早いもので、今日が2014年最後の礼拝になりました。この1年間、教会でも、また個人的にも、多くの祝福をいただく事が出来たのではないでしょうか。その恵みを一つ一つ数えながら、神様に心からの感謝の礼拝をおささげしましょう。
今年の山形南部教会の年間聖句は、マルコ16:15です。
「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」
この御言葉は、私たちすべてのクリスチャンに与えられた大宣教命令ですが、この御言葉から今年与えられた恵みを覚え、感謝を献げたいと思います。
イエス・キリストは、十字架にかかられた後、3日後によみがえられて、40日間地上におられましたが、そのよみがえりのイエス様に出会った弟子達は、どんなに喜びに満たされたことでしょうか。
イエス様は、天に帰られる前に、その喜びに満たされた弟子達に、大切な使命を与えられました。それが、今日読んでいただいた15節の御言葉です。
「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」
これは、イエス様が天に帰られる前に、遺言のように弟子達に語られれた大切な大宣教命令です。
「福音」とは、イエス・キリストの十字架と復活の出来事です。イエス様は、私たちの罪のために十字架にかかってくださり、三日目によみがえられ今も生きておられます。その良い知らせをを全世界に伝えるようにと、イエス様はおっしゃったのです。
今日読んでいただいた9~18節は3つの段落に分かれていますから、段落ごとに学んでいきたいと思います。
(1)喜びに満たされたマグダラのマリア(9~11節)
よみがえられたイエス様が、まず最初に御自身をあらわされたのは誰だったとでしょうか。身分の高い王様や、宗教的な指導者である祭司長だったでしょうか?それとも、自分のもっとも身近にいた弟子たちだったでしょうか?
そうではありませんでした。身分の低い、ほとんど名も知られていないマグダラのマリアという一人の女性でした。
そのマリアについて、9節には、「このマリアは、以前イエスに七つの悪霊を追い出していただいた婦人である。」と紹介されています。マリアは、イエス様によって「七つの霊を追い出していただ」き、救われた喜びに満たされていました。その時以来、マグダラのマリアは、イエス様を純粋に愛し従って、献身的に仕えてきたのです。
イエス様が十字架にかかられて三日目にマリアは、イエス様のお墓に、香料を塗るために行きました。ところが、イエス様のご遺体がなくなっていたのです。マリアはそのことを深く悲しんでいましたが、そのマグダラのマリアに、御使いが6節でこう語りかけてたのです。
「若者は言った。「驚くことはない。あなたがたは十字架につけられたナザレのイエスを捜しているが、あの方は復活なさって、ここにはおられない。御覧なさい。お納めした場所である。」
そして、よみがえりのイエス様を捜し求めている彼女に、イエス様御自身が、よみがえりの姿を現してくださったのです。
ヨハネ20:16~18には、この時のことがもっと詳しく書かれています。
「イエスが、「マリア」と言われると、彼女は振り向いて、ヘブライ語で、「ラボニ」と言った。「先生」という意味である。イエスは言われた。「わたしにすがりつくのはよしなさい。まだ父のもとへ上っていないのだから。わたしの兄弟たちのところへ行って、こう言いなさい。『わたしの父であり、あなたがたの父である方、また、わたしの神であり、あなたがたの神である方のところへわたしは上る』と。」マグダラのマリアは弟子たちのところへ行って、「わたしは主を見ました」と告げ、また、主から言われたことを伝えた。」
イエス様は、「わたしにすがりつくのはよしなさい。」とマリアに言っています。この一言を見ても、マリアがどんなに喜びに満たされたかが解ります。マリアは、一度死んだイエス様が、よみがえられたのを目の辺りにして、すがりついて喜んだのです。
そして、その大きな喜びを、マリアは、自分の同じように嘆き悲しんでいるイエス様と一緒にいた弟子たちに伝えたのです。マリアは、よみがえりのイエス様に出会った喜びに満たされて、弟子たちに福音を伝えたのです。
私たちも、今年、多くの恵みを与えられました。まず、二人の受洗者が与えられたことは何よりも大きな喜びでした。
和良君は、ペンテコステに洗礼を受けたので、ペンテコステ和良と呼ばれるようになり、自分でも気に入ったのか、クリスマス集会の名札には、自分でペンテコステ和良と書いていました。和良君は救われて喜びに満たされました。そして、その日から賛美が止まらなくなって、毎日のようにギターで賛美を始めました。その喜びに満ちた姿を見て、お母さんが教会に来られるようになり、イエス様を信じる決心をしました。今、和良君と同じ、ペンテコステにバプテスマを受ける準備をしています。
そして、クリスマスには、お父さんも教会に来られて、祝会では飛び入りで、クリスマスソングに合わせて、社交ダンスを披露してくださいました。
また、及川 輝くんが、ホサナサマーキャンプで、イエス様を信じてバプテスマを受ける決心をしました。そして、その決心は全く変わることがありませんでした。そして、輝くんが、バプテスマを受けたことで、次々にホサナから、救われる魂が起こることを信じています。
一人の人が、イエス様と出会って、喜びに満たされる時、そこから、素晴らしい御業が始まるのです。
