今日、川上陽一兄のお証しをお聞きし、本当に感謝しています。 川上陽一兄を救って下さり、いろいろな試練の中で教会に行けなくなった時も、神様の愛は変わりなく注がれていました。そして、このように、ご夫妻で礼拝に出席して、新たに信仰生活を出発されている姿を神様がどんなに喜んでおられることでしょう。神様が必ず、陽一さんご一家を祝福してくださいます。
先月のファミリー礼拝でお話をした、ヨナのお話しを覚えていますか。ヨナは、最初ニネベの町に行くように命じられましたが、ニネベに行きたくないと言って、港に行きタルシシュ行きの船に乗りました。 ところが、大嵐に遭い、くじを引いて、ヨナは海の中に放り込まれてしまいました。けれども、神様はそのようなヨナをも愛して下さって、溺れていくヨナは大きな魚に飲み込まれたのです。その魚のお腹の中で、3日3晩、神様のお言葉に従わなかったことを悔い改めて、神様にお従いすることを決心しました。すると、大きな魚は、ヨナをはきだして、ニネベの町に行くことになったのです。 今日は、その続きです。
今日の中心の御言葉は11節です。
「それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」
神様は、もう一度ヨナにおっしゃいました。「ニネベの町に行って、私の言葉を伝えなさい。」
「はい、行ってきます。」今度は神様のお言葉通り、ヨナはニネベに出かけました。そして、みんなにこう言いました。「40日するとこの町は滅びます。罪を悔い改めて、神様の元に立ち返って下さい。」 それを聞いた、ニネベの人たちは、大人も子どももみんな神様の言葉を信じました。 ニネベの王様も神様を信じて、町中の人に、「悪いことを止めて、滅ぼされることがないように、神様にお願いしなさい。」と命令しました。⑤ すると、町中の人たちが、「神様、ごめんなさい。」とお詫びをして、悪いことを止めて、お祈りを始めたのです。 それをご覧になった、神様は、ニネベの町を滅ぼすことをおやめになりました。
ところが、ヨナは、そのことに腹を立ててしまいました。「神様は、憐れみ深いお方で、ニネベの人々をゆるすことを知っていたから、神様の言葉を伝えたくなかったんだ。」 ヨナは、「大嫌いな敵である、ニネベの町なんか、滅んでしまえ」と思っていたのです。それなのに、ニネベの人たちが罪を悔い改めて、神様から赦されたのを見て、「ニネベが、赦されるなら、私は死んだ方がましです。」とヨナは神様に文句を言いました。⑥ ヨナは、町の外に簡単な小屋を作って、神様がニネベの町をどうするのかを見ていました。太陽がじりじりと照らす熱い日でした。神様は、ヨナのために、とうごまという木を生えさせて、日陰を作って下さいました。そのとうごまのお陰でヨナは涼しく過ごすことが出来て、とても喜びました。 ところが、次の日のことです。朝早く、一匹の虫が現れて、むしゃむしゃととうごまを食べ始めたのです。とうごまは枯れてしまい、日陰はなくなってしまいました。 暑い太陽の日差しが、ヨナを照らしました。汗が流れて暑くて暑くてたまりません。 ヨナは、「こんなことなら、死んだ方がましだ。」と泣き言を言い始めました。
その時です。神様はヨナに言いました。「あなたは、自分で植えてもいない、たった一本のとうごまが枯れただけでも、悲しんでいる。」
11節「それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」
神様は、天地万物をお造りになり、世界中のすべての人を愛しておられ、みんなが罪を悔い改めて神様を信じ、救われることを望んでおられるのです。
このヨナの話しから、2つの事をお話ししたいと思います。
(1)自己中心なヨナ
このヨナ書を読むと、ヨナは自分中心だなと思います。 ヨナの仕事は、預言者です。預言者というのは、神様の言われた通りに、伝えるのが仕事です。 ところが、ヨナは神様に、ニネベに行きなさいと言われたのに、「いいえ、行きたくない」と言って、船に乗ってしまいました。
そして、大きな魚に助けられて、今度こそ、ニネベの人に、神様の言葉を伝えます。と決心したのに、大嫌いだったニネベの人たちが、罪を悔い改めて救われると、腹を立ててしまいした。 おまけに、神様が育てて下さったとうごまの木が枯れると「死んだ方がましだ。」というなんてひどいと思いませんか。
ヨナは、なんて自己中心なんだろうと思いますが、私たちはどうでしょうか。 神様に嫌なところに行くようにと命令されたら「はい」と言えるでしょうか。 また、自分の嫌いな人が、祝福されていたら喜べるでしょうか。 そして、自分の大切にしていたものが、急になくなってしまったら、神様に文句を言ったことがないでしょうか。
私は、ヨナの姿を見て、私とよく似ているなと思いました。私は、大学4年生の時、「伝道者になりなさい。」という神様の御声を聞きましたが、「いやです。それだけは勘弁して下さい」と祈ったことがあります。
また、嫌いな人が、祝福されて喜んでいるのを見ると、「どうしてあの人が」と思う事があります。 そして、自分の大切にしているものが、急になくなったり壊れたりすると、例えば、最近では、一生懸命に描き上げた説教の原稿が、最後保存をするという時に、消えてしまった時・・・。頭は真っ白、「神様どうしてですか」と文句を言うことがあります。 雨が降ると、天気が良いと思い、天気が良いと暑いと文句を言う。本当にヨナよりももっと自己中心だなと思います。
