今日は、那須 悟兄の証しを感謝します。那須 悟兄が独身の時がありました。結婚をして人生が代わり、今度は息子の適くんが生まれて、仕えることを学んでいるとお聞きし、神様は素晴らしいと思いました。 今日は、火の炉の中に投げ込まれた3人のお話しですが、ここには、4番目の人が出てきます。
今日の中心の御言葉は25節です
「王は言った。「だが、わたしには四人の者が火の中を自由に歩いているのが見える。そして何の害も受けていない。それに四人目の者は神の子のような姿をしている。」
先月は、ネブカデネザル王が夢を見たお話をしました。あれから、20年が経ちました。王様は高慢になり、バビロンの国が大きく、強くなったのは、自分の力が優れているからだと思いました。
① そこで、その自分力を誇るために、金の像を造らせました。高さは何と27メートル、幅は2,7メートル近くもありました。金ぱくをはった像は、高くそびえ、太陽の光を受けてキラキラ輝いていました。王様は、奉献式に国中の高官たちを呼び寄せて、このように、お触れをだしました。「王様は、こう命じておられます。角笛、たて琴、ハープなどが一斉に鳴った時には、金でできた像を拝め。ひれふしておがまない者はだれでも、ただちに燃える炉の中に投げ込まれる。」 それを聞いた高官たちは、震え上がり、楽器の音が聞こえるとすぐに、ひれ伏して金の像をおがみました。
② ところが、その中にたった3人だけ立ったままで、偶像を拝もうとしなかった若者たちがいました。それは、イスラエルから連れてこられたシャドラク、メシャク、アベド・ネゴでした。彼らは王様も王様の命令も恐れないで、唯一まことの神様以外は礼拝しなかったのです。 これを見ていた人々が、王様に告げ口をしました。「王様、あなたに仕えているユダヤ人の中に、金の像を拝まない人たちがいます。」 これを聞いた王様は、かんかんに怒って「その者たちを連れてきなさい。」と命令しました。そして、やってきた三人にもう一度、命令しました。「もう一度だけチャンスをやる。楽器の音を聞く時、金の像を拝め。もし拝まないなら、お前たちをただちに燃える炉の中に投げ込む。どんな神様もお前たちを助けることはできないだろう。」 しかし、3人は堂々と答えました。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴはネブカドネツァル王に答えた。「このお定めにつきまして、お答えする必要はございません。わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。そうでなくとも、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」 王様は、ますますカンカンに怒って、兵隊たちに7倍熱くした炉の中に投げ込むように命じました。炉があまりにも熱くなっていたので、3人を連れて行った兵隊たちは、焼け死んでしまいました。 それでは、7倍熱くした炉の中に入れられた3人はどうなってしまったでしょうか。
③王様は恐る恐る炉の中を見てみました。すると、王様はびっくりして立ち上がりました。火の中で4人の人が、やけどもせずに、傷一つなく歩いているのです。しかも、一人の人の姿は、神の子のように見えました。王様は、炉の中にいる3人の若者に出てくるように言いました。 すると、驚いたことに、3人は火に焼かれるどころか、髪の毛も焦げていなかったのです。そして、火の臭いもしませんでした。奇跡です。神様が奇跡を起こしてくださったのです。 王様はすっかり安心してこう言いました。29節「ネブカドネツァル王は言った。「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をたたえよ。彼らは王の命令に背き、体を犠牲にしても自分の神に依り頼み、自分の神以外にはいかなる神にも仕えず、拝もうともしなかったので、この僕たちを、神は御使いを送って救われた。わたしは命令する。いかなる国、民族、言語に属する者も、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの神をののしる者があれば、その体は八つ裂きにされ、その家は破壊される。まことに人間をこのように救うことのできる神はほかにはない。」 バビロンの王様が、「まことに人間をこのように救うことのできる神はほかにはない。」と言ったのです。
④ それから、王様は3人の拝む神様を大切にするようにと国中に命令を出しました。 そして、3人を国の高い位につかせて、大切な仕事をさせました。 わたしたちも、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴのように、勇気をもって神様に従いましょう。神様は必ず、私たちを守り、勝利を与えてくださいます。
このみ言葉から2つの事をお話ししたいと思います。
(1)神様を心から信頼して、命がけで信じた3人
16~18節
「シャドラク、メシャク、アベド・ネゴはネブカドネツァル王に答えた。「このお定めにつきまして、お答えする必要はございません。わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。そうでなくとも、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」
シャドラク、メシャク、アベド・ネゴは、その燃え盛る炉や王様の手から、必ず救って下さるお方であることを信じていました。 それだけでなく、18節に「そうでなくても」とあるように、たとえ燃え盛る炉の中から救われなくて、死んでしまうようなことがあったとしても、金の像は拝みませんと言ったのです。命がけの信仰告白です。
