今日は召天者記念礼拝です。今、召天者の名前が読まれましたが、この方々は、神様から命が与えられ、神様のもとへ帰って行かれた方がです。その方々を偲び、私たちも、イエス・キリストを信じて、永遠の命の恵みの中を歩ませていただきましょう。
今日の中心の御言葉は、3節です。
「あなたは人を塵に返し/「人の子よ、帰れ」と仰せになります。」
この詩編90:3を中心に3つの事をお話しさせていただきたいと思います。
(1)モーセの生涯
今日読んでいただいた詩編90編は1節に
【祈り。神の人モーセの詩。】主よ、あなたは代々にわたしたちの宿るところ。と書かれていますが、これは、モーセ自身が書いた詩ではなく、モーセを偲んで歌われた詩だと言われています。
モーセの生涯は、120年ですが、使徒言行録7章のステファノの説教では、モーセの生涯が、最初の40年、真ん中の40年、最後の40年と3つに分けられています。
o最初の40年は、神様に選ばれ、自分の力で戦った40年だったと言えます。モーセは、生まれるとすぐ、エジプトの掟によってナイル川に流されてしまいます。けれども、神様はそのモーセを引き上げられ、王宮に入れられ、あらゆる教育を受け、権力を身につけたのです。成長したモーセは、ある日、エジプトの奴隷として苦しめられている同胞を見て、何とか助けようとエジプト人を殺してしまいます。そのことで、モーセはエジプトを負われることになってしまうのです。
o次の40年は、ミデアンの地で、自分の無力さを知らされた40年でした。
モーセは、エジプトで失敗した後、落胆し、エテロのもとにのがれて、40年間羊飼いとして静かに過ごします。その生活の中で、自我が砕かれ、自分の無力さを思い知らされたのです。
oそして、最後の40年は、神様がモーセを用いられた40年です。神様は、自分の無力さを知っている、砕かれた器を用いられます。モーセは、ふたたび神様からの召命を受けて、エジプトに戻り、悪戦苦闘の末、イスラエルの民をエジプトから救い出すのです。そして、出エジプトをしたモーセは、40年間もイスラエルの民を導いて荒野をさまよい歩いたのです。
ところが、モーセは、ひとつの失敗をしてしまいます。イスラエルの民が、水を求めた時、神様は岩に向かって、大声で叫ぶように命じられますが、モーセは怒りにまかせて、その岩を杖でたたいてしまうのです。
その罪の故に、神様は、約束の地を前にしながらも、モーセをカナンの地に一歩も入れることをお許しにならなかったのです。モーセにとってこれほどの大きな悲劇はなかったのではないでしょうか。
先頭に立ってきた、マラソン選手が、ゴール前で倒れてしまうよりももっと大きな悲劇です。
モーセは、カナンの地に入れないと言うことを知らされた時、40年間労苦を共にしてきたイスラエルの民と別れて、たった一人で山に登っていきました。モーセと言えどやはり人の子ですから、寂しくつらかったのではないでしょうか。
けれども、モーセはそこで、この詩編90:3の御言葉を聞いたのです。
「あなたは人を塵に返し/「人の子よ、帰れ」と仰せになります。」
「人の子よ、帰れ」
神様は、モーセに向かって、よくやった。さぁ帰っておいで、あなたのこの世での勤めは終わったのだと言われたのです。その言葉を聞いた時、モーセは大きな慰めをいただいたのではないでしょうか。
このモーセの生涯を歌ったのが、この詩編90編です。この詩編から「人の子よ。帰れ。」と題して3つのことをお話ししたいと思います。
(2)世々とこしえに、あなたは神
2節
「山々が生まれる前から/大地が、人の世が、生み出される前から/世々とこしえに、あなたは神。」
モーセの神は、山々が生まれる前から、大地や、人の世が生まれる前から、世々とこしえに、神であられました。その神様を拠り所とする人生こそ、素晴らしい人生です。
4~7節には、空しい人生の姿が書かれています。
「千年といえども御目には/昨日が今日へと移る夜の一時にすぎません。あなたは眠りの中に人を漂わせ/朝が来れば、人は草のように移ろいます。朝が来れば花を咲かせ、やがて移ろい/夕べにはしおれ、枯れて行きます。あなたの怒りにわたしたちは絶え入り/あなたの憤りに恐れます。」
神様の目から見ると、千年も、昨日から今日へと移る一時に過ぎません。
年を取ると、みなさんが感じらておられると思いますが、年を取れば取るほど、時間の流れは速くなっていきます。子どもの頃、朝起きて、一日が過ぎるのが長く感じて、早く大きくなりたい、早く大人になりたいと思っていたのに、20歳を過ぎた頃から、加速度的に時間は、過ぎていって、あっという間に56歳になってしまいました。そして、御高齢の方からお聞きしたのですが、その速度は、ますます速くなっていくそうです。
