早いもので、今日は2011年最後の聖日になりました。 今日は、年末感謝礼拝です。一年間を振り返ると、神様から与えられたいろいろな恵みを思い出すことが出来るのではないでしょうか。その恵みを一つ一つ数えながら、感謝の礼拝を献げましょう。
そして、今日は、12月25日です。このクリスマスの日に年末感謝礼拝を献げることにも大きな意味があると思います。 イエス様は、2011年前のクリスマスに、ベツレヘムの馬小屋の中でお生まれになりました。そして、馬や牛のえさを入れる飼い葉桶の中に寝かせられたのです。 このクリスマスの出来事は、今年の御言葉をよく現している出来事だと思います。 この飼い葉桶は、私たちの心を現しています。罪に汚れ、真っ暗な私たちの心の中に、救い主イエス様が来てくださいました。 マリアとヨセフは、イエス様を、お寝かせするために、この飼い葉桶をきれいに掃除をしたのではないでしょうか。そして、暖かいわらを敷き、明るい一番良い場所に飼い葉桶を置いたに違いありません。 そのように、イエス様は私たちの、罪に汚れた暗い心をきよめてく飼い葉桶のような罪に汚れた心を聖めてくださり、私たちの心を、聖霊を宿す、神の神殿にしてくださったのです。
その素晴らしい祝福が、今年の年間聖句に現されています。
ご一緒にⅠコリント3:16を読んでみましょう。
「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。」
今年最後の聖日に、このみ言葉から主の御声を聞かせていただきましょう。
(1)あなたがたは神の神殿である。
パウロは、神の神殿という言葉を使う時、大切な2つのことを語っています。 一つは、救われたキリスト者個人が、「神の神殿」とされていることです。 6章19節をお開き下さい。
「知らないのですか。あなたがたの体は、神からいただいた聖霊が宿ってくださる神殿であり、あなたがたはもはや自分自身のものではないのです。」
ここでは、イエス・キリストによって救われた個人が、聖霊の宮であると行っています。私達がイエス・キリストを救い主として信じた時、イエス様が私達の心の中にお宿り下さいました。ですから、私達一人一人は、大切な神の神殿なのです。
この手紙を書いたパウロは、ガラテヤ2:20でこう言っています。(P343)
「生きているのは、もはやわたしではありません。キリストがわたしの内に生きておられるのです。」
パウロは、自分の力で律法を守ることによって、救いを求めてきましたが、そこには救いはありませんでした。ただ、イエス・キリストを信じる信仰によって、イエス様を心の中にお迎えしたのです。 そして、私達も聖霊に満たされる時、パウロのようにこう言うことが出来るのです。「私の心に生きているのは、私ではありません。キリストが私の内に生きておられるのです。」
私達の体は、イエス・キリストを信じる信仰によって、「聖霊が宿ってくださる神殿」とされたのです。そのことを信じましょう。そして、聖霊の神殿として神様の栄光のためにこの身体を用いていただきましょう。
そして、もう一つは、その救われた人達の集まりである教会が神の神殿であることです。それが、今日の聖書の箇所である16節に書かれています。Ⅰコリント3:16を読んでみましょう。
「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。」
ここに、「あなたがたは、自分が神の神殿であり、」と書かれています。パウロは、コリントの教会のクリスチャンに向かって、あなたがたは、神の神殿です。と言っているのです。 10~15節には、パウロは、教会は熟練した建築士によって建てられた神の神殿であると言っています。そして、その土台は、イエス・キリストです。 神殿は、いろいろな部品でできています。土台や柱もあれば、玄関や窓もあります。また、神殿には、金や銀、宝石などの装飾品もありました。それらの、一つ一つが組み合わされて、神殿は建っていました。 そのように、私たちも、イエス・キリストを信じる信仰を土台として、組み合わされて、一つの神殿として建てあげられているのです。そして、建物を建てあげる時に、いろいろな部品が必要なように、私たちも賜物は違いますが、一人一人が、なくてはならない大切な存在なのです。
そして、イエス・キリストのよって救われた者の集まりである教会も同じように「神の神殿」であり、神の霊が住んでいる場所なのです。 その教会が、どんなに名もない小さな教会であったとしても、キリストを土台として建っているならば、その教会は神聖な神の神殿なのです。 パウロは、この大切なことを話すのに、16節で、強い口調で「知らないのですか。」と言っています。 イエス・キリストによって救われたあなたがたは、神の神殿です。「あなたがたはその事を知らないのですか?」 そして、この山形南部教会は、神の神殿で、神の霊が住んでおられます。「あなたがたは、そのことを知らないのですか?」とパウロはコリントの教会の人達に言っているのです。
(2)神の神殿は聖なるものである
