みなさんようこそ、オリーブゴスペルコンサートにお越しくださいました。今日は、特別礼拝でもありますので、聖書の御言葉をお贈りしたいと思います。Ⅰテサロニケ5:16~18 「いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 どんなことにも感謝しなさい。これこそ、キリスト・イエスにおいて、神があなたがたに望んでおられることです。」 この御言葉は、私が最初に山形に来た時に与えられた思いでの聖書の御言葉です。 まだ、教会が増築する前の小さな教会でしたが、その講壇の前に、前任の黒田愛子先生の書かれたこの御言葉が、掲げられていたのです。 「いつも喜んでいなさい。 絶えず祈りなさい。 どんなことにも感謝しなさい。」 毎日、その御言葉を読みながら、「わたしもこのような生き方をさせてください。」と祈ったことを思い出します。「いつも喜び、絶えず祈り、どんにことにも感謝する。」生活ができたらどんなに素晴らしい事でしょう。 それでは、どうすれば、この御言葉のような生活が出来るのでしょうか。一つ一つ見てみましょう。
(1)「いつも喜んでいなさい
ここには「いつも喜んでいなさい。」と書かれています。私たちは、嬉しいことや、楽しいことがあると喜びます。きれいな曲を聴いたり、美味しいものを食べたり、愛する人と出会ったりすると喜びます。 けれども、喜べないような出来事もあります。悲しいことや苦しいこと、また、愛する人との別れ・・・。そのような時にどうすれば喜ぶことができのでしょうか。 それは、神様が、どんな時も愛してくださっているということを知ることです。
エレミヤ31:3には「わたしは、とこしえの愛をもってあなたを愛し/変わることなく慈しみを注ぐ。」と書かれています。 神様は、決して変わることのない永遠の愛をもって、私たちを愛してくださっているのです。しかも、私たちの救いのために、独り子をお与えになり、その独り子であるイエス様は、私たちの罪の身代わりに十字架で命を与えてくださいました。イエス様は、命を与えてくださる程に、私たちの事を愛してくださっているのです。 その、神様の愛を知る時に、また、イエス様の十字架の愛を見上げる時、私たちの心には、喜びが溢れます。
(2)絶えず祈りなさい
ここに「絶えず祈りなさい。」とあります。これは、いつ、いかなるときにも絶えず、主と交わりを持ちなさいということです。「絶えず祈る」ということは、一日中目を閉じて祈っていなさいと言うことではありません。「絶えず祈る」ということは、いつでも、どこでも神様が祈りを聞いてくださるという約束です。 私たちは、いつでも、どこでも、どんな状況の中でも神様とお交わりが出来るという素晴らしい特権が与えられているのです。 私たちは、電話をする時、時間をきにしますね。朝はあまり早くないように、夜はあまり遅くないように、昼間は仕事中は出来るだけ避けて・・・。 けれども、聖書には「絶えず祈りなさい」と書かれています。どんな朝早くでも、どんなに夜遅くでも、またどんなに忙しい時でも、いつでも祈って良いよ、私たちを招いてくださっているのです。
そして、これが、私たちが「いつも喜び」「どんなことにも感謝する」秘訣です。 この御言葉をもう一度見てください。「いつも喜んでいなさい。」と「どんなことにも感謝しなさい。」という御言葉の真ん中に「絶えず祈りなさい。」という御言葉が書かれているのです。それは、祈りこそが、いつも喜び、とんなことにも感謝する秘訣だからです。 私たちには、「喜べない」と思うような出来事が襲ってくることがあります。けれども、そのようなときにこそ、この祈ればいいのです。 また、このことだけはとうしても感謝出来ないというようなこともあります。けれどもそのようなときにこそ「私を憐れんで下さい」と祈るのです。そうすれば、神様が、私たちの祈りに答えて下さって、変わらない喜びと感謝を与えて下さるのです。 「絶えず祈りなさい」この神様と朝も、昼も、夜も「絶えず祈りながら」歩ませていただきましょう。
