みなさんは、紙粘土を使ったことがありますか。水分があると、紙粘土は柔らかいですが、一度固まってしまうと、カチカチになって、たたいて砕くしか使い道はありません。
今日は、ヤコブの心の中にあった硬い心を、神様が砕かれた話しです。
27節
「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」
先週は、ヤコブが、ベテルで天使がはしごを上り下りしている夢を見て、神様が共にいて下さる約束をいただいた話しをしました。神様は、その約束通り、共にいてくださって、無事におじさんのラバンの所につくことが出来ました。ヤコブは、20年ラバンの元で働きましたが、神様はヤコブを祝福してくださいました。ヤコブはラバンの娘と結婚をして、子どもも与えられました。そして、家族のために忍耐強く働いて、家畜や財産を持つようになりました。
そんなある日のことです。神様が、ヤコブに、「わたしはベテルであなたを祝福した神である。さあ、今すぐこの土地を出て、あなたの故郷に帰りなさい。 」とおっしゃいました。
ヤコブは、お父さんのイサクと、お母さんのリベカ、そして、お兄さんのエサウのいる故郷に帰る決心をしました。
家族と多くの召使いたち、それにたくさんの家畜、羊や山羊、らくだや牛、ろばも連れて出発しました。
ところが、旅を続けて故郷に近づくと、ヤコブはだんだん心配になってきました。「お兄さんのエソウは、まだ私のことを憎んでいるかも知れない。」。お父さんのイサクをだまして、お兄さんのエソウが受け継ぐはずだった、祝福を奪い取ったことを、まだ恨んでいるかも知れないと思うと、心配で心配でたまらなくなってしまいました。
oそこで、ヤコブはエソウのところに使いの者を送って、「あなたのしもべヤコブが帰って参りました。」と丁寧なあいさつを伝えに行かせました。すると、使いの者が戻ってきて「お兄さんのエソウさんが、あなたを迎えに400人のお供を連れてやってこられます。」と報告したのです。
ヤコブは、その報告を聞くと「そんな大勢の者を連れて、私に仕返しをするつもりなのかもしれない。」と恐ろしくなってしまいました。
oそこで、ヤコブは家畜や持ち物を二つに分けて、一つが攻撃されてももう一つが無事なようにしました。そして、ヤコブを祝福してくださると約束してくださった神様にこう祈りました。
32:12
「どうか、兄エサウの手から救ってください。わたしは兄が恐ろしいのです。」
oしかし、それでもヤコブの恐れは消えませんでした。ヤコブはさらに知恵を働かせて、エソウに、山羊や羊、らくだや牛やロバなど、たくさんの贈り物をすることにしました。自分が行く前に、贈り物を贈って、エソウの心を和らげようという作戦です。
ヤボク川という川に着くと、ヤコブは、ラケルや子どもたちを先に渡らせました。それは、一人で残ってお祈りをするためでした。
夜になりました。みんなは先に行って、ヤコブは1人になりました。ヤコブが一人でお祈りをしました。
すると、神様の使いが現れて、ヤコブと格闘をしたのです。ヤコブはびっくりして必死に抵抗しました。どちらもとても強いので、なかなか勝負がつきません。ヤコブと神の使いは必死になって戦って、とうとう朝が近づいてきました。
すると、神の使いが、ヤコブのももの関節を外してしまったのです。ヤコブは痛くて痛くてたまらなくて、もう戦うことが出来ません。それでもヤコブはこう叫んだのです。
27節
「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」
そして、神の使いにしっかりとしがみついたのです。
この時、ヤコブは自分の頑なな心が砕かれて、神様だけを依り頼むことを教えられたのです。
そのヤコブに神様はこうおっしゃいました。
29節
「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」
神様と格闘したその場所を、ペヌエル(神の顔)と名付けました。
ヤコブは、すべてを神様にお委ねしたので、もう昨日までの恐れはありませんでした。
そして、ヤコブは、エソウと仲直りをして、故郷に帰ることができたのです。
この御言葉から2つの事をお話ししたいと思います。
(1)神様は、熱心な祈りを聞いてくださる
ヤコブは、故郷に帰ろうとした時、心が不安でいっぱいになってしまいました。
oその時に、ヤコブは何をしたでしょうか。まず、使いを送って、ヤコブが近くまで来ていることを伝えました。その時に、エサウが、400人のお供が来ていることを知ると、ますます心配になってしまいました。
o次に、エソウに贈り物を贈りました。たくさんの山羊や羊、らくだや牛、ロバも送りました。けれども、ヤコブの心は心配でたまりませんでした。
oそこで、ヤベツの渡しを渡る時、妻や子どもたちを先に行かせて、ヤコブ一人で残ってお祈りをしたのです。
神様は、神様を信頼して、祈る祈りを聞いてくださるお方です。
イギリスで「孤児たちの父」と呼ばれたジョージ・ミュラーは、5万回も祈りが答えられたそうです。
イギリスは昔、産業革命によって、お父さんやお母さんがいなくなってしまった子どもたちがたくさんいて苦しんでいました。その子どもたちを見た、ジョージ・ミュラーはその子どもたちをを育てたいと願い始めました。
そして、神様に祈っていると、「神は聖なる宮にいます。みなしごの父となり/やもめの訴えを取り上げてくださる。」(詩篇68:6)という聖書のみことばが与えられました。そこで、天の神様が必ず子どもたちを養ってくださると信じて、子どもたちを育てる施設を作ることにしたのです。
ジョージ・ミューラーは、どんな時にも神様に祈りました。すると、神様がいつも必要な物が与えてくださったのです。
ある大雨の日の朝のことです、ジョージ・ミューラーの施設には食べ物が何も残っていませんでした。それでもミュラーは、400人の孤児たちと一緒に空の食卓に座りました。そして手を取り合って、天のお父様が必ず食事を用意してくださることを信じ、食事の祈りをささげたのです。
するとどうでしょう。
祈りが終わった時、一代の馬車が施設の前に止まり、門が叩かれました。その馬車には、焼きたてのパンと新鮮な牛乳が積まれていたのです。そのパンと牛乳は、近くの工場で従業員のハイキングが行われるために注文したものでした。けれども、大雨が降ったために使わなくなってしまったので、そのパンと牛乳がジョージ・ミューラーの施設に送られてきたのです。
神様は、神様を信頼して祈る祈りを聞いて、祝福してくださるお方です。
ヤコブは、ヤボク川を渡る前、心配と恐れで一杯でした。けれども、その心配と恐れを神様に祈ったのです。その祈りを神様は聞いてくださいました。
Ⅰペトロ5:7
「思い煩いは、何もかも神にお任せしなさい。神が、あなたがたのことを心にかけていてくださるからです。」
私たちも、心配や恐れがいっぱいになった時、神様にお祈りをしましょう。神様は必ずそのお祈りに答えてくださるお方です。
(2)祝福してくださるまで祈り続けることです
ヤコブは、ヤベツの渡しで、神の使いに会った時に、何をしましたか?