17節で「神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。」 ここに「神の神殿を壊す者」とありますが、これは、神聖な教会の中に、不和や争いや分裂を持ち込む人のことです。
コリントの教会には「神の神殿を壊す者」教会を分裂させ、文字通り教会を崩壊させようとする者たちがいたのです。 どんな建物も、それを支えている柱をいくつか取り除いてしまうと、まっすぐにしっかりと建っていることは出来なくなり、倒れてしまいます。 そのようにサタンは教会の弱点をよく知っていて、その場所を攻撃してきます。その一番の弱点は分裂です。 教会は、聖なる場所です。ですから、不和や争い分裂などを取り除かなければなりません。
パウロは、その分裂の原因について18~20節でこう言っています。
「だれも自分を欺いてはなりません。もし、あなたがたのだれかが、自分はこの世で知恵のある者だと考えているなら、本当に知恵のある者となるために愚かな者になりなさい。この世の知恵は、神の前では愚かなものだからです。「神は、知恵のある者たちを/その悪賢さによって捕らえられる」と書いてあり、また、「主は知っておられる、/知恵のある者たちの論議がむなしいことを」とも書いてあります。」
ここでパウロは、分裂の根本的な原因は、神様の知恵に頼らずに、この世的な知恵に頼って教会を建てあげようとしているところにあることを指摘しています。ここにある二つの「」は、ヨブ記5:13と詩編94:11の引用です。ここには、この世の知恵の愚かさが指摘されています。
コリントの教会の人々は、まさに世俗的な知恵によって、いろいろな教師や指導者たちの価値を決めていたのです。 たとえば、いろいろな説教者が教会に訪れると、説教者を、聖書の知識がないか、説得力はどうか、語り口調はどうかなどと評価することばかりで、大切な御言葉の真理を考えようとはしなかったのです。 このような知的なプライドが、教会に不和や争いや分裂を生んでしまったのです。
そのようなコリントの教会に対して、17節で「神の神殿を壊す者がいれば、神はその人を滅ぼされるでしょう。神の神殿は聖なるものだからです。あなたがたはその神殿なのです。」と言っているのです。
どうでしょうか。 私達は、聖霊の神殿とされて、神聖なものとされていますが、コリントの教会の人々のように、聖霊の導きに従わずに、神聖な聖霊の神殿を汚しているということはないでしょうか。もし、そのような罪を示されるならば、罪を悔い改めて、イエス・キリストの十字架の血潮によって、私たちの神殿を清めていただきましょう。
(3)神の神殿は、神のものである。
22~23節「パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、あなたがたはキリストのもの、キリストは神のものなのです。」
ここで、パウロは、勝ち誇った者のように、力強く、キリスト者の栄光を書いています。ここでパウロは、23節で、2つの大切なことを語っています。
①すべてが、神様の御手の中にあるということです。
22節「パウロもアポロもケファも、世界も生も死も、今起こっていることも将来起こることも。一切はあなたがたのもの、」
コリントの教会には、いろいろな問題がありました。「パウロもアポロもケファも」とありますが、教会の中で、分裂分派が起きていました。 しかし、そのような問題も、世界も生も死も、今起きていることも将来起こることも。すべてが、神様の御手の中にあるのです。 すべてのことが、神様の許しがなければ起こりません。そして、神様の御手の中で起きたことには必ず意味があるのです。 今年は、3月11日に東日本大震災が起きました。 ローマ法王が、日本に来られた時、一人の女の子が、「神様がおられるなら、どうして、こんな大震災を起こされたのですか?」と聞きました。その時、ローマ法王は、「それは、わたしにも分かりません。」と答えたそうです。 カトリックで一番権威を持っている、ローマ法王が、小さな子どもを前にして、私にも分かりませんと言われたその謙遜な姿に感動しました。
私たちには、今は解らないことがたくさんあります。けれども、やがて、時が来ると分かる時がやって来ます。たとえ、この地上で分からなかったとしても、やがて、神様の御もとに変える時、すべてのことが分かるのです。
ヨハネ13:7にこう書いています。
「イエスは答えて、「わたしのしていることは、今あなたには分かるまいが、後で、分かるようになる」と言われた。
私たちも、大震災が起きた時、「どうしてこのようなことが」と当惑してしまいました。けれども、この事を通して、私たちは、大切な事をたくさん教えられました。
私たちは、今まで、目に見えるものを頼りに生きてきました。そして、目に見えるものの豊かさに、幸せがあると考えてきたのではないでしょうか。しかし、それらものが、一瞬にして崩れ去るということを目の当たりにしました。 今年、一番に選ばれた漢字は「絆」という漢字ですが、目に見えない、夫婦の絆、家族の絆、人と人との絆の大切さを知らされた一年でした。そして、私たちは、目に見えない神様との絆が、どんなに大切でかけがえのないものかということを知らされたのではないでしょうか。 また、この大震災で失ったものは、大変なもので、被災者のことを考えると言葉もありませんが、しかし、この大震災を通して、私たちに与えられた与えられた多くの恵みも数えることができます。
