教会歴では、今日から、アドベント(待降節)に入ります。このアドベントは、大切な二つの意味があります。
一つは、文字通り、イエス様の誕生を迎える日です。
そして、もう一つは、再臨の主を迎える準備です。「イエス様は、再び来る。」と約束されました。その時には、イエス様が、花婿が花嫁を迎えるように、この地上に来られるのです。
今日は、菊田太郎さんと佳子さんが、礼拝に来られていますが、昨日チャペルエルシオンで、9年のお付き合いの末に結婚式を挙げられました。本当に感動的な、涙、涙の結婚式になりました。(ちょっと、お二人に立っていただけますか、歓迎したいと思います。「おめでとうございます。」)
その花婿が花嫁を迎えるように、イエス様が私たちの所に来られるのです。「その日、その時は解らない。」と書かれていますから、そのイエス様がいつ来られても良いように、準備をするのが、このアドベントのもう一つの大切な意味です。
そして、それは、私たちが、神様の元に帰る備えでもあります。
今日の聖書の箇所は、フィレモンの奴隷オネシモが、パウロの所で、イエス様を信じて変えられて、役に立たない者から、オネシモという名前は(役に立つ者)という意味ですが、役に立つ物に変えられて、いよいよ、フィリピの所へ帰るところです。
パウロは、オネシモを送り返すのに、丁寧な手紙を書きました。そして、その手紙を手にして、オネシモは、主人のフィレモンの所へ帰っていこうとしているのです。
このフィレモンの手紙の、最後の箇所から3つの事をお話ししたいと思います。
(1)パウロの犠牲的な愛
パウロは、その奴隷であったオネシモを、持ち節であるフィレモンの所に返すことが最善だと考えて、愛するオネシモをフィレモンの所に返すことにしました。
しかし、帰るために一つの問題がありました。それは、オネシモが盗んだ財産を返さなければならないということでした。それは、オネシモにはとうてい返すことができないほどの大きな額であったようです。
そこで、パウロは、18節でこう言っているのです。
「彼があなたに何か損害を与えたり、負債を負ったりしていたら、それはわたしの借りにしておいてください。」
オネシモが盗んだ額を、パウロが全部払うということは大変な犠牲です。しかも、それを保証するかのように、19節では、
「19 わたしパウロが自筆で書いています。わたしが自分で支払いましょう。あなたがあなた自身を、わたしに負うていることは、よいとしましょう。」と言っています。
日本では、保証をする時に印鑑が必要ですが、パウロが投獄されていた、ローマでは正式な書類には、サインをしていました。「わたしパウロが自筆で書いています。」 これが、単なる挨拶ではなく正式な約束であることが解ります。
なぜパウロは、一人の奴隷のためにこんな事ができたのでしょうか。
そこには、二つの理由があります。一つは、パウロ自身が、キリストによって赦された罪人だったからです。
パウロは、律法においては、誰よりも忠実に守り、エリート中のエリートでありました。ですから、パウロは自分は、神様の前に正しいと思っていたのです。そして、かつてはパウロは律法の義を振りかざして、キリスト者を迫害していたのです。
パウロは、義しい方は神様だけなのに、自分が義しいと思って、人を裁いていたいました。そのことが罪だと解った時に、パウロはその罪を悔い改めて、神様に裁きを委ねて、人を赦す心が与えられたのです。
今年の10月30日に、三浦綾子さんの御主人の光世さんが、90歳で天に召されました。その三浦綾子さんが一躍有名になったのが、「氷点」という人間の罪を深く扱った作品でした。その氷点の中にこのような場面が出てきます。
高校2年生の女の子、陽子が主人公です。その陽子がある日、雪に覆われた丘に向かって歩いていました。彼女は今まで母親だと思っていた人が母親ではなかったことを知って、大きなショックを受けたからです。
つまり、実の母から捨てられたことがわかったからです。そのことで、あまりにも心が苦しくなり、生きていても仕方がないと思って自殺しようと山道を上っていくのです。
雪がたくさん積もっていて、滑りやすくなっていたので、彼女は注意深く一直線に山の上に上がったつもりでした。ところが、後ろを振り向いてみると、自分が歩いてきた足跡が曲がりくねって、雪の上にジグザグに付いているのです。
そこで彼女はハッとしました。彼女は人生において、自分は正しく歩んできたと思ってきました。しかし、そのとき思いを変えられるのです。
「もし神様が自分の人生の足跡をご覧になるなら、きっと、このように曲がった人生を歩んできたのではないか?そうであるなら、私が自分の実の母をうらんではいけない。自殺してはいけない。きっと実の母も、ひどく苦しい思いをしたから、私を産んで育てられなかったのだ」と。
こうして、彼女は自殺せずに丘から降りてきたのです。
自分の人生を振り返ってみて、心でも口でも、また行いにおいても一つも罪を犯すことなく、聖く正しい人生を歩み続けてきた方がいるでしょうか。
「氷点」の陽子が自分の足跡を見て気づかされたように、私たちも自分の今までの人生を振り返り、よく吟味してみるならば、どうしても人をも赦さざるを得ないのではないでしょうか。
パウロは、Ⅰテモテ1:15(P385)で、こう言っています。