日本が韓国の人たちに、日本の神社を参拝することを強制していた時代がありました。その命令に従わないという理由で、多くのクリスチャンたちが、投獄されたりひどい目に遭いました。その中に安 利淑(アン リスク)という高等学校の音楽の先生がいました。 安先生が教えている学校はミッションスクールでしたから、先生や生徒の中にも、まことの神様を信じている人たちが大勢いました。 その学校の校長先生もクリスチャンでしたが、学校が閉鎖されてしまうことを恐れて、命令に従うことにしました。それで、毎月一日には、全校生徒が山に登って、神社で参拝することになったのです。
そんなある日のことです。安先生が音楽室で祈っていると、校長先生が恐い顔をして迎えに来ました。「安先生、今日は一日で神社で参拝をする日です。もし、あなたが参拝をしないと、学校はつぶされて、生徒たちは勉強することができなくなってしまいます。」と校長先生は安先生に言いました。 静かに聞いていた安先生は、「それならば私も山に行きましょう」と言って、二列に並んだ生徒の先頭に立って歩き始めました。 歩いている内に、今日の聖書の箇所、ダニエルの3人の友だちのことを思い出したのです。
17~18節「わたしたちのお仕えする神は、その燃え盛る炉や王様の手からわたしたちを救うことができますし、必ず救ってくださいます。そうでなくとも、御承知ください。わたしたちは王様の神々に仕えることも、お建てになった金の像を拝むことも、決していたしません。」 この時、安先生に「そうでなくても」「たといそうでなくても」(口語訳)という言葉が心に響いてきました。そして、こう決心をしたのです。 イエス様は、私のために十字架にかかって救って下さった。そのイエス様以外のものは、絶対に拝まないということをはっきりと示そう。 そう心に決めた安先生は、生徒たちの最前列で、全員が最敬礼をする中で、一人だけ、天を仰いで立っていたのです。安先生は、神様だけを礼拝するという信仰を貫き通したのでした。
そのために、教師を辞めさせられ、迫害を受けますが、神様がいつも共におられ、祝福してくださったのです。
神様は、神様を心から信頼して、命がけで従う人を必ず祝福してくださいます。まことの神様を信頼して神様だけを礼拝する者とさせていただきましょう。
(2)神様は神様を第一にする人と共にいてくださる。
25節「王は言った。「だが、わたしには四人の者が火の中を自由に歩いているのが見える。そして何の害も受けていない。それに四人目の者は神の子のような姿をしている。」
火の中に入れられたのは、シャドラク、メシャク、アベド・ネゴの3人だけでした。この3人は、唯一の神様を信じて、金の像を拝まなかったので、7倍も熱い火の炉の中に投げ込まれてしまったのです。 しかし、その炉の中に、四人目の神の子がいて、彼らを守って、勝利を与えて下さったのです。
神様に礼拝を献げる時に、犠牲を払わなければならないことがあります。今朝、詩音くんが礼拝に来ていることは本当に素晴らしい事です。本当なら、この時間トレーニングをして、試合に臨んだ方が有利だと思います。けれども、その大事な時間を神様に献げて、礼拝をしている詩音くんを神様は必ず祝福してくださいます。
エリック・リデルという人は、陸上の選手ですが、1927年イギリスの代表として第8回のパリで行われたオリンピックの100メートルの選手に選ばれたのです。しかし、第一次予選が日曜日だったので、「日曜日には出場しません。」ときっぱりと断りました。そのために、大騒ぎになり、ある人は「偏屈な信仰者」「祖国の名誉を捨てた偽善者だ」と大変な批判を受けました。しかし、エリックはそれでも神様を第一にして、オリンピックで100メートルを走る代わりに教会で礼拝を献げました。 神様は、そのようなエリックを祝福してくださいました。そして、100メートル走には出られませんでしたが、本来の種目ではない、200メートル走に出ることになり、銅メダルを獲得したのです。それだけではなく、400メートル走にも出場がゆるされたのです。 この種目は、エリックの得意とするところではありませんでした。ところが、彼は決勝戦で47秒6という世界記録で、見事に金メダルを獲得したのです。 決勝戦の直前にエリックのマッサージ師がメモを渡しました。そのメモにはこう書いていました。「旧約聖書の「わたしは、わたしを尊ぶ者を尊ぶ。」のように、最善の結果の栄光が望みますように。」 エリックは、優勝の秘訣は何ですか?と聞かれるとこう答えました。「最初の200メートルは最善を尽くし、残りの200メートルは神が助けてくださったので早く走れたのです。」 エリックは、信仰を守るために、100メートルを走ることをやめ、多くの人の非難や迫害を受けましたが、そのただ中にイエス様が共にいて下さったのです。そして、得意ではなかった400メートルを走った時、確かに神様はエリックと共にいて下さり、金メダルを獲得することができたのです。
エリックが、400メートルを走った時、神様が共におられたように、私たちが、試練の火の中を通るようなことがあったとしても、神様が共にいてくださいます。その神様が、すべての災いから守って下さり勝利を与えて下さるのです。
25節
「王は言った。「だが、わたしには四人の者が火の中を自由に歩いているのが見える。そして何の害も受けていない。それに四人目の者は神の子のような姿をしている。」
4人目の者は、神の子イエス様です。イエス様は、私たちの罪のために十字架にかかってくださいました。そればかりか、3日の後によみがえって今も、私たちと共にいて下さいます。 そのよみがえりのイエス様が、私たちと共にいて下さいます。その神様から素晴らしい勝利を見せていただきましょう。
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