今日は、青年会が、賛美をしてくれましたが、この中に青年よりも若い人はどれくらいいますか?手を上げてください。 みんな若くて良いですね。若いということは素晴らしい事です。若い人たちには、あらゆる可能性を秘めているからです。 けれども、まだ若いと仕事をしても、勉強をしても、スポーツをしてもまだ自分は未熟だな。まだまだ力不足だなと感じることがありませんか。そんな時「まだ、若いんだから仕方がないよ」と思ったことがありませんか?
エレミヤは、まだ19歳か20歳の時です。神様からとても大切な働きをするように命じられました。エレミヤは、「私はまだ、若くてできません。」と言いましたが、そのエレミヤに神様は何と答えられたでしょうか。それが、今日の中心の御言葉です。
エレミヤ1:7~8「しかし、主はわたしに言われた。「若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ/遣わそうとも、行って/わたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて/必ず救い出す」と主は言われた。
このころのエルサレムに住んでいた人たちは、本当の神様ではなく、バアルの神様を拝んでいました。 エレミヤは、その人たちに神様の言葉を伝えるために選ばれたのです。神様がエレミヤを選ばれたのです。だから、エレミヤが若いとか、弱いとかいうことは、全然関係ありませんでした。なぜなら、神様がエレミヤといつも共にいて、語る言葉を教えてくださるからです。
神様は、エレミヤに不思議な幻をお見せになりました。「エレミヤ、何が見えるか。」「はい、神様ぐつぐつと煮え立っている釜が見えます。それは、北の方からこちらへ近づいてきます。」 神様は、その意味をエレミヤに教えてくださいました。「南ユダの人々は、まことの神であるわたしを捨てて、偶像を拝んでいる。それで、その南ユダに北の国から攻撃されるのだ。」そして、「人々を恐れずに、わたしの言葉を伝えなさい。」と命じられたのです。 エレミヤは、神様から伝えられたことをエルサレムの人たちに伝えました。 ところが、エルサレムの人たちは、「そんなことは聞きたくない」と言って悪いことをやめませんでした。それで、エルサレムの町は、バビロンという強い国に苦しめられるようになりました。
困ってしまったゼデキヤ王ゼデキヤ王は、エレミヤに使いを送って「私たちの国のために神様に祈ってください。」と頼みました。 けれども、神様はエレミヤに「この国はバビロン王に攻撃されて、火で焼かれます。」言われたのです。そこで、エレミヤはその通り、エルサレムの人たちに伝えました。
ある時に、エレミヤが用事でエルサレムの町を出ようとすると、「お前は、バビロンに逃げようとするのか。」「裏切り者だ。」と言われました。エレミヤは「違います。」と言いましたが、捕まえられて、真っ暗な地下の牢屋に閉じ込められてしまったのです。エレミヤは何も悪いことをしていないのに、牢屋の中に閉じ込められたのです。どんなに悲しかったことでしょう。そして、長い間、牢屋から出してもらえませんでした。 しばらくすると、ゼデキヤ王がエレミヤを呼んで言いました。「神様は何とおっしゃっておられるか?」こんなひどい目にあわされても、エレミヤは神様の言葉をそのまま伝えました。「王様、あなたは敵のバビロンに滅ぼされます。」そして、「牢屋から出してください。」とお願いしました。
ゼカリヤ王は、エレミヤを牢屋から出して、監視の庭というところに連れて行きました。その庭は、兵隊に見張られていて自由に外に出ることは出来ませんが、そこでもエレミヤは神様の言葉を伝え続けました。「エルサレムはバビロンに滅ぼされます。降参すれば助かります。」
ところが、それを聞いた王様の家来たちはカンカンに怒りました。「何だって、オレたちが戦おうとしているのに、バビロンに滅ぼされてしまうだって。そんなことを言うやつは許せない。」と言って、エレミヤを深い穴の中に投げ込んでしまったのです。穴の中は泥だらけです。エレミヤはだんだん泥の中に沈んでしまって、今にも死にそうになりました。 ところが、その時です。一人の家来が、そのことを王様に知らせたのです。そして、長い綱をたらして、エレミヤを引き上げてくれたのです。神様が、神様のお言葉を正しく伝えたエレミヤを守ってくださったのです。 やがて、エレミヤが預言したとおり、北からバビロンが攻めてきて、南ユダを滅ぼしてしまいました。ゼデキヤ王もエルサレムの人々も捕まえられて、バビロンに連れて行かれてしまいました。 エレミヤが語り続けた神様の言葉の通りになったのです。