ネヘミヤ8:10
「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である。」
また、二組の結婚式が行われたことも大きな喜びでした。
7/27には、一牛善光さんと真理さんの結婚式が、11/29には菊田太郎さんと佳子さんの結婚式が行われました。この結婚式は、本当に大きな喜びの時でした。そして、その喜びの日に、参列された大切な方々に福音をお伝えすることが出来ました。
福音を伝えるためには、まず、私たちが喜びに満たされることです。何よりもマグダラのマリアのように、イエス様の十字架と復活を喜び祝いましょう。その喜びこそが、私たちの力の源です。イエス様の喜びに満たされて、その喜びが溢れるようにして、福音を伝えさせていただきましょう。
(2)心が燃えた二人の弟子(12~13節)
12~13節
「その後、彼らのうちの二人が田舎の方へ歩いて行く途中、イエスが別の姿で御自身を現された。 この二人も行って残りの人たちに知らせたが、彼らは二人の言うことも信じなかった。」
次に、よみがえりのイエス様は、二人の弟子に御自身を現されました。
その出来事は、ルカ24:13~35に、エマオの途上での出来事が書かれています。
この二人の弟子たちは、復活されたイエス様と出会いましたが、最初はそれがよみがえりのイエス様だということは解りませんでした。ところが、イエス様を自分の家に招待して、いっしょに食事をして、イエス様がパンを裂かれた時、それがイエス様であることが解ったのです。
その時のことをルカによる福音書24:32にはこう書いています。
「二人は、「道で話しておられるとき、また聖書を説明してくださったとき、わたしたちの心は燃えていたではないか」と語り合った。」
彼らは、この時イエス様の復活がどんなに素晴らしいことであるのかをはっきりと知ったのです。そして、彼らは心が燃やされ、福音を地の果てまで伝えるようになります。
よみがえられ、今も生きておられるイエス様は、私たちの心を燃やしてくださいます。
イエス様を私たちの生活の中にお迎えし、聖書を読んで、あのエマオの途上でクレオパともう一人の人が経験をしたように「わたしたちの心は燃えたではないか。」という素晴らしい経験をさせていただきましょう。
(3)弟子達に命じられた大宣教命令
その後、イエス様は、十一人が食事をしている時に現れ、弟子たちの不信仰とかたくなな心をおとがめになり、こう言われました。
15~18節をご覧下さい。
「 それから、イエスは言われた。「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。信じて洗礼を受ける者は救われるが、信じない者は滅びの宣告を受ける。信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」
これは、大宣教命令と呼ばれる箇所です。
「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」とイエス様は命じられました。この時に、よみがえりのイエス様に出会ったのは、十数名にしか過ぎませんでした。その十数名から誰が全世界に福音が伝えられることを想像出来たでしょうか。恐らく、この時の弟子たちには考えも及ばないことだったと思います。しかし、聖書の御言葉は成就されるのです。
そして、こここには、私たちが励まされることが書かれています。
①不信仰な弟子に宣教の業が委ねられた
この御言葉から励まされるのは、この素晴らしい御業は、何か特別な私たちと全然違う人によって成されていったのではなく、私たちと同じような、不信仰な弟子たちによって成されたということです。
読んだところには、何度も弟子たちの不信仰が書かれています。マグダラのマリアが、主イエスのよみがえりを伝えた時も、彼らは信じることができませんでした。また、二人の弟子が伝えた時もそうでした。そして、イエス様が彼らの前に現れた時に、イエス様は「その不信仰とかたくなな心をおとがめになった。」と書かれています。
そんな不信仰な弟子たちを作りかえて、全世界に福音が伝えられていったのです。私たちもかつては、不信仰な者でした。また、今でも信仰の弱さを感じます。けれども、不信仰な弟子たちを用いられたイエス様は、私たちを用いて、全世界に福音を伝えようとされているのです。
②宣教の力は、聖霊によって与えられる
そして、もう一つ、大きな力になる御言葉が書かれています。
17節以下を読んでみましょう。
「信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。」
ここで、与えられた「しるし」は神様からの恵みであり、聖霊の力です。弟子たち自身は、不信仰で弱い者でしたが、神様がこのような素晴らしい恵みと力に満たしてくださって福音宣教のために用いられたのです。
そして、この神様は、私たちにも、必ず必要な聖霊の恵みと力に満たしてくださるお方です。
そして、このイエス様は私たちにも、大切な宣教の業を「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」 と委ねてくださっているのです。
今年も、神様が山形南部教会に宣教の業を委ねてくださり、用いてくださったことを感謝しています。
