イエス様が、一番最初に奇跡を行われた場所は、どこでしょうか。
ガリラヤのカナです。結婚式でぶどう酒がなくなった時、水をぶどう酒に変えられたのです。
さて、イエス様は、再びガリラヤのカナに行かれ、二回目の奇跡を行われました。
カナから離れたカファルナウムという町に、王様に仕える役人が住んでいました。
ある日、この役人の息子が病気になってしまいました。息子の病気が治るように、あっちのお医者さんに行ったり、こっちのお医者さんの所に行ったりしました。高価な薬も飲ませましたが、病気はよくなるどころか、どんどん悪くなるばかりです。「もう、息子は助からないのだろうか。」
すべての希望が、消えかかっていたその時です。イエス様が、ガリラヤにおいでになったといううわさを聞いたのです。
「イエス様なら、きっと治してくださる。」この役人はそう思いました。そして、この役人のいたカファルナウムからカナまで、30㎞もあるのに、一生懸命走って、イエス様の所に行きました。
そして、イエス様に「どうぞ、わたしの家に来て、息子を治してください。」とお願いをしたのです。
ところが、イエス様は、「なぜ、あなたがたは奇跡ばかりを求めるのですか。奇跡を見ないと信じようとしないのは、本当に残念です。」と言って、息子の所には来てくれませんでした。
さて、この役人はどうしたでしょうか。
イエス様にそう言われても、この役人はあきらめませんでした。「主よ、子供が死なないうちに、おいでください」と必死になってお願いをし続けたのです。
すると、イエス様は、「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」とおっしゃったのです。役人は、このイエス様の言われた言葉を信じました。本当に息子が癒やされたという奇跡を見る前に、イエス様の言葉を信じて家に帰ったのです。
役人が家に帰る途中です。召使いたちが、こちらに向かって走ってきました。
「御主人様、大変です。病気がすっかり治って、元気になられました。」
それを聞いた、役人は、「イエス様が本当に治してくださったのだ」と感謝で一杯になりました。そこで、息子が病気が治った時間を聞きました。すると召使いは「きのうの午後一時に熱が下がりました」と答えました。それは、イエス様が「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」とイエス様がおっしゃった時間と同じ時間だったのです。この役人は、その時にはっきりとイエス様を信じました。
神の子であられるイエス様にはできないことはありません。イエス様のお言葉は、必ずその通りになるのです。ですから、イエス様の言葉を信じる人は、決して失望に終わることはないのです。
この素晴しい奇跡を聞いた、役人の家族も、召使いたちも大喜びです。そして、みんなイエス様が神様から遣わされた救い主であることを信じました。
これは、イエス様がガリラヤのカナで行われた二度目の奇跡でした。
この御言葉から、3つの事をお話ししたいと思います。
(1)愛する息子のために
この役人は、ガリラヤ地方を治める役人です。その役人が、イエス様の所に行って、頭を下げてお願いをするということは、とても考えられないことでした。しかし、わざわざカファルナウムからカナまで30㎞も旅をして、イエス様の所にやって来たのです。今のように、車も電車もありません。歩くと、7~8時間位かかります。
それなのにどうして、この役人はイエス様の所にやって来たのでしょうか。それは、息子を心から愛していたからです。そして、死にそうになっている息子の苦しみを見ていられなかったからです。その愛の故に、何時間も旅をして、地位も名誉もかなぐり捨てて、イエス様に「主よ、子供が死なないうちに、おいでください」とお願いをしたのです。
愛は計算をしません。また、愛はどこまでも人を謙遜にするのです。
昨日からオンヌリ教会宣教チームの方々がお越しになっています。ソウルを昨日の朝発たれて、東京から新幹線で山形まで来られました。ハン・ドンフンさんは13回目を迎えました。自分で旅費を出し、大切な休暇を使って、なぜ、山形まで来られるのでしょうか。
それは、ただ、山形を愛する愛の故です。今日は、夕方4時30分からオンヌリ教会主催で、Happy Togetherが行われます。韓国料理付きの楽しい集いです。ぜひ、お誘い合わせの上ご来会ください。また、明後日午後2時から、山形駅前で路傍伝道が行われ、神様の愛が伝えられます。時間の許される方はぜひ、御参加下さい。
そして、その愛の模範は、イエス様御自身です。
フィリピ2:6~8
「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。」
役人は息子のために30㎞を歩いてきました。
オンヌリ教会宣教チームは、韓国から成田まで3000㎞、成田から山形まで500㎞を旅して、神様の愛を伝えて下さっています。
そして、神の子であられるイエス様は、神の国から、私たちの救いのためにこの地上に来てくださったのです。それも、最後は、私たちの救いのために十字架で命を捨ててくださったのです。それほどまでに、私たちの事を愛しておられるのです。
(2)場所を超えて働かれる神様
50~52節
