今年、ホサナサマーキャンプが、大江町大山公園キャンプ場で行われました。1日目の夜に、キャンプファイヤーがおこなわれました。その入り口には「熊出没注意」と書いていました。真っ暗な山の中でしたが、火が燃え上がると、赤々と火が燃えていました。 そのキャンプが終わった後です。みんなをコテージに帰して、火を消しました。すると、真っ暗になってしまいました。一瞬、道が分からなくなって、熊が出たらどうしようと不安になりました。 その時です。オンヌリ教会の人が、何かを持ってきてくれました。何でしょう。
①熊が怖がる鐘 ②懐中電灯 ③キムチ
① 答えは②です。懐中電灯を持ってきてくれて道を照らしてくれました。その時にほっとして、安全にコテージまで帰ることができました。 真っ暗な道を、照らす光やともしびは、私たちを安全に導いてくれます。
今日の中心の御言葉は詩編119編105節です。
「あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯。」
聖書の御言葉は、あのキャンプファイヤーの火や、懐中電灯の光に似ています。暗いこの世の中で、私たちを明るい光で導いてくださるのです。
さて、ここで質問です。聖書は章や編で区切られていますが、一番長い所はどこでしょうか?(答えは詩編119編です)この詩編119編は、詩編の中でも、また聖書全体の中でも最も長い箇所です。この詩編だけで176節もあります。
そして、今日読んで、いただいた詩編119編105節の前に、(ヌン)と書かれていますが、これは、ヘブル語のアルファベットです。 ちょうど、日本語のいろは歌のように、各段落の最初が、アルファベットの文字でかかれ、アルファベットの最初の文字から最後まで文字までが、一つ一つの詩として書かれています。
もう一度詩編119編105節を読んでみましょう。
「あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯。」
この御言葉には、二つの光のことが書かれています。一つは、人生を導くような大きな光、もう一つは、一歩一歩足もとを照らす灯です。 この御言葉から3つのことをお話ししたいと思います
(1)聖書の御言葉は、わたしの道の光
みなさんは、海の灯台を見たことがありますか。 岬に立つ白い灯台は、とてもきれいです。灯台は何のために立っているのでしょうか。
①展望台のように見学するため ②船の道案内のため ③飾りのため
答えは③です。海を行く船の道案内をするためです。灯台は真っ暗な夜に航海する船に、陸が近づいていることや、自分たちのいる場所を教えてあげます。船は灯台があるおかげで、真っ暗な夜でも安全に進むことができるのです。 詩編119編105節には、「あなたの御言葉は、わたしの道の光」と書かれいます。
聖書の御言葉は、「わたしの道の光」だと書かれています。 私たちは、船が航海する時に、晴れの日や穏やかな日ももあれば、雨の日があったり、嵐が襲ってきたりするように、私たちの人生にもいろいろなことがあります。
たとえば、将来どんな学校に進むか、どんな仕事をしたらいいのか迷うことがあるかも知れません。また、何か困った問題にぶつかることもあるかもしれません。そのような時には、道に迷って、どの道を選んだら良いのか解らなくなってしまいます。 「一寸先は闇」ということわざがありますが、人生という旅の中で、私たちはいつ、どんな暗闇が襲ってくるか分かりません。そんな時、どうすれば、進むべき道が分かるのでしょうか。どうすれば、暗闇から抜け出すことができるのでしょうか。
多くの人は、周りの人に相談をしたり、自分の経験を頼りに解決をしようとします。本を読んだり、占いをする人もいます。 しかし、私たちの道をはっきりと示してくれるのは、聖書の御言葉だけです。灯台が船の進路を照らすように、聖書の御言葉が、私たちの人生の進路を示し、正しい安全な道に導いてくれるのです。
アメリカの大統領で、最も偉大な働きをしたと言われる一人に、奴隷解放をしたアブラハム・リンカーンがいます。リンカーンは神様を信じる熱心なクリスチャンに育てられましたが、リンカーンが10歳の時にお母さんは天国に召されました。 そのお母さんが亡くなる時に、リンカーンをまくら元に呼びました。そして、一冊の聖書を渡して「私は、あなたが大地主になるよりも、この聖書をよく読んで、聖書のことばに従って生きる人になってくれることを望みます。」と言いました。 リンカーンは、お母さんの遺言のとおり、聖書を熱心に読みました。そして、やがて大きくなって、アメリカの大統領の中でも最も尊敬される人になったのです。 リンカーンは、「私がこのようになれたのは、聖書をよく読んで、聖書の御言葉に従いなさいと言ってくれたお母さんの遺言のおかげです。」と言ったそうです。
