今年の年間聖句を読んでみましょう。
マルコ16:15
「全世界に行って、すべての造られた人に、福音を宣べ伝えなさい。」
今日は、岡 聖志兄の証しを聞くことが出来感謝です。齋藤 悠兄とYくんと岡 聖志兄とは、札幌の愛隣チャペルキリスト教会の「くるくる体験セミナー」に行って恵まれてきましたが、私たち夫婦は、ちょうど3人が北海道から帰ってきた日に、福岡に向かい、九州に行って豊かな恵みをいただいてきました。
2014年の初めから、日本の北と南で働いておられる神様の御業を知ることができ感謝です。
今年は、主の愛を伝える年です。そのことを心に留めながら、示されたのが、Ⅱテモテ4:2です。
「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。」
この御言葉から、3つのことを学ばせていただきたいと思っています。
(1)聖書の御言葉に親しむこと。
テモテへの手紙第一3章14~15節をご覧下さい。
「だがあなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。あなたは、それをだれから学んだかを知っており、また、自分が幼い日から聖書に親しんできたことをも知っているからです。この書物は、キリスト・イエスへの信仰を通して救いに導く知恵を、あなたに与えることができます。」
テモテは、幼いときから聖書に親しんでいました。Ⅱテモテ1:5には「この信仰は、まずあなたの祖母ロイスと母エウニケに宿りましたが、それがあなたにも宿っていると、わたしは確信しています。」と書かれています。
テモテの父は、ギリシャ人でしたが、母のエウニケと祖母ロイスはユダヤ人のクリスチャンでテモテは幼いときから、この二人のひざの上で聖書の話を聞いていたのです。
それだけではありません。Ⅱテモテ3章15節には、「自分が幼い日から聖書に親しんできた」と書かれています。
テモテは聖書の言葉を、幼い頃から何回も何回も繰り返し読んでいたに違いありません。
ユダヤ人は、律法を重んじて、聖書を幼いころから暗記するそうです。ある人は、創世記・出エジプト記・レビ記・申命記。民数記というモーセ5書を全部暗記する人もいるそうです。テモテもそのようにして、御言葉に親しんできたのではないでしょうか。
聖書を全部暗記出来なくても、聖書を毎日読むこと、暗記することはとても大切なことです。
先週、牧師休暇をいただいて、北九州の実家に帰省させていただきました。
まず、感謝したことは、クリスチャンホームに育ったことです。もし、わたしがクリスチャンホームに育たなかったら、教会に行くことも、聖書を読むこともなかったかも知れません。そして、幼い頃、我が家では家庭礼拝を毎週土曜日に行い、その日だけ、父がおやつを買って帰るのです。そして、家族で聖書を読んでお祈りをすると、おやつを食べながら一家団欒の時を持ちました。
また、牧師先生に来ていただいて、家庭集会が行われたことも良い思い出です。
今回も、毎朝母とリビングライフで祈り、木曜日には私の母教会の北九州復興教会曽根教会の祈祷会に出席しました。
教会に行くと昔のことをいろいろ思い出しました。私は幼い頃、本当にやんちゃ坊主で、教会学校の先生を困らせた生徒でした。
そんな私でしたが、教会学校の先生や、教会の信徒の方々は私を愛し、育てて下さいました。そして、小学校を卒業したイースターの日に、罪を悔い改めて、洗礼を受けたのです。その後も、ずっと祈り続けて下さり、今でも、早天祈祷会や祈祷会で、北九州復興教会出身の牧師のために祈りがささげられていますが、そのようにして、多くの人の愛と祈りによって、今があることを思い、感謝しました
そして、その日に語られた御言葉は、私が大学生の時に献身に悩んでいた時に、与えられたモーセの召命の箇所でした。その御言葉をいただいて、年の初めにもう一度、献身の原点に立ち返ることが出来ました。
また、次の日は、大学時代の恩師のお見舞いに行ってきましたが、その先生は、大学時代に教授の部屋を開放して、聖書研究会を導いてくださった先生で、その時からずっと祈ってくださり支えてくださっています。
そのように、本当に多くの人たちの愛と祈りによって今があることを思い起こされて、本当に感謝し、力をいただいて帰ってきました。
コヘレトの言葉12:1をお開きください。
「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と/言う年齢にならないうちに。」
このコヘレトの言葉は、人が幸せに暮らすためにはどうしたら良いのかが書かれている大切な書簡です。この書簡でコヘレトは、「空の空いっさいは空である」とこの世の物の空しさを語っていますが、その結論が12:1です。