「イエスは言われた。「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。ところが、下って行く途中、僕たちが迎えに来て、その子が生きていることを告げた。そこで、息子の病気が良くなった時刻を尋ねると、僕たちは、「きのうの午後一時に熱が下がりました」と言った。」
この役人が、イエス様から御言葉をいただいたのは、カナでした。ところが、病気が癒やされた息子は、この時30㎞も離れた、カファルナウムにいたのです。
けれども、場所は離れていても、イエス様から御言葉をいただいた時、息子の病気は癒やされたのです。
その喜びの知らせを伝えるために、召使いが急いできたので、その息子が癒やされた時間を聞きました。
さて、何時に病気は治ったでしょうか。
召使いは
「きのうの午後一時に熱が下がりました」と答えました。それは、イエス様が「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」とイエス様がおっしゃった時間と全く同じ時間でした。
イエス様は、場所と時間を超えて働かれるお方です。
北朝鮮と韓国とが戦争をしていた時のことです。
韓国側の、兵隊が敵に討たれて倒れしまいました。何とか、助けようとスキをうかがいましたが、戦争は激しくてどうしても、助けに行くことが出来ませんでした。
その時です。一人の兵隊が、「今何時だと聞きました。」「今は3時30分だと言う」と4時になった教えてくれと言いました。4時になったので、それを伝えると、彼は、激しい戦場の中を走っていって、倒れている一人の兵隊を見事に助けて帰って来たのです。
驚いた仲間たちが、「どうして、4時に助けることができたんだ。」と聞くと、「いや、内のお母さんが、毎日、4時に、我々のために祈っていると言っていたのを思い出したんだ。」と答えました。
この一人の兵隊は、祈りの援護射撃に助けられて、一人の友人を救うことができたのです。
イエス様は、神の子です。そして、場所も時間も支配しておられるお方です。このイエス様を信頼して、祈りましょう。そして、そのイエス様の御言葉を信じて、従って行きましょう。
(3)神様の言葉を信じた役人
50節
「イエスは言われた。「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。」
この役人は、最初は、「カファルナウムまで下ってきて、息子を治してください。」とイエス様にお願いしたのです。ちょうど、お医者さんが、往診で家に来て、治療をしてくれるように、私の家に来て息子を治してくださいとお願いをしたのです。
しかし、この役人は、イエス様に出会った時、このお方こそ救い主だと信じました。そして、そのイエス様の言葉をいただきさえすれば癒やされると信じたのです。
御言葉には、力があります。創世記1章には、天地創造の出来事が書かれていますが、神様は「光りあれ」と言われると光りがあったと書かれています。そのようにして、神様は言葉によって、この世の物を創造されたのです。
それだけではありません。イエス様は、言葉によって人を癒やし、罪から救うことができるお方です。
神様の言葉には力があります。
みなさんは、ライオンは磨きを知っていますか。日本ではとても有名で、知らない人はいません。このライオン株式会社の創始者の小林富治郎さんは熱心なクリスチャンでした。
彼は、1889年工場を建て、マッチの軸を作る事業を始めました。ところが、次の年の8月に大洪水が起こって、工場は水浸しになり、1年分の材木が流されてしまいました。
もう一度やり直そうと一生懸命頑張りましたが、うまくいきませんでした。そこで、思い詰めた彼は、もう駄目だと思い詰めて、ついに自殺をしようと思いました。
ある晩、岩手県から宮城県に流れている北上川の橋の上に行きました。そして、その橋から身を投げ出そうしたその瞬間です。彼心の中に稲妻のように聖書の御言葉が、響いたのです。
ヘブル12:11
「およそ鍛錬というものは、当座は喜ばしいものではなく、悲しいものと思われるのですが、後になるとそれで鍛え上げられた人々に、義という平和に満ちた実を結ばせるのです。」
この御言葉は、小林富治郎さんが、受洗したときに、教会の牧師が葉書に書いて送ってくれた御言葉でした。
その御言葉によって、彼は自殺をとどまり、再び事業に取り組む勇気が与えられ、現在の、成功を収め、ライオン株式会社を建てあげたのでした。
イザヤ40:8に
「草は枯れ、花はしぼむが/わたしたちの神の言葉はとこしえに立つ。」とあります。
聖書の御言葉は、決して変わることがありません。
私たちの感情や、考えは不完全です。そして、それは、揺れ動いてしまいます。しかし、聖書の御言葉は、決して変わることのない神の言葉です。
50節
「イエスは言われた。「帰りなさい。あなたの息子は生きる。」その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。」
「その人は、イエスの言われた言葉を信じて帰って行った。」 この役人のように、イエス様の御言葉を信じて、このところから遣わされて行きましょう。
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