(3)どんなことにも感謝しなさい
普通、私達は、願い通りのことがかなったり、それ以上のことが起きると感謝します。
けれども、人生はそんなにうまくいきません。試練の時や、計画通りにいかないことがあります。いや、そのような時の方が、多いかも知れません。 しかし、聖書はここには「どんなことにも感謝しなさい」というのです。 どうすれば、苦しみや悩みの試練の中で、自分の計画通りならない八方ふさがりの中で、感謝することが出来るのでしょうか。 それは、私達の考えを越えて、一番良いことをして下さる神様が共にいて下さると信じることです。
ローマの信徒への手紙8章28節(P285)には、このような御言葉があります。
「神を愛する者たち、つまり、御計画に従って召された者たちには、万事が益となるように共に働くということをわたしたちは知っています 」
「万事が益となるように共に働く」とありますが、私達の神様は全ての事を最善にして下さるお方です。
「どんなことにも感謝しなさい。」 私たちを愛してくださっている神様は万事を益として下さるお方です。最善以下のことはなさらいお方です。そのお方を見上げと時「どんなことにも感謝する。」心が与えられるのです。
今日は9月11日です。あの東日本大震災が起きて、ちょうど、6ヶ月になります。 東北ケズィック・コンベンションで、委員をしておられる、田中時雄先生の聖協団仙台教会も被災を受けました。 あの日、地震が起こり、津波警報が出たので、町の役員をしておられた先生は、車で「津波警報です。安全な場所に避難してください。」と伝えて廻りました。ところが、しばらくすると大きな津波が襲ってきて、大変だということで、教会の二階に逃げ込みました。教会の一階部分は浸水してしまい、先生の家族は教会の二階で、電気もガスも水もない暗闇の中、寒さに震えながら過ごしたそうです。そして、4日経ってやっと自衛隊に救助されたのです。 そのまま、避難所に連れて行かれました。そこには、家族を失った方や、家毎流されてしまい、帰る家もない人たちが大勢いました。 300人程の人たちが非難していましたが、先生たちに割り当てられた場所は、入り口の一番風の当たる寒い場所でした。出入り口なので、みんなが、先生家族の横を通っていきます。最初の内は、よく寝ることも出来ないし、大変だと思っていましたが、そこを通る人たちが、みんな話し枯れてくれるようになったのです。 「寒いのにすみませんね。」とか、ペットの犬も一緒だったので、「かわいいですね」とか、「なんていう名前ですか」と話しかけてきます。その内、「あなたの職業は何ですか。」と聞かれると「牧師です。」と答えます。「どうして、牧師になったんですか。」と聞かれるので、救いの証しをしたり、献身の証しをすることが出来たそうです。 そのように、避難所の人たちと仲良くなって、25年間その地で、伝道をしてこられたのですが「私は教会の牧師の田中です」とみんなに言う機会はあまりなかったそうですが、この3日間で300人の人たちに、自己紹介をし、教会の話をし、自分の信じるイエス・キリストの話しをすることが出来たと言ってそのことを「喜び」「感謝」しておられました。
こんなに大変な情況の中で、「喜びと祈りと感謝の生活」をしておられる先生の言葉に大切な事を教えられました。
神様が私達に望んでおられる3つの事を学びました。(1)いつも喜んでいなさい。(2)絶えず祈りなさい。(3)どんなことにも感謝しなさい。 神様はあなたのことを愛しておられます。また、絶えず祈りを聞いたくださるお方です。そして、その時は解らなくても、私たちの人生に最善のことをなしてくださるお方です。そのお方を見上げて「喜びと祈りと感謝の生活」をさせていただきましょう。
実は、昨日、オリーブに一曲リクエストをしました。それは「どんな時も」という曲で、今日のこの御言葉からできた曲です。私の大好きな曲ですが、最後にこの曲を賛美しましょう。
コメントをお書きください