o去年から、今年にかけて感謝していることは、礼拝の中で信徒の方々の証しが語られました。そこで、イエス・キリストの十字架に救われた喜びと、イエス様と共に歩む祝福が語られました。証しを聞く人たちも恵まれましたが、誰よりも証しをした本人が、神様の恵みを数えて恵まれたのではないでしょうか。神様から与えられた恵みを、人々に伝える時、いつも新しい信仰を持つことができるのです。
来年の初めには、55周年記念証し集が完成する予定です。まずそれを読んで、私たちが恵まれ、周りの人たちにイエス様の愛を伝えるために用いていたたきたいと思います。
oまた、今年、感謝をしている事は、岩沼チャペル礼拝を毎月、また岩沼市仮設住宅で、三浦綾子読書会が行われたことです。そのお陰で、森下辰衛先生や、山田証一先生、山元町で開拓伝道をしておられる熊田康之先生など、多くの先生方のメッセージを伺うことが出来ました。
そして、毎月その度に、被災地で小寺 義君が、チラシを近所に配ってくれた事も感謝です。また、12月14日は、ケーキバイキングが行われ、MSR+の近所に手作りケーキを配る事が出来ました。そのようにして、神様の愛が被災地に伝えられています。
やがて、御言葉の種が成長して、岩沼市に、新しい教会が起こされるように、ぜひ祈っていただきたいと思います。
oそして、家庭が解放されて、まきばや家庭集会が行われたことも感謝です。鳥居ヶ丘まきば、ロイスの会など、それぞれの家庭が用いられて家庭で、御言葉を中心にして、主による愛の交わりが行われ、神様の愛が伝えられてきました。
oまた、毎週ホサナやTEENSが行われ、ホサナのキャンプや、TEENSのリトリートも行われ、お友だちや中高生に福音が伝えられました。また、青年の中から、献身者が与えられたことも本当に感謝です。
oそして、山形南部教会にはギデオンの会員が4人もおられますが、ギデオンの聖書配布を通して、御言葉の種が蒔かれたことも感謝です。
oまた、みなさんに祈っていただいて、エルシオンの会や、刑務所で福音を伝えることが出来たことも感謝なことでした。
o今年も、オンヌリ教会宣教チームが来てくださいました。私は、毎回彼らを通して、伝道のチャレンジを受けます。日本語もほとんど話すことが出来ないのに、毎回、山形に来られて、路傍伝道を欠かした事がありません。また、時間があると、チラシ配布に行ってくると言って、チラシとマグネットを持って、近所に訪問に出かけていくのです。
韓国からわざわざ日本に来られて、「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」という宣教命令に従っている、彼らの姿を見て、大きなチャレンジを受けました。
まだまだ感謝を表し尽くすことは出来ませんが、神様がこのような小さな教会にも大切な宣教の業を委ねて用いてくださったことを感謝しています。
「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」
最後に、救世軍の創設者であるウィリアム・ブースの話しをして終わりたいと思います。
1870年のことです。青年が、夜の集会を終え、東ロンドンの裏街まできたときのことでした。
薄暗い道路に、酒に酔いつぶれて倒れてしまっている人たちがたくさんいます。また、暴力団同士のけんかが始まりました。
ウィリアム・ブースはこぶしを固く握りしめ、涙を流しながら、「イエス様、なんというすごいありさまでしょう。まるで地獄です。この人たちはイエス様を知らないのです。どうぞ、私をこの地のためにお遣わしください」とお祈りしました。
牧師先生たちが大勢集まったときに、ウィリアム・ブースは立ち上がると、「みなさん、私を東のロンドンのみだれている、汚れた町に遣わしてください」と言いました。牧師先生たちは驚いて、互いに顔を見合わせていまし。そして、一人の老牧師が立つと、「ブース先生、あなたはまだ若いから、そんなことをおっしゃるのです。あの町は暴力団と、酔っ払いの巣のようなところです。あなたが行ったところで、だれがイエス様の福音に耳をかたむけるでしょうか」と言いました。
ウィリアム・ブースは、「しかし、神様の命令です。ぜひ、私を遣わしてください」と一歩も引きません。
水をうったように静かになり、一分、二分と時間が過ぎ去りました。ところが二階の傍聴席で、一人の婦人がすっくと立ち上がりました。「おやりなさい。だれが反対しようが、神様に背くことはできません。私はついて行きます」。それを聞いた人たちが、びっくりして二階を見上げると、それはウィリアム・ブースの奥様だったのです。
やがて二人は、粗末な服を着て、東ロンドンの街角で、聖書を手にしながら、熱心にイエス様の救いについて語り始めました。やがて救われる人が起こり、この働きに「救世軍」という名前がつけられ、世界中で伝道されるようになりました。
「全世界に行って、すべての造られたものに福音を宣べ伝えなさい。」
神様はあなたを必要としておられるのです。そして「全世界に行って」とありますが、山形も全世界の一部です。そして、あなたにだけにしか行けない場所があります。そして、あなたにしか出会えない人がいるのではないでしょうか。その人達に福音を伝えなさい。とイエス様は語りかけておられるのです。今年も終わり、新しい年を迎えようとしていますが、この御言葉に従って、神様の素晴らしい御業を見せていただきましょう。
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