「青春の日々にこそ、お前の創造主に心を留めよ。苦しみの日々が来ないうちに。「年を重ねることに喜びはない」と/言う年齢にならないうちに。」
口語訳聖書では「青春の日々にこそ」という言葉が「あなたの若い日に」と訳されています。コヘレトは、人が若い日に、創造主である神様を信じ、その神様に心を留めることこそ本当の幸せであると行っているのです。
イエス様を信じるのは、若ければ若いほど素晴らしいことです。創造主を信じて、素晴らしい人生を歩み出していきましょう。
パウロはペトロのことを「幼いときから聖書に親しんでいました。」と書いています。
このペトロのように、幼い頃から、聖書に親しむことは、本当に素晴らしいことです。私たちも、ペトロの祖母ロイスや母エウニケのように私たちの子どもや孫に、聖書の御言葉を伝え、キリストのもとに導かせていただきましょう。
(2)聖書の御言葉の確信に立つこと。
3章14節をご覧下さい。
「 だがあなたは、自分が学んで確信したことから離れてはなりません。」
テモテは、決してクリスチャンとして、あまり強いクリスチャンではなかったようです。パウロがⅡテモテ1:7で、テモテに「 神は、おくびょうの霊ではなく、力と愛と思慮分別の霊をわたしたちにくださったのです。」と励ましていることから、憶病なところがあったと考えることができます。
また、Ⅱテモテ1:8に「恥じては行けません」という言葉や
Ⅰテモテ4:12に「だれからも軽んじられてはなりません」という言葉からはとても、堂々とした伝道者というイメージはでてきません。
また Ⅰテモテ5:23に「これからは水ばかり飲まないで、胃のために、また、度々起こる病気のために、ブドウ酒を少し用いなさい。」と記されているところからテモテは、胃を痛めたり、度々病気をする病弱な人であったようです。
どうして、そのような精神的にも肉体的にも弱いテモテが、忠実に奉仕をし、エペソの教会を牧会することができたのでしょうか。
それは、彼がいつも聖書の御言葉に立っていたからです。
私たちが御言葉の確信に立つということが何よりも大切なことなのです。 パウロは、この御言葉について3章16~17節でこう言っています。
「聖書はすべて神の霊の導きの下に書かれ、人を教え、戒め、誤りを正し、義に導く訓練をするうえに有益です。こうして、神に仕える人は、どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです。」
聖書は、どんな書物や、どんなにすばらしい哲学とも全く違う「神の霊に導かれて書かれ」た神の言葉です。
そして、この御言葉に導かれて信仰生活をするならば、「どのような善い業をも行うことができるように、十分に整えられるのです」と書かれています。
そして、私に、この変わらない御言葉が与えられているということは、本当に素晴らしいことではないでしょうか。
3章14節
「だが、あなたは自分が学んで確信したことから離れてはなりません。」
私たちが、御言葉を離れると、臆病で、自分の弱さを知らされ、不安になります。
だからこそ、テモテのように、聖書の御言葉の確信に立って、主を信じ、主に従い、忠実に主に仕える者とさせていただきましょう。
(3)折りがよくても悪くても御言葉を宣べ伝える。
4章1~2節
「 神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。」
2節に「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。」とありますが、パウロこの手紙を書いた時代は、折が悪い時代でした。この時代は教会の外側と内側の2つの意味で悪い時代だった問いえると思います。まず、3章11節と12節をご覧下さい。
「アンティオキア、イコニオン、リストラでわたしにふりかかったような迫害と苦難をもいといませんでした。そのような迫害にわたしは耐えました。そして、主がそのすべてからわたしを救い出してくださったのです。キリスト・イエスに結ばれて信心深く生きようとする人は皆、迫害を受けます。」
ここに記されているように教会の外側からは大変な迫害がありました。
紀元61年に、パウロはローマでキリストを伝えるという理由で投獄されました。そして、63年に一度は釈放されるのですが、ちょうどこの頃にローマの大火がおきたのです。当時のローマの皇帝ネロは、キリスト信者がこの大火を起こしたとでっち上げて、キリスト教の迫害を始めました。
この迫害は大変なもので、ある者は、はりつけにされました。またある者たちは猛獣のおりの中に投げ入れられて命を失いました。また、ある者たちは火の中に投げこまれました。このようにして多くのキリスト者が殉教の死をとげたのです。