神様が与えて下さった人生には、限りがあります。どんなに長いと思っていても、昨日が今日へと移る夜の一時のように、時は過ぎていくのです。だからこそ、人生を大切に生きなければならないのです。
みなさんは、どのような人生の生きたかをしておられるでしょうか。
この世には、3つの空しい生き方があると思います。
①快楽主義的な生き方
5節
「千年といえども御目には/昨日が今日へと移る夜の一時にすぎません。あなたは眠りの中に人を漂わせ/朝が来れば、人は草のように移ろいます。」
このような人は、限られた大切な人生を大切にしないで、「今」さえ、楽しければ良いと、飲んで食べて楽しもうという、快楽主義的な生き方です。そのような生き方をして、人生を無駄に過ごしている人が何と多いことでしょうか。
②物質主義的な生き方
6節
「朝が来れば花を咲かせ、やがて移ろい/夕べにはしおれ、枯れて行きます。」
これは、人生に、ひと花を咲かせてやろうと、物質的な物を求めて生きている人たちのことです。
頼りになるのは、お金だ。財産だ。物質だ、という物質主義的な生き方です。それらの者は、朝花を咲かせて、夕方にはしおれ、枯れていく花のように、空しい人生です。
③自分中心の生き方
この世には、自分しか頼りになるものはないという自己中心な生き方です。このような生き方、7節に
「あなたの怒りにわたしたちは絶え入り/あなたの憤りに恐れます。」
とあるように、神様の怒りと、憤りを受けるような、憎しみと争いに満ちた、汚い惨めな空しい人生です。
神様は、私たちを造られ、愛しておられます。そして、私たちの大切な人生を神様を拠り所として歩んで欲しいと願っておられるのです。
しかし、サタンは、私たちを神様から何とか引き裂こうとして、今お話しした①快楽主義、②物質主義、③自己中心を用いて誘惑にやって来るのです。
その誘惑は、一見魅力的で、私たちの心を引き付けます。
昔、フランスのパリで、金の指輪を作った人がいました。その内側には毒薬が塗られ、また、小さなとげがついていて、そっと、それを盗んで指にはめると、そのとげで皮膚が傷つけられ、その傷に毒がしみこんで、数時間も経たないうちに、命を取られるような仕掛けになっていたのです。
人の罪の関係も、この指輪に似ているところがあります。ほんのつかの間の快楽や、この世の物、自己中心な生き方を求めたために、真の拠り所である神様から離れてしまい、取り返しの付かないことになってしまうのです。
しかし、この詩編を書いた詩人は、力と命の源であり、限りなき愛であられる神様を人生の拠り所として歩んできたといっています。この神様と歩む人生こそ、きよい生活、安全な生活、喜びと平安の生活です。
2節
「山々が生まれる前から/大地が、人の世が、生み出される前から/世々とこしえに、あなたは神。」
変わりゆくこの世の中で、世々とこしえに、変わることのない神様を拠り所として、神様の栄光のために生きる、祝福された人生を歩ませていただきましょう。
(3)「人の子よ。帰れ。」
3節「あなたは人を塵に返し/「人の子よ、帰れ」と仰せになります。」
詩編の作者は、この世の誘惑に、捕らわれてしまっている人々に対して、「人の子よ、帰れ」と仰せになります。」
「人を塵に返し」という言葉には、2つの意味があります。
①塵に返るという、もう一つの意味は、心が砕かれるという意味です。
モーセが用いられたのは、エジプトで、最高の教育を受け、権力を身につけた時ではありませんでした。
ミディァンの地で、羊飼いを40年もして、自分の無力を思い知らされたモーセを用いられたのです。神様は、心砕かれた人を招いておられるのです。
ルカ15章にあの有名な、放蕩息子のことが書かれています。放蕩息子が、放蕩に身を任せて、落ちるところまで落ちて、とことん駄目な人間だと知らされた時、本心に立ち帰って、「父のもとに帰ろう」という思いが与えられたのです。
そのように、私たちも自分が本当に駄目な人間だということに気づいた時にはじめて
「人の子よ、帰れ」 という神様からの御声が聞こえてくるのです。
今年の1月21日(月)に、国井 誠兄の葬儀が行われました。72歳という若さで召天されましたが、国井 誠さんの生涯は、救われた喜びに溢れていました。
そこには、国井 誠さんの写真が飾られていましたが、それは、本当に素晴らしい笑顔で、お母様の国井ハナさんの写真の笑顔と同じ顔をしていました。