「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」という言葉は真実であり、そのまま受け入れるに値します。わたしは、その罪人の中で最たる者です。」口語訳聖書では、「わたしはその罪人のかしらなのである。」と言っています。
そのような罪深い者のために「キリスト・イエスは、罪人を救うために世に来られた」
のです。パウロはそのお方の前に、「わたしは、その罪人の中で最たる者です。」 ということを悟った時、オネシモを裁くことはできなかったのです。
もう一つは、キリストの愛の故です。パウロは、キリスト者を迫害する者でしたが、ダマスコ途上でよみがえりのイエス様に出会い、救われて、キリストの弟子へと変えられたのです。
そのことが使徒言行録9:1~6節(P229)に書かれています。
「さて、サウロはなおも主の弟子たちを脅迫し、殺そうと意気込んで、大祭司のところへ行き、2 ダマスコの諸会堂あての手紙を求めた。それは、この道に従う者を見つけ出したら、男女を問わず縛り上げ、エルサレムに連行するためであった。3 ところが、サウロが旅をしてダマスコに近づいたとき、突然、天からの光が彼の周りを照らした。4 サウロは地に倒れ、「サウル、サウル、なぜ、わたしを迫害するのか」と呼びかける声を聞いた。 5 「主よ、あなたはどなたですか」と言うと、答えがあった。「わたしは、あなたが迫害しているイエスである。6 起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」
ここで、よみがえりのイエス様は、サウルと出会った時に、迫害者パウロから、キリストの愛を伝えるパウロに造り変えてくださったのです。そればかりか、6節で「起きて町に入れ。そうすれば、あなたのなすべきことが知らされる。」とパウロに大切な使命を委ねられたのです。
パウロこそ、キリストの一方的な恵みによって、迫害者からキリストの愛を伝える伝道者へと変えられ証し人でした。
神様は、パウロのように、罪人を神の働き人に変えてくださるお方です。
スコットランド地方のある裕福な婦人が、山間にある古い城を買い取って、多額のお金をかけて修理しました。
そしてある日、有名な画家エドワード・ランドシアを始め、社交界の有名な人々を招き、盛大なパーティーを開きました。パーティーはすばらしいものでした。
ところが、ちょっとした不注意でお手伝いがワインをこぼし、綺麗な壁が汚れてしまったのです。
女主人はそのことでとても気分を悪くし、お手伝いは怖れの夜を過ごしました。
次の日、みんなは鹿狩りを楽しむために、森にに出かけていきましたが、残っていたランドシア画伯は絵の具を取り出し、昨日お手伝いが汚したその壁に向かって座りました。そしてその壁に絵を描き始めたのです。
やがて、あのワインで心ならずもできてしまった大きい染みを背景にした、彼の最高傑作「コーナーに追い込まれた大鹿」ができあがりました。
鹿狩りから帰ってきた女主人の喜びはいうまでもありません。かえってそのお手伝いの失敗に感謝しました。
造り主、天のお父様とはこういう方ではないでしょうか?イエス・キリストの十字架の血潮によって、どんな時でも悔い改めるならそれを赦し、私たちのもっとも醜い汚れ、失敗、傷を、十字架の血潮によって想像を超えた素晴らしい作品として、私たちの人生を変えてくださる方です。
パウロ自身がそのような驚くばかりの恵みに与ったからこそ、今度は、その愛をオネシモに注ぐことができたのです。
私たちも、イエス・キリストの十字架の死という代価を払って、買い取られ、今は罪の奴隷ではなく、聖霊を宿す、「聖霊の宮」とされました。その大きな恵みを覚えて、神と人とを愛し、仕える者とさせていただきましょう。
(2)フィレモンに対する信頼
20~21節
「そうです。兄弟よ、主によって、あなたから喜ばせてもらいたい。キリストによって、わたしの心を元気づけてください。あなたが聞き入れてくれると信じて、この手紙を書いています。わたしが言う以上のことさえもしてくれるでしょう。」
パウロは、オネシモを受け入れると、フィレモンを信頼して、この手紙を書いています。
20節の「主によって」という言葉と「キリストによって」と言う言葉が、キーワードです。
こう言い切るには、二つの理由があったと思います。
一つは、目の前にいるオネシモが、確かに「キリストによって」、役に立たない者から、役に立つ者に変えられたからです。この変えられたオネシモを見たならば、必ず、フィレモンは受け入れてくれるに違いないと確信していたからです。
もう一つは、フィレモンが「キリストによって」、オネシモを許し、愛し受け入れてくれるという確信です。
そして、その素晴らしい許しと和解の姿を、見届けるために、22節で「ついでに、わたしのため宿泊の用意を頼みます。あなたがたの祈りによって、そちらに行かせていただけるように希望しているからです。」と、フィレモンの所へ、パウロ自ら行くことを希望しているのです。
同志社大学の創設者、新島襄のことは、みなさんもよくご存じのことと思います。
1880年4月の初めごろのことです。
そのころ、同志社英学校では、上級組と下級組を合併させることが決まりました。
ところがそれに反発した上級組の9人の生徒が、集団欠席をして学校側に抗議をしたのです。
集団欠席した者は処罰されるという規則があります。