13年前、東北教区にウェスレアン・ホーリネス教団の教会は一つだけでした。そこで、開拓伝道というビジョンが与えられて、壮年会で、岩沼市や名取市に視察に行った事がありました。その時には、私たちには開拓伝道をする力が無く、また、塩釜ともしびチャペルの開拓伝道も始まって、そちらを応援しようということで、名取市や岩沼市の開拓伝道は閉ざされてしまいました。 ところが、この大震災を通して、神様の不思議な導きで、岩沼市にボランティアセンターが出来たのです。そして、6月から七ヶ月の間、200人以上の牧師やクリスチャンが岩沼の地に来て、ボランティアの働きをしてくださいました。 また、600軒以上に、臭いを消すために、軽トラックでエンジンを積んで、噴霧器でEM散布を行いました。また、広い畑にも除塩のためにEM散布を行いました。 その一つ一つが、神様の愛によって押し出されて行われたことでした。このような形で、あの地域に、仕えることが出来るとは誰が考えたことでしょうか。そして、このことも神様が御手の中で、日本の救いのために用いてくださると信じています。
すべてのことが、神様の御手の中にあります。そして、今私たちには解らなくても、独り子をも惜しまずに私たちに与えてくださる程、私たちの事を愛しておられる神様は最善のことを成して下さるのです。
②三位一体の神様が心の中におられる
パウロはさらに進んで、「キリストは神のもの、キリストは神のもの」と言っています。私たちが、イエス・キリストの十字架の購いによって、神の子とされたのです。その神様が、聖霊となられて、イエス・キリストを信じる私たちの心の中に共にいて下さるのです。
ユダヤの羊飼いは、羊を飼うと、それが、わたしのものであるという証拠に、羊に焼き印を押すそうです。それと同じように、罪の奴隷だった私たちを、イエス・キリストは十字架の贖いによって、救い出してくださり、「これは、愛するわたしの子だ」という証拠に聖霊の証印を押してくださったのです。
エフェソ1:13~14「あなたがたもまた、キリストにおいて、真理の言葉、救いをもたらす福音を聞き、そして信じて、約束された聖霊で証印を押されたのです。この聖霊は、わたしたちが御国を受け継ぐための保証であり、こうして、わたしたちは贖われて神のものとなり、神の栄光をたたえることになるのです。」
ですから、私たちは、いつでも、天地万物を造られ、私たちを永遠の愛をもって愛してくださる天の父なる神様を、お父様と呼ぶことができるのです。 それだけではありません。その聖なる三位一体の神様が、私たちの内に住んでおられるのです。神様が私たちの心を住まいとしてくださるとは、何という恵みでしょうか。
そして、この三位一体の神様は、永遠の命を与えてくださるお方です。 今年の2月5日には、國井成実ちゃんが、出産と同時に天国に召されました。「どうして、このようなことが」と思いますが、私には、神様が誰よりも成実ちゃんを愛されて、生まれたままの清い姿で、主のもとに導かれたように思います。 そして、これも神様の御手の中で行われたことです。そして、また、天国で会うことが出来るのです。
そして、7月2日 私たちは、飛渡ヒロエ姉妹を天国に送りました。 この飛渡ヒロエさんが言われたことを忘れる事ができません。「わたしは死ぬのは全然恐くありません。」急にそんなことを言われるので、わたしが驚いていると、「イエス様は、私の罪のために十字架にかかってくださったんでしょう。そして、イエス様を信じたら天国に行けるんでしょう。」「だから、私は死ぬのは全然恐くありません。」と確信をもって言われました。 そして、その言葉の通り、飛渡ヒロエ姉妹は、死に打ち勝って、天寿を全うして、天国に行かれたのです。
私たちの心の内におられるイエス様は、罪に打ち勝ち、死に打ち勝って、永遠に生きておられるお方です。そのお方が、私たちの心の中におられるので、私たちも永遠の命をいただくことが出来るのです。 私たちも、イエス様を信じて聖霊の証印を押していただき、最後の一息まで、信仰を全うさせていただきましょう。
Ⅰコリント3:16をご一緒にお読みしましょう。 「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。」
イエス・キリストを信じた、私たちは、神の霊を宿す、神の神殿です。そして、その神殿は永遠に滅びることはないのです。何と素晴らしい恵みでしょうか。 そして、私たちの教会も、聖霊に満たされた、神の神殿です。今年も一年この御言葉通りに、三位一体の神様は、私たちの心の中に共におられました。そのことを心から感謝しましょう。そして、この主を心の真ん中にお迎えして、新しい年を歩ませていただきましょう。
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