マタイによる福音書の講解説教をしてきましたが、今日でちょうど終わりになります。来週からはアドベントに入り、主の降誕のメッセージを取り次ぐことになります。
今日読んでいただいた聖書の箇所は、よみがえりのイエス様が、天に帰られる直前に語られた、いわば遺言のようなメッセージです。今日の中心の御言葉は18~20節です。「イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
弟子達は、イエス様が命じられたとおりにガリラヤへ行きました。そして、イエス様が指示されていた山に登りました。そこで、弟子達はよみがえりのイエス様に出会ったのです。復活する前のイエス様は、私たちと同じ姿をとっていたので、神の栄光が完全には現されていませんでした。けれども、この時は、イエス様は復活されて、神としての権威と栄光に満ちあふれていました。
そのよみがえりのイエス様に出会った時、弟子達は、イエス様の足下にひれ伏して礼拝をささげたのです。 けれども、17節後半には「しかし、疑うものもいた」と書かれています。よみがえりの主を目の前にしながら、それでも信じることのできない人間の愚かさや、罪深さを知らされます。そのような弟子達に、イエス様は近づいてきて、言われたのが、大宣教命令と言われる今日の御言葉です。
まず、18節で、イエス様は「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。」と言われています。ですから、この言葉は、神の子としての権威をもって語られた大切な命令です。 そして、この御言葉の中には、大いなる命令と、大いなる約束が語られています。
(1)大いなる命令
18~20節「イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
18節に「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。」とあるように、イエス・キリストは、いっさいの権能を持っておられるお方です。そのお方が、私達に大宣教命令を与えられたのです。 この御言葉には、3つの大切な命令が語られています。
➀出ていって福音を伝えること。
「だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。」
これは、全世界に出て行って福音を伝えることを意味しています。イエス様の生涯では、イスラエルの民に対する伝道が主体でした。しかし、イエス・キリストの復活の後は、そのユダヤ人だけではなく、すべての異邦人にも福音が伝えるように命じられたのです。このようにして、弟子たちは、エルサレムばかりでなく、ユダヤとサマリヤの全土で、また地の果てまで「出て行って」福音を伝えるようになるのです。
昨日、ヨハン山形キリスト教会の申先生とヨン先生ご一家と、ヨハン仙台キリスト教会の国分先生ご一家が、挨拶に来られました。申先生ご一家は、明日から秋田に行かれ、開拓伝道が始まります。そして、その後、山形に国分先生ご一家が後任として来られることになりました。 申先生は、山形で4年9ヶ月伝道され、最初は、マンションでの全くの開拓でしたが、救われる魂が起こされ、教会が与えられていよいよという時でしたが、今までの教会員も、会堂も、人間関係も全てをお委ねして、秋田に出て行って福音を伝えることになりました。 ヨハン仙台キリスト教会のハン先生に、急な人事異動で大変ですねと話すと、宣教師は3つの覚悟が必要です。1番目は、いつでも引っ越しが出来る覚悟、2番目はいつでも説教をする覚悟、そして、3番目はいつでも死ぬ覚悟です。だから、引っ越しをすることはたいしたことではありませんとおっしゃっておられました。 ヨハンキリスト教会は、「出て行って」各都道府県に、教会を建てるというビジョンがあります。そして、その通り教会が建てあげられているのです。 私たちも、岩沼でボランティア活動を進めてきましたが、ボランティア活動だけではなく、来年度からは、日曜日の午後、月に一度塩釜ともしびチャペルと協力をしながら、福音を伝えたいと願っています。ぜひ、覚えてお祈りとご協力をお願いします。
そして、そこには、大切なことが命じられています。 「すべての民をわたしの弟子にしなさい。」ということです。「わたしの弟子」つまり、キリストの弟子にしなさいということです。 日本は縦社会ですから、人間関係でも縦の関係が重んじられます。花道でも書道でも茶道でも、師匠と弟子の関係がはっきりしていて師匠がすぐれていれば「OO先生の弟子です」と言うだけで一目おかれることになります。 そして、残念なことに教会でも同じことがみられ、牧師と信徒の師弟関係が生まれてしまいます。教会の中でも、「わたしはOO先生の弟子です。」ということを誇りにする信徒が生まれてしまうのです。また、牧師の方でも、キリストの弟子ではなく、自分の弟子をつくり、自分の言うことを聞く信徒を訓練しようとしてしまいます。しかし、それでは、まことのキリストの弟子をつくっているとは言えません。イエス様は「わたしの弟子にしなさい。」と言われたのです。
その最もはっきりするのが、牧師の異動の時だと言われます。OO先生に着いていた人は、OO先生がいなくなると教会を離れてしまいます。しかし、キリストの弟子は、先生が替わろうと役員が替わろうとそんなことは関係なく、礼拝を守り教会を支えていくというのです。みなさんは、キリストの弟子でしょうか。キリストの弟子としてしっかりとイエス様に繋がっていくお互いでありたいと思います。