そのような中で、パウロは再び紀元65年に投獄され、68年に殉教の死を遂げることになりますが、その死の直前にこの手紙を書いたのです。
ですから、どう考えても良い時代だったとは言えません。本当に恐ろしい時代でした。
また、テモテが牧会していたエペソの教会の内側にも大変な問題を抱えていました。
エフェソの教会に、異端の教えが攻撃をし信徒の中からも教会を離れていったり、教会を分裂させようとする人たちも起きてきました。
そのような大変な中で、パウロは、テモテに対してこう命じるのです。 1~2節
「神の御前で、そして、生きている者と死んだ者を裁くために来られるキリスト・イエスの御前で、その出現とその御国とを思いつつ、厳かに命じます。御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。とがめ、戒め、励ましなさい。忍耐強く、十分に教えるのです。」
ここに「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい」とあります。
どうして、このような悪い時代に御言葉を宣べ伝えなければならないのでしょうか。
その理由が1節にあります。「その出現とその御国とを思いつつ、」とあります。「その出現」というのはキリスト・イエスの再臨の日です。再び、主は必ずこらます。そしてそのとき全てのことが明らかにされるのです。そのとき、この世の全ての力は滅んでしまいます。
ただ残るのは、永遠に変わることのない主の言葉だけなのです。だから、この世の様々な問題に煩わされるのではなく、永遠に変わることのない「御言葉を宣べ伝えなさい」と言っているのです。
それも「折が良くても悪くても」と言うのです。ここで私たちクリスチャンの聖めが問われるのではないでしょうか。「折が良い時に」御言葉を宣べ伝える人はたくさんいるでしょう。けれども、どれだけの人が「折の悪い」時に、パウロやテモテのように殉教をも覚悟して御言葉を宣べ伝えることができるのでしょうか。
九州に行ったので、昔から行きたかった、キリスト教殉教の地、長崎県の平戸に行ってきました。
先週、日本に始めてキリスト教が伝えたのは、1549年フランシスコ・ザビエルだとお話しをしましたが、その次の年1550年にフランシスコ・ザビエルは、長崎県の平戸に行って伝道をし、ザビエルが伝道した20日間に100人の人が洗礼を受けて、日本最初の教会が建てあげられたのです。そして、福音はどんどん広がって多くの人々がキリスト教を信じるようになりました。
ところが、それに対して、仏教や神道の人々が反対するようになり、幕府もキリスト教を恐れて、迫害をするようになりました。キリスト教は迫害を受け、その信仰を捨てるように強要されました。キリスト教博物館に行ってきましたが、そこには、当時の踏み絵が飾ってあり、その踏み絵を踏まない者は、迫害を受けたのです。
それでも、彼らは迫害に耐え、殉教の死を覚悟して、信仰を持ち続けたのです。中には、隠れキリシタンとして、信仰を保ち続けた人たちもいました。玄関には神棚が飾られ、家の中には仏壇が飾られ、そして一番奥にキリスト教の十字架の像が祭られて、彼らはそれを拝んで信仰を持ち続けたのです。
聖書もなく、神父もいませんから、隠れキリシタンの信仰は、キリスト教徒は違う独自の信仰となって、今でも生月島(いくつきしま)だけにその信者が存在しているそうです。
そして、平戸ではキリスト教が伝えられてから10年後には四百数十名のクリスチャンが殉教の死を遂げたと言われています。しかし、その間にキリスト教は多くの人々に伝えられ、日本全国に福音が広がっていったのです。
今では、福音を伝えたからといって、迫害や殉教の死を遂げるようなことはありません。今こそ、福音を伝える時ではないでしょうか。
「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。」
神様が、遣わされている場所、私たちが置かれている場所で、神様は「御言葉を宣べ伝えなさい。折が良くても悪くても励みなさい。」と語りかけておられるのです。
今日は、3つのことをお話ししました。
①聖書の御言葉に親しむこと
②聖書の御言葉の確信に立つこと
③聖書の御言葉を宣べ伝えること
私たちには、素晴らしい神の言葉である聖書が与えられています。この御言葉に親しみ、聖書の御言葉の確信に立たせていただき、この御言葉を「折りが良くても、悪くても」一人でも多くの人々に宣べ伝えさせていただきましょう。
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