彼女の産んだ子がアロンとモーセである。アムラムの生涯は百三十七年であった。」
ここに、アロンとモーセの両親の名前が書かれています。「アムラムは叔母ヨケベドを妻に迎えた。」と書かれています。近親の結婚は、レビ記で律法によって禁じられるまで、許されていたと考えられます。
アムラムとヨケベドは、ごく普通のイスラエル人でした。ファラオは、ヘブライ人の男の子が生まれたら川に捨て殺すように命じましたが、アムラムとヨケベドはそうはしませんでした。危険を承知で、3ヶ月間隠して育てた後、パピルスの籠にモーセを入れて、それをナイル川の葦の茂みに流したのです。そして、娘のミリヤムを送って様子をうかがわせました。
この子を乗せた籠は、ナイル川を流れていきました。心配していた姉のミデアンは、その籠の後を追っていきました。
すべての時は、神様の御手の中にあります。ちょうど、この子の寝ている籠が流れていくその時に、王女たちは、ナイル川に降りてきたのです。そして、その籠の中を見てみると、男の子が泣いていたのです。王女は、この赤ちゃんを見て、かわいそうに思い、「これは、きっとヘブライ人の子です。」と言いました。
その時です。すっと後を付いてきた姉が、7節「この子に乳を飲ませるヘブライ人の乳母を呼んで参りましょうか。」と提案するのです。
それを聞いた王女は、 「そうしておくれ」と頼んだので、妹は母を連れてきました。
何という神様の御計画でしょうか。この子は、命を守られただけではなく、ファラオの王女に助けられ、その子どもを乳を飲ませる母として、大きくなるまで実の母である、ヨケベドに育てられたのです。ヨケベドは、乳離れするまで、真の神様について伝えることが出来たのです。
Oユダヤ人は、モーセの父アムラムを非常に尊敬しました。アムラムについてこのような伝説が残っています。
「エジプト人は、巧妙な誘惑でヘブル人をこき使いました。始め、エジプト人は、れんが一つにつき、1シェケルを与えました。この条件をイスラエルの民は非常に喜んで、もっとたくさん稼ぐために、超人的な力で仕事をしました。しかし、欲は尽きず、ヘブライ人はエジプトと不可能な約束を結びました。エジプト人は、この時とばかり、ヘブライ人を奴隷のように酷使するようになってしまったのです。
しかし、アムラムは、エジプト人の誘惑に負けずに、1シェケルで満足したので、それ以上の契約を結びませんでした。だから、エジプト人も、アムラムにそれ以上のことを要求することが出来ず、アムラムは、エジプト人の奴隷のように働かずにすんだというのです。」
Oまた、ヨケベドは、顔から特別な輝きを発していたため『神の光』という意味の名前をつけられていたという伝説もあります。
神様は、特別にアムラムとヨケベドを選ばれて、アロンとモーセを守られたのです。
私たちも、アムラムやヨケベドのように、愛する子どもたちに、命がけで、聖書の御言葉と、神様の愛を伝えたいと思います。
ジョン・ウェスレーの母、スザンナ・ウェスレーは、19人の子供を育てましたが、与えられたかわいい子供達を、なんとしても立派に育てようと決心したスザンナは、祈りと御言葉によって子供を育てました。
毎朝、旧約聖書を一章、夜は新約聖書を一章、そして、毎日二回詩編一緒に読んだそうです。子供を正しく教育するためには、聖書ほど良い物はないと思ったからです。子供達が神様に従い、神様のお役に立つことが彼女の一番の願いでした。
スザンナは、19人の子供の内9人が、病気や事故で天に召されてしまいましたが、神様は、スザンナの祈りに応えてくださいました。
ジョンは、伝道者となり、特に当時は、上流階級の人だけが教会に行っていましたが、ジョン・ウェスレーは、路傍伝道を行い、貧しい人や、罪人呼ばわりされている人たち、すべての人に福音を伝えたのです。
そして、弟のチャールズ・ウェスレーは多くの讃美歌を書き、新聖歌の中にも彼の書いた讃美歌がありますが、多くの讃美歌を作曲しました。そのようにして、スザンナ・ウェスレーの子ども達によって、リバイバルの炎が燃え上がったのです。
彼らの働きによって、多くの人がイエス・キリスト信じ、罪を悔い改めて、当時腐敗していたイギリスが、紳士の国とまで呼ばれるように変えられていきました。そして、
ジョン。ウェスレーの有名な言葉に「世界は我が教区」という言葉がありますが、世界中に福音が伝えられていったのです。
ヘブライ人への手紙11章23節
「信仰によって、モーセは生まれてから三か月間、両親によって隠されました。その子の美しさを見、王の命令を恐れなかったからです。」