しかしこの時、学校側の措置にも確かに落ち度があったのです。
当時の校長だった新島襄は深く心を痛めました。そして、学生と学校の和解のために立ち上がったのです。
4月13日、朝のチャペルの時間に、全校生徒と教員の前でこの問題に触れて、こう言いました。
「自分は生徒諸君を責めるわけにはいかない、それにまたその措置を決めた幹事たちを責めるわけにもいかない、しかし校則は守らねばならない、ゆえに校長自身を処罰します」
そして、用意した固い木の小枝で、自分の左の手のひらを力いっぱい打ち始めたのです。むちは折れ、手のひらに血がにじみ出ました。
とうとう前列にいた生徒たちが校長にしがみついて、「やめてください」と言いました。新島襄はとうとう打つのをやめて、こう言いました。
「皆さんは同志社の規則を重んじるべきことを理解してくれましたか。また、今回の事件について、二度と論争しないと約束なさるならやめます」
このような新島襄の行いによって、学生側と学校側は和解をすることができたのです。
この新島襄の姿は、イエス様の姿に重なるものです。
エフェソ2:14~16(P354)にはこう書かれています。
「実に、キリストはわたしたちの平和であります。二つのものを一つにし、御自分の肉において敵意という隔ての壁を取り壊し、15 規則と戒律ずくめの律法を廃棄されました。こうしてキリストは、双方を御自分において一人の新しい人に造り上げて平和を実現し、16 十字架を通して、両者を一つの体として神と和解させ、十字架によって敵意を滅ぼされました。」
イエス様は、神様と私たちの間にある壁を、ご自身が十字架にかかることによって壊してくださいました。イエス様によって、私たちは神様と完全に和解することができました。そして今は、私たちが人と人との間に立ち、また神様と人との間に立って、とりなし、平和をもたらす役割を与えられているのです。
今日、このイエス様にならって、それぞれの場所で平和をもたらす者として用いていただきましょう。
(3)主イエス・キリストの恵み
23~25
「キリスト・イエスのゆえにわたしと共に捕らわれている、エパフラスがよろしくと言っています。24 わたしの協力者たち、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカからもよろしくとのことです。25 主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように。」
ここに、パウロと共に捕らわれている、エパフラス、マルコ、アリスタルコ、デマス、ルカの名前が書かれています。これらの人は、ただ単に、パウロと一緒に捕らわれているというだけではありません。
オネシモが、罪を悔い改めて、イエス・キリストを信じて救われるように、真剣に祈り、支えてきた人たちです。このような神の器によって、オネシモは救われ「役に立つ者」に変えられたのです。
そのように、私たち一人一人も、多くの人たちの祈りと支えがあって、今の私たちがあるのです。その事を覚えて感謝しましょう。
そして、この手紙は最後の25節で、「25 主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように。」という言葉で締めくくられています。
この言葉は、フィレモンへの手紙の3節にも書かれている御言葉です。
「わたしたちの父である神と主イエス・キリストからの恵みと平和が、あなたがたにあるように。」
この手紙は、恵みに始まり、恵みで終わっています。奴隷であったオネシモが、福音によって「役に立たない者」から「役に立つ者」へと変えられたのも、パウロが、そのために用いられオネシモとフィレモンとの執り成しとなったのも、フィレモンがオネシモをキリストの愛によって受け入れたのも、すべてが神の恵みによるものでした。
そして、この「恵み」は、パウロ自身が経験したものでした。
Ⅰコリント15:9~10(P320)
「9 わたしは、神の教会を迫害したのですから、使徒たちの中でもいちばん小さな者であり、使徒と呼ばれる値打ちのない者です。10 神の恵みによって今日のわたしがあるのです。そして、わたしに与えられた神の恵みは無駄にならず、わたしは他のすべての使徒よりずっと多く働きました。しかし、働いたのは、実はわたしではなく、わたしと共にある神の恵みなのです。」
10節に「恵み」と言う言葉が書かれていますが、私たちの信仰生活は、「恵み」に始まって「恵み」に終わるのです。
金太郎飴のどこを切っても、金太郎の顔が出てくるように、私たちの信仰生活のどこを切っても神様の「恵み」です。
この手紙の続きは、聖書には記されていないのではっきりとしたことは言えませんが、言い伝えによると、「フィレモンにとってもパウロにとっても、役に立つようになった」オネシモは、その後エフェソの教会の監督になりました。そして、エフェソの教会を建てあげ、宣教のために東奔西走したのです。そして、最後に、両足を砕かれるまで、オネシモ(役に立つ者)とあり続けたと言われています。
まさに、恵みです。
そのオネシモと同じ恵みが、私たち一人一人にありますようにと祈りましょう。
25節
「主イエス・キリストの恵みが、あなたがたの霊と共にあるように。」
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