②霊的な使命
19節「彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、」とあります。 バプテスマは、単なる儀式ではなく、神様との霊的交わりに入ることです。そして、イエス・キリストを主と信じている人なら誰でも受けることが出来ます。バプテスマは信仰のゴールではなく、入学式のようなものです。よく、私は善い行いが出来ないからとか、聖書をよく読んでいないからとか言われる方がおられますが、もし、そうでなければ誰が洗礼を受けることが出来るでしょうか。私は牧師ですが、牧師である私でさえ、バプテスマを受けられないことになってしまいます
イエス・キリストを信じたら、バプテスマを受けてそこから新しい信仰生活が始まり、主と共に歩む素晴らしい信仰生活が始まるのです。 信仰告白をして水の中に入りますが、それは、イエス・キリストが十字架にかかつて死なれたように今までの古い自分に死ぬことを表しています。そしてイエス様がよみがえられたように、新しい人生を歩み出すのです。ローマ6:3,4「それともあなたがたは知らないのですか。キリスト・イエスに結ばれるために洗礼を受けたわたしたちが皆、またその死にあずかるために洗礼を受けたことを。わたしたちは洗礼によってキリストと共に葬られ、その死にあずかるものとなりました。それは、キリストが御父の栄光によって死者の中から復活させられたように、わたしたちも新しい命に生きるためなのです。」
どうか、イエス・キリストを信じた方は、ぜひ、バプテスマを受けてください。そうするなら、古い自分に死に、新しい命に生きることが出来るのです。
③バプテスマを受けた人達を、弟子として教育する使命
20節「あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。」
バプテスマを受けた人たちは、霊的な子どもです。子どもは、愛を注がれて、教育を受けて育っていきます。そのように、クリスチャンも牧師や周りのクリスチャンの愛によって育てられていきます。そして、聖書に基づいた教育と訓練が必要です。そして、やがて成長して、子どもが親になっていくように、愛される者から愛する者に、教育や訓練を受ける者から、教え導く者へと成長していかなければならないのです。 塩釜ともしびチャペルの平島先生は、塾の講師をしながら伝道しておられますが、塾で教えていた子どもが、大学に合格して、同じ塾で講師になったそうです。それまでは、教えていた子どもが成長して、今や自分の同じ立場で教えているその人を見て本当に嬉しくなったと言われていました。 そのように、私たちも、主の愛をいただきながら、愛されるクリスチャンから愛するクリスチャンに、教えられるクリスチャンから教えるクリスチャンに成長させていただきましょう。「教えることは、学ぶこと」という言葉もあるように、お互いに成長させていただきましょう。 そのようにして、バプテスマを受ける人達が起こされ、その人達が弟子として訓練され、そこから遣わされて、福音は広がっていくのです。 そのような大切な使命を私達教会、私達クリスチャンは与えられているのです。
私たちは、なぜ救われたのでしょうか。それは、神様が私たちを愛して下さったからです。神様は私たちを救うために、ひとり子であるイエス様をこの地上に送って下さいました。そして、そのイエス様は、私たちの救いのために、私たちの身代わりに十字架で命を捨ててくださったのです。それほどに、わたしたち一人一人のことを愛しておられるのです。の愛によって私たちは救われて永遠の命をいただきました。 それでは、救われた私たちクリスチャンの生きる目的は何でしょうか。それは、全世界の人々の救いのためです。弟子たちにこの大宣教命令が与えられ、エルサレムばかりではなく、ユダヤとサマリヤの全土で、また地の果てまで福音が伝えられてきました。そして、アジアの日本にも、山形にも福音が伝えられて、今私たちは救いに与っているのです。私たちもあの弟子たちのようにイエス・キリストによって救われた者です。良き教育と訓練を受け、出て行って福音を伝える者とさせていただきましょう。
シャーロット・タブナーというドイツの女性の証しです。彼女は若い頃献身して、天の御国のために何が出来るか祈っていました。ちょうどその時、パナマの山岳地帯に住むグアイミ族の言葉を研究するために、パナマに行ってみないかという誘いがありました。当時、グアイミには文字がなく、話し言葉があっただけでした。 シャーロットは、イエス・キリストの福音を伝えました。すると、彼らは、非常に強力な魔術をもった医者を探していることが分かりました。そこで、シャーロットは「私はとても強力な魔術をもった医者を知っている。その方は悪霊をも追い出すことが出来る。」と話しました。すると、「それは誰だ。」と興味を示し始めました。シャーロットは「それは、天地万物を作られた神のひとり子、イエス・キリストというお方だ。」と言うと、彼らは「何と素晴らしいことだ。」と言うのです。 シャーロットは、イエス・キリストの愛を彼らに伝えました。そして、話し言葉を書き留めて、聖書をグアイミ族の言葉に翻訳しはじめたのです。最初の草案が出来るまでに20年がかかりました。 シャーロットは90歳になりましたが、とうとうグアイミ族の言葉で書かれた新約聖書が出来上がりました。 そして、アイミ族の言葉で一番好きな聖書の言葉はヨハネ3:16だと言って、大きな声で読みました。そして、その聖書を読んだ人たちが、次々に救われて、その中から牧師や伝道師など宣教や教育に携わる人たちが起こされました。 シャーロット宣教師は、この地で40年以上仕え、ある人が「これで働きは終わりですね。」と尋ねると、シャーロット宣教師はこう答えたそうです。「わたしは一生イエス・キリストの兵士です。引退はありませんよ。引退するのは天国で・・・。」 シャーロット宣教師が、わたしは一生イエス・キリストの兵士です。と答えたように、私たちも小さいながら、キリストの兵士です。御言葉を携えて、祈りながら、主の証し人として用いていただきましょう。