アムラムとヨケベドは、「信仰によって、」と書かれているように、神様を信じる信仰によって、危険をおかして、命がけで、我が子を3ヶ月間隠したのです。神様は、その信仰を見られて、エジプトの王女を用いられ、実の母であるヨケベドが、乳母として用いられ、子育てを出来るようにしてくださったのです。
私たちに与えられた子どもたちも、神様が委ねてくださった、大切な存在です。この子どもたちに、一番大切な、神様を愛する信仰をもって育てようではありませんか。
特に、今週の土曜日から、ホサナサマーキャンプが行われます。教会員の子どもたちは、勿論ですが、はじめての子どもたちも歓迎です。和良君のように、ホサナサマーキャンプだけは絶対に逃さない、そういうお友だちも大歓迎です。ぜひ、お子さんや、お孫さん、ご近所の子どもたちをお誘いください。神様が、その子どもたちを通して、素晴らしい救いの業を成して下さることを信じています。
(3)神様が選ばれたアロンとモーセ
26~27節をご覧ください。
「主が、「イスラエルの人々を部隊ごとにエジプトの国から導き出せ」と命じられたのは、このアロンとモーセである。27 そして、イスラエルの人々をエジプトから導き出すよう、エジプトの王ファラオの説得に当たったのも、このモーセとアロンである。」
このモーセとアロンの系図が示すように、モーセは、ずつと以前から神様から選ばれた指導者でした。モーセがイスラエルの民の指導者になったのは、決して偶然ではありません。モーセとアロンは、ファラオに神様の御心を伝えるという特別な使命のために、神様から選ばれたのです。
そして、28:1には、レビ人の系図に産まれたアロンの子孫が祭司として選ばれた事が書かれています。そして、その時から、祭司として選ばれるのは、レビ人だけに限られるようになりました。その祭司の役目は、祭壇を築き、神様と人との間をとりなす、祈り手です。
神様は、アロンとモーセをイスラエルの指導者してだけでなく、神様とイスラエルの民をとりなす祈り手として立てられたのです。
今から数十年前に南アフリカ共和国で、たくさんの人々がイエス様を信じて街々にたくさんの教会が建てられた時代があったそうです。
そのような事が、起こった背後に美しい物語があったそうです。ある村に、何人かのクリスチャンがいました。彼らは大変貧しくて、掘っ建て小屋のような家に住んでいました。それでどうしても教会を建てることが出来なかったのです。そこで、村の外側に一カ所祈りの祭壇を作ったのです。みんなその場所に行って祈りを捧げました。最初のうちはそのような場所が出来たので嬉しくてその場所に行きました。そして、多くの人がクリスチャンになり、その道を祈るために歩くので、いつのまにか村からその場所に皆が行くので、道が出来ました。
ところが、しばらくするとみんなが、忙しくなって、その祈りの場所に行って祈らなくなってしまいました。すると、村から祈りの場所に行く道に草が生えて道が見え無くなってしまいました。
そこで、これでは駄目たと思った彼らは、こんなあいさつを交わすようになったそうです。「愛する兄弟、姉妹、あなたの道に草が生えていますよ」
そのように励まし合って、祈ることによって、南アフリカに神様の祝福が広がって行ったというのです。
「愛する兄弟、姉妹、あなたの道に草が生えていますよ」
どうでしょうか。私達の祈りの道に、雑草が生えていなかったでしょうか。「しばらく祈っていなかったな」と言う人がいるならば、是非、今日から祈り始めてください。
多くの人たちが、神様を知らずに滅びに無かつています。しかし、わたしたちが、神様のために、また人のためにとりなしの祈りを始めるならば、神様が私達を祝福の源にして下さるのです。
アロンとモーセと同じように、わたしたちクリスチャンは、神の御計画によって選ばれたました。アロンとモーセに「イスラエルの人々を部隊ごとにエジプトの国から導き出せ」と大切な使命が与えられたように、私たちにも、この罪の世から、日本の国を救い出せ。という大切な使命が与えられています。そして、何よりも滅び行く魂のために、とりなしの祈りをしなければなりません。
レビ人が、祈りの祭壇を築いて、イスラエルの民のためにとりなしの祈りを献げたように、私たちも、滅び行く魂のため、特に今日本の国は大変な時を迎えていると思います。その日本に国の救いと平和のために、心からの祈りをささげましょう。
神様が任せてくださった一つ一つに使命がある事を覚えて、喜びをもってそれに従いましょう。そこには、人知をはるかに超えた素晴らしい御業が待っているのです。
コメントをお書きください