そして、自己中心の心を持っているならば、自分のことしか見えなくなってしまうのです。 ある日のこと、一人のケチな金持ちが牧師を訪ねてきたそうです。牧師は、その金持ちの手を取ると、近くの窓のところに連れて行って、何か見えますか。と聞きました。するとその金持ちは「たくさんの男の子や女の子が見えます。」と答えました。 すると、牧師はその金持ちを鏡の前に連れて行って、「今度は何が見えますか。」と聞きました。「私しか見えません。」すると牧師は、金持ちにこう言ったそうです。「よく見てください。窓にも鏡にもおなじガラスです。しかし、鏡には少しばかりの水銀が塗られているのです。水銀が少し加わっただけで、あなたはもう外の人を見ることが出来なくなってしまったのです。そして、自分しか見えなくなってしまうのです。それと同じように、私たちと神様との間に罪があるならば、私たちは、自分のことしか考えられなくなってしまうのです」 私たちの心の中が、この水銀のような罪に覆われていないでしょうか。もし、自己中心という罪が示されるならば、その罪を取り除いていただきましょう。
ヨナは、自分のことだけしか考えられない自己中心な預言者でした。けれども、神様はそのような自己中心のヨナをも愛して下さったのです。ヨナのために、大きな魚を用意し、罪を悔い改めに導き、多くの人に神の言葉を伝えるという新たな使命のために用いられました。そして、とうごまの木が枯れてしまったと文句を言っているヨナに、すべての人を愛しておられる大切な神様の御心を示して下さったのです。 自己中心だった時には、自分のことしか見えなかったヨナは、罪を悔い改めた時、多くの滅び行くニネベの人や、神様に愛されているすべての人に目が注ぎ、神様の言葉を伝える人になったのです。
ヨナを愛して下さった神様は、私たち一人一人を愛しておられます。そのような私たちを救って下さるために、独り子であるイエス様をこの世に送ってくださり、そのイエス様が私たちの罪の身代わりに十字架にかかって下さったのです。そのイエス様を信じて、神様に自己中心を悔い改めて、神様中心の信仰生活をさせていただきましょう。 悔い改めとは、180度の方向転換という意味があります。自己中心の生活を悔い改めて、180度方向転換をして、神様中心の生活をさせていただきましょう。
(2)神様はすべての人を愛しておられる
11節「それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」
神様は、一本のとうごまの木を惜しんで「死んだ方がましだ。」と言っているヨナに、「大いなる都ニネベの12万人以上の右も左もわきまえない人々を惜しまずにいられるだろうか。」と言われたのです。 まず、12万以上のニネベの町を大いなる都と言っています。山形市は人口は何人ですか?25万5千人です。二倍以上です。勝ったと思いました。ニネベが大いなる都なら、山形は大いなる、大いなる都です。そして、大いなるニネベを惜しまずにいられるだろうかと言われる神様は、更に大いなる都、山形を惜しまずにいられるだろうかと言っておられるのです。
私たちは、この神様の愛が、独り子であるイエス・キリストを与えて下さるほど大きなものであるということを知っています。 しかし、もしかすると、自分の嫌いな人にまで、神様の恵みが伝わるのを嫌がることがあるかも知れません。ある人に、伝道についてお話しをした時に「天国に行ってまで、あの人と一緒なんて嫌です。」と言われて戸惑ったことがありました。でも、大丈夫です。天国に行った時は、全ての罪は聖潔られ、ただ愛だけがあふれているからです。 けれども、もし、私たちがそのように考えているなら、ヨナと同じです。 神様の愛は、私たちが人知ではとうてい計り知ることの出来ないほど、大きな愛です。 神様は、一人でも滅びることを望まれず、主の救いにあずかることを望んでおられるのです。
先日祈祷会に、オープンドアーズの守部宣教師が来られました。 今、中国では伝道が禁じられています。しかし、中国でも経済成長やインターネットの普及の影響で、キリスト教を信じる人たちが、多くなりリバイバルが起きています。今、正式な発表では、13億の信仰の内、数千万がクリスチャンだと言われていますが、家の教会や正式に登録されていまい人を入れると、一億人くらいの人がクリスチャンだと言われています。 キリスト教の伝道が禁じられている国で、10%近いクリスチャンがいるということは、まさに神様の奇跡です。 特に、オープンドアーズでは3000㎞位車で走って、中国奥地に聖書や注解書を届けていると、そのお話しを聞き、写真を見せていただきました。ある地域では、一冊の聖書が届けられたお陰で、中国奥地には、本や情報がほとんどありませんから、みんなが聖書を熱心の読んで、120人の人がクリスチャンになったそうです。そのように、中国に神様の素晴らしいリバイバルの業が成されています。 そして、中国のクリスチャンが今、祈っているのは、自分の国だけに福音がとどまるのではなく、キリスト教の伝道の禁じられているイスラムへの伝道、ユダヤ人への伝道、そして、福音を伝えてもなかなか受け入れようとしない、日本の伝道のために祈られているそうです。
そして、神様は、日本人を愛して下さって、今週から韓国のオンヌリ教会の宣教チームを送って下さり、神様の愛が伝えられようとしています。 神様は、全世界のすべての人が救われることを願っておられるのです。
11節「それならば、どうしてわたしが、この大いなる都ニネベを惜しまずにいられるだろうか。そこには、十二万人以上の右も左もわきまえぬ人間と、無数の家畜がいるのだから。」
そのために、私たちに出来ることは何でしょうか。それは、神様の愛を宣べ伝えることです。神様が、あの自己中心なヨナを愛し、整えられて、主の使命を与えられたように、私たちも整えられて、主の愛を伝えるお互いとして用いていただきましょう。
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