イースターおめでとうございます。
今日は、山形は桜が満開で、花見日和です。
冬の間は、桜の木は木と枝だけで、枯れ木のようでしたが、春になると、つぼみが膨らみ、花が咲いて、今日はイースターの喜びを表しているように思います。
イースターは、枯木に花が咲くように、十字架で死なれたイエス様が、3日の後によみがえられた、イエス様の復活をお祝いする日です。私たちも心からイースターおめでとうございますとお祝いしましょう。
今日の中心の御言葉は、マタイ28:6です。
「あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。」
イエス様が、十字架の上で息を引き取られて数時間が経ちました。あたりはだんだん薄暗くなりかけていました。
当時のユダヤの決まりによると、死刑にされた死体はその日の内に墓に葬らなければなりませんでした。ところが、イエス様の弟子たちは、ほとんどが逃げてそこにはいませんでした。
それでは、誰が、イエス様をお墓に入れたのでしょう。
それは、お金持ちで地位のある、アリマタヤのヨセフという人でした。
アリマタヤのヨセフはイエス様を信じていましたが、今までユダヤ人が恐くてそのことを隠していたのです。でも、イエス様の十字架にかかられる姿を見て、勇気が与えられました。そして「十字架で死なれた、イエス様のお体をわたしにください。」とピラトにお願いしたのです。
ヨセフはイエス様のお体を大切にいただいて帰ると、槍で刺された傷口を丁寧にふき、きれいな布で体をくるみました。
それから、ヨセフは新しいお墓に、イエス様のお体をお入れしたのです。
さて、イエス様を十字架につけた、祭司長やファリサイ派の人達は、これで安心だと喜んでいたのでしょうか?
いいえ、そうではありませんでした。これから何が起こるのだろうと思うと心配で心配でたまらなかったのです。
そこで、ピラトという裁判官の所に行ってこう言いました。
27:63,64節にはこう書いています。
「閣下、人を惑わすあの者がまだ生きていたとき、『自分は三日後に復活する』と言っていたのを、わたしたちは思い出しました。ですから、三日目まで墓を見張るように命令してください。そうでないと、弟子たちが来て死体を盗み出し、『イエスは死者の中から復活した』などと民衆に言いふらすかもしれません。そうなると、人々は前よりもひどく惑わされることになります。」
そこで、イエス様のお墓の前には、大きな石が置かれて、お墓をローマの兵隊が昼も夜も交替で見張りをすることになりました。そして、お墓には、封印がされて誰も入れないようにしたのです。
でも、そんなに大きな石を取りのけてくださる素晴らしい出来事が起きたのです。
イエス様が、十字架にかかられて、三日目の朝のことです。マグダラのマリアともう一人のマリアが、イエス様のご遺体に良い香のする香料を塗るために、お墓にやってきました。
すると、突然、大きな地震が起きました。その誰も動かせないと思っていた大きな石を、主の天使が天から降って近寄り、わきへころがして、その上に座ったのです。
その天使は、稲妻のように輝き、雪のように白い衣を着ていました。
見張りをしていた兵隊達は、恐ろしくてたまらなくて死んだようになってしまいました。
その時に、天使はこう言ったのです。6節
「あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。」
それから、天使はマリア達にこう言いました。7節
「それから、急いで行って弟子たちにこう告げなさい。『あの方は死者の中から復活された。そして、あなたがたより先にガリラヤに行かれる。そこでお目にかかれる。』確かに、あなたがたに伝えました。」
よみがえりの知らせを聞いた、マグダラのマリアともう一人のマリアは、この素晴らしい知らせを弟子たちに知らせようと、急いで走っていきました。するとその途中で素晴らしいことが起きました。よみがえりのイエス様がそこにおられたのです。
イエス様は「おはよう」と二人に声をかけてくださいました。
ふたりは、よみがえりのイエス様に出会って、どんなに嬉しかったことでしょう。本当に、十字架にかかられ、お墓に葬られたイエス様は、よみがえられたのです。
イエス様は、この後、12弟子にあらわれ、500人以上の人達にあらわれた事が聖書に書かれています。そして、よみがえられたイエス様は、イエス様を信じるすべての人の心の中に生きておられるのです。
この聖書の中から、2つの事をお話ししたいと思います。
(1)お墓の中に葬られたイエス様
ここで、質問です。
イエス様のお墓には、大きな石が置かれて、番兵が昼も夜も交代で見張りをしていました。そして、その石には、封印がされて、絶対に開かないようにしていたのです。
この大きな石というのは、何を表しているのでしょう。それは、私たちの心の中にある3つの石です。
⑴わたしたちの罪です。
どうでしょうか。みなさんの心の中に、神様と私たちとを妨げる罪という石がありませんか?