息子の国井 巌さんが、弔辞を宣べられましたが、その最初の言葉は、ハレルヤでした。そして巌さんは、「このハレルヤという言葉は父が、いつも言っていた言葉です。今ここに父がいたら、きっと「ハレルヤ」というと思います。」と言っていました。そこには、別れの寂しさはありましたが、確かに天国に行かれたという喜びと希望が溢れていました。
実は、この巌さんは、しばらく教会を離れて放蕩息子のような生活をしておられたそうですが、誠さんの病気をきっかけに、教会に行くようになり、そこで、イエス様に立ち返ることが出来たのです。「わたしが、教会に立ち返ることが出来たのはおやじのお陰です」と言っておられました。
人生を終える時「ハレルヤ」と言える生涯とは、何と素晴らしい生涯でしょうか。そして、神様はその福音を私たちにも委ねて下さっているのです。
そして、私たちのために、イエス・キリストが十字架にかかってくださり、救いの道を完成してくださって、「人の子よ、帰れ」と私たちを招いてくださっているのです。
その御声に耳を傾けて、砕けた悔いた心で、主のもとに立ち帰りましょう。
モーセのように、たとえ自分の願い通りに物事がいかなかったとしても、最後の一息まで、主の栄光のために用いていただきましょう。
②それは、死を意味する言葉です。
土の塵から作られた私たちは、やがて土の塵にかえります。そして、死を前には、私たちは全く無力な存在です。
9~10節
「わたしたちの生涯は御怒りに消え去り/人生はため息のように消えうせます。人生の年月は七十年程のものです。健やかな人が八十年を数えても/得るところは労苦と災いにすぎません。瞬く間に時は過ぎ、わたしたちは飛び去ります。」
この御言葉を読むと、歌丸愛子さんのことを思い出します。
歌丸愛子さんは、60代の時に、心臓疾患のために血圧が急に下がり、血圧を急に上げたためくも膜下出血にを起こして手術をし、もう何年生きられるか解らないという所を通らされました。
ところが、主が生かしてくださって、86歳を過ぎるまで、信仰を全うされました。 その歌丸愛子さんが、よくこの聖書の箇所を開いて、「神様今日もあなたによって生かされていることを感謝します。」とよく祈っておられました。
そして、今日ここに、川上家の方々が、おられますが、川上義也兄のお母様、川上 悟兄のお婆様の、川上タダヨさんが、歌丸愛子さんが、結婚される前、遠藤愛子さんだった時に、赤湯で医者をしておられたお父様が、病院で家庭集会をしておられ、そこに、川上タダヨさんが導かれたことをお聞きしました。
その川上タダヨさんが、召天されて記念会が行われた時に、書かれた手紙が、川上タダヨさんの遺稿集に載っていました。
その川上タダヨさんが、召天されて記念会が行われた時に、贈られた短歌が、川上タダヨさんの記念誌に載っていました。
それを、いくつか紹介させていただきます。
三十路(みそじ)にて、夫(つま)を戦場に失いし、友は女手に子等は育てり
川上タダヨさんは、30代の夫を戦場で失われましたが、女手ひとつで子どもたちを育てられました。そのご苦労を思いやる温かい心をこの短歌に感じます。
唯一のささえは愛なるみ神えの 信仰によれる力なるべし
この短歌に、タダヨさんの信仰が現されています。ただ唯一の神様を信じる信仰によって力に支えられてきたのです。そればかりか、信仰によって、死にも勝利して、70歳で天国に召されて行ったのです。
私たちは、自分で今日も生きているかのように思っていますが、実は、神様に生かされているのです。神様の助けなしには、一時でも生きることの出来ない、全く無力な存在なのです。
そして、その死を前にして、自分が全く無力だと感じだ時、神様に従ってきた私たちに、「人の子よ、帰れ」という主の御声が聞こえてくるのです。
私たちは、自分の無力さや、限界を知らない時には、なかなか神様に立ち帰ることは出来ませんが、それを知らされる時、私たちは神様に立ち帰ることが出来るのです。
「人の子よ、帰れ」 自分が全く無力であることを認め、主のもとに帰りましょう。
そして、私たちの人生の最後の日、神様は、私たちに、「人の子よ、帰れ」と声をかけて下さり、主のもとへ帰る時がやって来るのです。先程、召天者の御名前が読まれましたが、その諸先輩方のように、私たちも、イエス・キリストを救い主として信じて、最後の一息まで、祝福された信仰生活をさせていただきましょう。
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