このエレミヤ書から、2つのことをお話ししたいと思います。
(1)神様は、御言葉を伝える人を招いておられる
1:7「しかし、主はわたしに言われた。「若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ/遣わそうとも、行って/わたしが命じることをすべて語れ。」
エレミヤは、若いから無理です。と言いましたが、神様は、あなたは若いからといってはならない。あなたは、どこに遣わされても、わたしの命じることを語りなさい。と言われたのです。 神様は、大人や強い人を選ばれるのではありません。若くいも、弱くても大丈夫なのです。なぜなら、神様が共にいて助けてくださるからです。
ダビデが選ばれた時のことを思い出してください。エッサイには8人の息子がいました。最初、預言者サムエルのところに長男のエリアブが連れてこられた時、預言者サムエルはこの人こそが、神様に選ばれた人だと思いました。ところが、神様はこうおっしゃいました。
Ⅰサムエル16:7「しかし、主はサムエルに言われた。「容姿や背の高さに目を向けるな。わたしは彼を退ける。人間が見るようには見ない。人は目に映ることを見るが、主は心によって見る。」 そして、エッサイは年上の兄弟から順番に呼びましたが、そこには神様に選ばれた人はいませんでした。そして、最後に、羊の番をしていた末っ子のダビデが選ばれたのです。 また、イエス様が選ばれた弟子たちも、決してこの世的に、立派な人ではなく、ガリラヤの漁師や、当時罪人呼ばわりされていた徴税人などが選ばれたのです。
神様が選ばれる時、容姿や背の高さは関係ありません。経験も、学歴も、力の強さも関係がありません。神様が共にいて、語るべき言葉を教えてくださるからです。この神様に従うことほど素晴らしい人生はありません。
今、娘が大学4年で、大学を卒業しようとしていますが、そのことを考えると本当に不思議な感じがするのです。なぜなら、私は大学4年の時に献身に導かれたからです。 北九州で行われたKGKの夏期学校で、このエレミヤ1章7~8節の御言葉が与えらました。
「しかし、主はわたしに言われた。「若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ/遣わそうとも、行って/わたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて/必ず救い出す」と主は言われた。」
けれどもすぐに神様に従うことができませんでした。自分の弱さや足りなさを考えるととても牧師になることはできないと思いました。それに、その時には、ずっと祈ってきた社会福祉施設の就職が内定していましたので、後半年も経てば就職できると思って、この御言葉には、封印をして考えないようにしようと思いました。 ところが、この御言葉から逃げれば逃げるほど、礼拝やデボーションで与えられる御言葉が迫ってきました。何ヶ月も逃げようとしていましたが、御言葉が私に語られているという経験を何度もして、とうとう逃げることができなくなってしまいました。 そして最後に与えられたのが、(Ⅰコリント1;27~28)でした。
「それだのに神は・・・無きに等しいものをあえて選ばれたのである」
この御言葉が与えられた時、神様がわたしのような、愚かな無きに等しい者をあえて選んで下さったのだと、その恵みを覚えて涙が流れ、神様から逃げていたことを心から悔い改めて、すべてを主にお献げして神学校に入ったのです。 あれは、24歳の時でしたから、あれから、31年主は私を導いてくださり、ここまで伝道者としての道を歩ませてくださいました。 牧師になっも、苦しいことやつらい事もありました。牧師にならなかったら、こんな苦しみやストレスを感じなくて良いのにと眠れない夜を過ごすことも何度もありました。 しかし、その苦しみと、神様が与えてくださる祝福とを天秤にかけると、圧倒的に、神様の祝福の方が大きいのです。それは、比べ物にならないほどです。ぜひ、みなさんも神様の御声を聞いたら、その御声に従ってください。