みなさんは、警察に捕まるような罪は犯してはいないかも知れません。でも、お友達や、兄弟とけんかをすることも立派な罪です。聖書には、人のことをバカと言った人は地獄の火の中に投げ込まれると書いています。
そして、何よりも一番大きな罪は、私たちの罪のために十字架にかかってくださったイエス様を信じない罪です。そのような大きな石がないでしょうか。
⑵わたしたちの不信仰です。
弟子たちは、イエス様が、十字架にかかられた時、婦人たちが、よみがえりのイエス様にお会いした時、喜びに満たされて、弟子たちにそのことを知らせました。ところが、弟子たちは、そのことを信じることが出来ずに、家の扉にカギを閉めて隠れていたのです。
弟子たちの心の中に不信仰という石があったのです。死んだ人が3日後によみがえるということは、常識では信じられることではありません。けれども、イエス様は神の子です。イエス様だけが、死を打ち破りよみがえられたのです。
もし、私たちの心の中に、不信仰という石があるならば、それを取り除いていただいて、心の中によみがえりのイエス様をお迎えしましょう。
⑶わたしたちの死です。
人間は、どんな人も死ぬことは決まっています。どんなにお金持ちでも、どんなに勉強が出来ても、どんなに早く走れても、どんなに力があっても、人間は必ず死んでしまいます。それは、私たちにとってこの大きな石のようなもので、自分の力では取り去ることは出来ません。
みなさんの心に、そのような大きな石がありませんか。
罪という、大きな石があって、苦しんでいないでしょうか?
また、不信仰という石が心の中にあって、イエス様がよみがえられたことを信じられないと、悩んでいませんか。
また、死という大きな石を前にして、苦しんでおられる方がおられないでしょうか。
けれども、イースターの朝、その大きな石は取り除かれて、イエス様はよみがえられたのです。そのよみがえりのイエス様を信じて、イエス様を心の中にお迎えしましょう。
(2)よみがえられたイエス様
6節をみんなで読んでみましょう。
「あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。さあ、遺体の置いてあった場所を見なさい。」
イエス様のお墓の中には、イエス様はおられません。どうしてですか。よみがえられたからです。
私は、4年前にイスラエルに行ってきました。
イエス様のお墓があって、そこから、ゴルゴダの丘が見えます。そのお墓の入り口に、「HE IS NOT HERE. FOR HE IS RISEN.」と書いてありました。「あの方ははここにはおられません、あの方はよみがえられたのです。」という意味です。
そして、そのお墓の中には、イエス様の遺体はありませんでした。イエス様は、本当によみがえられたのです。
罪に打ち勝ち、死に打ち勝たれたイエス様は、私たちにも、罪と死に打ち勝つ力を与えて下さるお方です。
「あの方はここにはおられない。」イエス様を信じる私たちは、もう罪の中にとどまり続けることはないです。そして、死から解放されて、永遠の命が与えられるのです。
マルチン・ルターという人を知っていますか。宗教改革をした人です。
ルターには、たくさんの子供がいましたが、女の子はたった一人だったのです。その女の子の名前は、レナさんです。このレナさんは、とても優しい女の子だったので、お父さんのルターは特別にかわいがっていました。
ところが、このレナさんが14歳のとき、大変な病気にかかってしまいました。そして、その病気がだんだん悪くなってしまっいました。 そして、とうとうある日、お医者さんに「レナさんの病気は重くて、長く生きることは出来ません。」と言われました。 寝たきりになったレナちゃんに、お父さんのルターは、「天のお父様のところに行く準備は出来ていますか。」とやさしく尋ねました。
レナさんは、イエス様を信じていましたので、泣いたり叫んだりしないで、「神様の御心がなりますように」と言って、すべてを神様の御手にお委ねして、とてもいい顔をしていました。
ところが、それとは逆に、お父さんのルターは悲しくて悲しくて心が張り裂けるようでした。とうとう、その悲しみに耐え切れずに、ひざまづいて、激しく泣いてしまいました。けれども、お父さんは、一生懸命レナちゃんのためにお祈りをしたのです。そして、お祈りをしているうちに、私たちの罪のために十字架に架かって、3日の後によみがえって下さったイエス様が、レナさんを必ず天国に連れて行って下さると、心から信じることが出来たのです。
その時、ルターの心の中に、神様から平安が与えられました。
レナさんが、天国に行った日、今度はレナさんのお母さんが、悲しくて泣いてしまいました。そのお母さんに向かって、お父さんのルターはこう言いました。
「レナがどこへ行ったかを考えなさい。レナは、イエス様によって永遠の命が与えられたのです。だから、キリスト者は決して嘆いてはいけません。神様がキリストによってそれを約束されたからです。」
レナさんは、イエス様を信じて、イエス様がよみがえられたように、永遠の命が与えられたのです。
6節
「あの方は、ここにはおられない。かねて言われていたとおり、復活なさったのだ。」
イエス様は、私たちの心にある大きな石を取り除いて、イエス様を信じる信仰と、罪の赦しと、死に打ち勝って永遠の命を与えてくださいました。この素晴らしいイースターの喜びを、私たちもお伝えしましょう。
イースターおめでとうございます。
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