ヤコブは、神様に「祝福してください。」と闘って、祝福を祈り求めたのです。
私たちは、ヤコブのように「わたしを祝福してください。」と格闘するようにお祈りをしたことがあるでしょうか。神様はそのような熱心な祈りを聞いてくださるのです。
ヤコブは、神の使いと格闘をして、最後にももの関節を外されてしまいました。
ももの関節を外されたら、本当は勝負は負けです。すもうにしても、レスリングにしても、怪我をしたら、それ以上戦うことが出来ません。
それなのに、ヤコブが、27節で
「もう去らせてくれ。夜が明けてしまうから」とその人は言ったが、ヤコブは答えた。「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」 と言うと、神の使いは、28~29節で 「お前の名は何というのか」とその人が尋ね、「ヤコブです」と答えると、その人は言った。「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」と言うのです。ここで、神の使いは、「お前は神と人と闘って勝ったからだ。」と言っています。 おかしいと思いませんか。ももの関節を外されて、本当なら負けてしまったのに、神の使いは「お前は神と人と闘って勝ったからだ。」と言っているのです。
それは、ヤコブが自分の力で戦えなくなった時に、「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」と、神様の祝福だけを求めたからです。
この時に、ヤコブの自我が完全に砕かれて、神様の祝福だけを求める者へと変えられたのです。そこに、本当の勝利があるのです。
ある教会での出来事です。
一人の婦人が、信仰に行き詰まってしまいました。
その婦人は、自分の信仰生活を建て直すためには、自己中心の生活を捨てる以外にないと思いました。
そこで、牧師先生に祈っていただいて、神様の御心に適わない物を捨てようと決心をしました。まず、神様の御心に適わないことを止めようと決心をしました。
ます、お酒を飲むことを止めました。次に、タバコを吸うことも止めました。そして、次々にいろいろな神様に嫌われるような習慣を捨てたのです。
「もう、いらなくなったの」と言って、4,5日はとても幸せそうでした。しかし、再び彼女の心の中に、曇りはじめたのです。
「私は、新しい家庭にもらわれてきた養女のようです。すべてが、美しいのですが、お父さんの顔が見えないのです。」
彼女は、確かに、聖い歩みを歩み始めようと努力しましたが、生活が変わっていきましたが、神様の顔が見えなかったのです。
その時に、彼女は解ったのです。彼女は、お酒やタバコを止め、悪習慣を絶ちましたが、自分自身を献げていなかったのです。彼女は「自己中心だった私を、許してください。私の全てを神様にお委ねします。」と明け渡した時、心の中に平安が与えられました。そして、神様と彼女の間に、妨げが何もなくなって、神様の祝福をいただく事が出来るようになったのです。
ヤコブは、ももの関節が外され、自分の力では、何もできなくなった時、神様だけを依り頼んで生きる人に変えられました。
この時、ヤコブはイスラエルという名前に変えられました。
29節
「お前の名はもうヤコブではなく、これからはイスラエルと呼ばれる。お前は神と人と闘って勝ったからだ。」
ヤコブというのは、「押しのける者」という意味です。そして、イスラエルというのは、「神が戦ってくださる」という意味があります。
ヤコブは、これまでは、自分の力で生きてきましたが、ヤコブのももの関節が外されて、自分の力では何もできなくなった時、自我が砕かれたのです。そして、自分の力で生きるのではなく、「神が戦ってくださる」と神様だけに依り頼む人に変えられたのです。
ヤコブのように「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」 と祈りましょう。私たちの力では、私たちは聖くなることはできません。しかし、神様を求め、神様だけに依り頼む時、私たちは、神様の限りなき祝福をいただく事が出来るのです。
特に、2月10日~12日まで、東北ケズィック・コンベンションが行われます。ケズィック・コンベンションが行われます。
外国人講師は、オーストラリアで、非常に用いられている。ビル・ニューマン先生。そして、日本人講師は、日本のクリスチャンで知らない人はいないといっても良いくらい有名な村上宣道先生です。神様は、私たちを祝福しようと待っておられます。
「いいえ、祝福してくださるまでは離しません。」 と恵みを求めて参加しましょう。
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