献身というのは、すべてが、牧師になるというのではありません。教会を支える信徒も必要です。みんなが牧師になったら、講壇がいっぱいになって会堂が空っぽになってしまいます。 献身のあり方は様々です。直接献身もありますが、信徒としての献身、職業を通しての献身、教会学校の教師としての献身、学生としての献身、主婦としての献身、本当に様々です。 けれども、すべてのクリスチャンが献身をして、神様がなれと言われる者になり、なせと言われることを行う心と生活が必要なのです。主の御声に聞き従って、素晴らしい人生を歩ませていただきましょう。
(2)恐れずに、従うこと
8節「彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて/必ず救い出す」と主は言われた。」
エレミヤは、涙の預言者と言われています。その言葉のようにエレミヤは、何も悪いこともしていないのに、ただ神様の言われるとおりに伝えたのに、何度も迫害にあいました。 牢屋の中に長い間入れられましたが、それでも、神様の御言葉を言われたとおりに忠実に伝えました。 また、御言葉を忠実に伝えたために、深い穴の中に入れられて、泥の中に沈んで、今にも死にそうになりました。 それでも、エレミヤは恐れることなく、神様の言われた通りに御言葉を伝えたのです。そして、神様の御言葉は、必ず成就するのです。
ある一人の少年の証しです。ある教会に伝道熱心な一人のお父さんがいました。日曜日の礼拝が終わった後、いつもトラクトを持って通りに立って、そのトラクトを配ってから家に帰っていました。 しかし、ある日曜日のことです、その日は雨が降っていました。そして、疲れていたので、その日はすぐに家に帰ることにしました。すると、その人の息子が「じゃあ、ボクが代わりに配ってくるよ」と言ってトラクトを持って出かけました。 トラクトを配っていると雨がだんだんひどくなり、通りには人がいません。そこで、その男の子は、一軒一軒家を回ってトラクトを配りはじめました。そして、とうとう最後の一軒になりました。ピンポーンと最後の家のベルを鳴らしました。すると怖い顔をしたおばさんが出てきて、「何のようだ」と聞きました。その男の子は、いつもお父さんが言うように「イエス様があなたを愛してたおられます。次の日曜日に教会に来てください。」と言って、雨に濡れた最後のトラクトを渡したのです。 次の日曜日のことです。説教の後で、牧師が「証しをしたい人は前に来て証しをしてください。」と言いました。すると、一人の女性が手をあげました。それは、あの男の子が最後のトラクトを渡したおばさんでした。そのおばさんは最近、夫と息子が死んでしまって、絶望にうちひしがれて、自分も夫と息子のいるところに行こうと思って、首を吊ろうとしていたのです。その時に、玄関のベルがピンホーンと鳴って、そこに天使が立っていたと言うのです。神様は、私のことを見捨てないと思い、今日、教会に来たのですと証しをしたのです。そのようにして彼女は洗礼を受け、今恵みの中を生活しています。 少年が、あのどしゃ降りの中、配った一枚のトラクト、勇気を振り絞って、あの怖そうなおばさんに話した福音が、イエス様の愛を伝え、救いにまで導いたのです。
最後に7~8節を読みましょう。「しかし、主はわたしに言われた。「若者にすぎないと言ってはならない。わたしがあなたを、だれのところへ/遣わそうとも、行って/わたしが命じることをすべて語れ。彼らを恐れるな。わたしがあなたと共にいて/必ず救い出す」と主は言われた。
私たちも、エレミヤがどんな迫害を受けても、福音を語り続けたように、また、この少年が、どしゃ降りの中トラクトを配り、勇気を振り絞ってイエス様の愛を伝えたように、神様が遣われた場所で、福音を伝え、神様の素晴らしい御業を魅せていただきましょう。
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