聖書の御言葉は、私たちの道をしっかり教えてくれます。「聖書の御言葉をよく読んで、聖書の御言葉に従ってください。」聖書は、みなさんの人生の道の光になってくださいます。
(2)聖書はわたしの道のともしび
もう一度105節を読んでみましょう。
「あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯。」
後ろの方に「わたしの歩みを照らす灯」と書かれています。 みなさんはフットライトを知っていますか。映画館やプラレタリウムなどに行くと、真っ暗な中で、足もとに小さな光が灯っています。それがフットライトです。フットライトが足もとを照らしてくれるから、暗い映画館でも、人や椅子にぶっつからずに歩くことができるのです。「わたしの歩みを照らす灯」たとえ小さな光でも、いつも足もとを照らす灯は必要です。それと同じように、私たちは、毎日聖書の御言葉に照らされなければ道に迷ってしまいます。
箱根ケズィックの名通訳者の経堂めぐみ教会牧師の増田誉雄(ますだやすお)先生をご存じでしょうか。先生はちょうど2010年の9月4日に80才で天に召されましたので明後日でちょうど2年になります。 先生は大変有名な牧師で、驚いたことにウィキペディア百科辞典に先生のことが載っていました。お茶の水聖書学院院長をされ、牧師の牧師のような素晴らしい器であられました。そして、偉大な通訳者でもあられました。 先生は、ウェスレアン・ホーリネス神学院で特別講師として教鞭を取ってくださったのですが、神学院の20周年記念会に来てくださった時のことです。 先生に挨拶が求められた時、このようなことを話してくださいました。「私は、随分年を取り、昔のように神学校で教鞭を取ったり、通訳をすることもできなくなりました。でも、私は今でも100個の御言葉を暗唱できることを感謝しています。この御言葉が私を救い、今日まで導いて、天の御国まで導いてくれることを信じています。」
この先生の言葉をお聞きした時に、大変感動しました。先生には、もっと話すことはたくさんあったに違いありません。けれども、長年牧会伝道されてきて、一番感謝していることは、100個の御言葉を暗唱していることですと言われたのです。」それほど、御言葉は私たちにとって素晴らしい宝であると言うことを先生はおっしゃりたかったのだと思います。 私も100個暗唱しようと思ったのですが、なかなかできずにいます。毎週、ホサナで暗唱聖句をしてその時は、覚えるのですが、一週間も経たないうちにすぐに忘れてしまいます。 でも、100個暗唱できたらどうでしょう。100個のともしびがいつも心の中にあるのです。そうすれば、私たちの人生を迷うことなく、聖書の光の中を歩んでいくことができるのではないでしょうか。
「あなたの御言葉は、わたしの道の光、わたしの歩みを照らす灯。」
(3)聖書の御言葉を昼も夜も口ずさむ
ヨシュア1:8「この律法の書をあなたの口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書かれていることをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。」
神様は、ヨシュアにこうおっしゃっいました。 聖書の御言葉を、「いつも口から離すことなく、昼も夜も口ずさみ、そこに書いていることを忠実に守りなさい。」「そうすれば、あなたは、その行く先々で栄え、成功する。」これが神様の約束です。
ヨシュアは、そのことをイスラエルのみんなに伝えました。大人だけではなく、子どもも、御言葉を暗唱しました。国中の人々が御言葉を愛して覚え、いつもはっきりと声に出して言い、御言葉を実行しました。すると、イスラエルの民に大きな喜びが生まれ、神様の恵みも溢れました。
詩編1編にも同じことが書かれています。 そして、その御言葉の賛美を最初に歌いました。 もう一度、賛美をしてみましょう。
主の教えを喜びとし、昼も夜もその教えを口ずさむ。
その人は水路の側に植わった木のようだ。
時が来ると実がなり、その木は枯れない。
その人は何をしても、栄える。
私たちも、御言葉を読んで、昼も夜も御言葉を口ずさんで、御言葉に従いましょう。そうすると、必要な時に思い出して、正しい行いをすることができるのです。
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