(2)大いなる約束
20節「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
先程、お話しした大宣教命令は、弟子達は、自分たちの力だけでは、とうてい果たすことは出来ない大変な使命でした。ですから、神様は、「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」「どんな時でも、わたしが共にいるから大丈夫だ」と励まされたのです。 神様は、人に大切な使命を与えられる時に、ただ、「がんばってやってきなさい」と人を遣わすのではありません。神様は、大きな使命を与えられる時には、必ず「わたしが、あなたと共にいる」という大いなる約束を与えてくださるのです。神様が共におられるので、この大宣教命令を果たすことが出来るのです。 弟子たちはやがて、聖霊の力を受けて、このイエス・キリストの大宣教命令を行うことになりました。そして、それは「世の終わり」にイエス様が再び来られるまで忠実に続けられていくのです。
マタイによる福音書の講解説教をさせていただきましたが、今日でマタイによる福音書は終わりです。そして、このマタイによる福音書は、最初から最後まで、「神様が共におられる」ということが貫かれている事が分かります。 マタイ1:23(P2)をご覧ください。この御言葉は、良くクリスマスに読まれる聖書の箇所です。「見よ。おとめが身ごもって男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」この名は、「神はわれわれと共におられる」という意味である。」
このマタイによる福音書は、最初にインマヌエル「神はわれわれと共にいる」とイエス様のことが書かれ、最後に「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」 という約束で終わっています。
私は幼い頃、ソウセージパンが好きで昔はよく食べていました。ソウセージパンは、両端にソウセージがでていますが、中はパンの生地で覆われて隠れています。しかし、食べると分かりますが、端から端までちゃんと、ソウセージが入っています。最初食べた時、小さいながらすごいと感動したことがありました。 そのように、イエス様は、私たちの人生の始めから、終わりまで、パン生地でソウセージが見えなくなってしまうように、私たちがイエス様が共におられることが分からなくなってしまうような時でさえ、どこを切ってもイエス様はいつも共にいて下さるお方なのです。
今週の水曜日に突然、昔私たち仲人をさせていただいた渡部信三兄から、奥さんの恵子姉が亡くなったという電話がありました。恵子さんは13年前に乳癌を患われて、手術や抗がん剤治療や放射線治療、免疫治療などできる限りの治療を受けてきたそうですが、水曜日の夜中に天に召されたということでした。 私たちは夫婦ですぐに名取のセレモニーホールに車で行きました。そこには、御主人と中学三年生の息子や遺族の方がおられ、最後までガンと立派に戦い抜いた恵子さんの遺体が寝かせられていました。そして、いろいろないきさつを聞かせてくれ、納棺式が執り行われました。 そして、23日(金)に葬式が名取のニューライフ教会で行われ、最後に信三兄弟が喪主の挨拶をされました。「私たちは13年妻のガンと闘ってきましたが、そのような苦しみの中で、息子が中学一年の時に救われ、家族三人で、神様と共に歩むことが出来ました。そして、最後に家族三人でチーズケーキを作って食べて、次の日には眠るようにして41歳の生涯を閉じて天に召されていきました。」そして、最後に「私たちは幸せでした。」と挨拶されたのです。
喜びの日にも、苦しみの日にも主は共におられ、心の中に幸せと、また永遠の命の希望に生かしてくださったのだと、涙と共に感動を覚えました。
「わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」これは、私たちにとって最大の祝福です。その神様の大きな恵みを覚えながら、このイエス様が弟子達に語られた大宣教命令に従う者とさせていただきましょう。
最後に、もう一度マタイ28:18~20を御一緒にお読みしましょう。「イエスは、近寄って来て言われた。「わたしは天と地の一切の権能を授かっている。だから、あなたがたは行って、すべての民をわたしの弟子にしなさい。彼らに父と子と聖霊の名によって洗礼を授け、あなたがたに命じておいたことをすべて守るように教えなさい。わたしは世の終わりまで、いつもあなたがたと共にいる。」
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