みなさんは、知らない場所に行く時に、どうしますか?人に道を聞いたり、地図を見たり、最近では、カーナビに案内をしてもらいます。 聖書では、私たちの人生は、旅に譬えられていますが、その旅を安全に、そして、確実に導いてくださるのが、この聖書の御言葉です。
今日の中心の御言葉は、10節です。
「エズラは主の律法を研究して実行し、イスラエルに掟と法を教えることに専念した。」
今日は、このエズラが、律法に従い、イスラエルの民を導いたお話しです。 昔、ペルシャの国に、エズラというイスラエルの人がいました。エズラは神様を信じる人で、聖書をよく勉強して、聖書の決まりを良く守りました。神様が一緒にいて下さったので、エズラは王様からとても信頼されていました。
①
ある時、エズラは王様から手紙をもらいました。 その手紙には、「エルサレムに帰って、あなたが信じる神様を礼拝しなさい。必用な物は何でもあげます。」と書いていました。 エズラは、大勢のイスラエルの民と、自分の国に帰ることになりました。エルサレムに帰ったら、みんなに神様のことをたくさん教えてあげようと思っていました。
②
「エルサレムに帰る人は集まって下さい。」とエズラが呼びかけると、一緒に帰る人たちが、5000人も川のそばに集まりました。3日間、出発の準備をしました。これからの旅は何ヶ月もかかります。だから、その準備は大忙しです。 準備が終わると、エズラはみんなに言いました。「みなさん、今日は一日中何も食べないでお祈りをしましょう。」 みんな、心を合わせてお祈りをしました。 まず、「神様を信じます。」とお祈りをしました。神様は、心から神様を信じる人を喜んで下さるのです。 それから、「長い旅行の間、どうぞお守り下さい。」とお願いしました。 途中の道には、悪い人たちが待ち伏せをしていて、大事な荷物を取られてしまうかも知れません。何日も何日も歩いて、旅をしますから、疲れて病気になる人もいるかも知れません。「でも、神様が守って下さるから絶対に大丈夫。」とお祈りをしました。 神様は本当にお祈りを聞いて下さいまた。悪い人たちが待ち伏せをしていても、恐ろしい動物が近づいても、神様が一緒にいて下さるので安心でした。 無事に、エルサレムに着くと、「神様ありがとうございます。」と、みんなで、神様に礼拝をささげました。
③
ところが、エルサレムにようやく到着したエズラは、町の様子を見て、とてもがっかりしてしまいました。大勢のイスラエルの民が、外国人と結婚して、偽物の神である偶像を拝んだり、まことの神様が悲しまれるようなことを平気でするようになっていたからです。
あの神殿が完成した時には、みんなあんなに喜んで、感謝して、神様に従って行こうと決心していたのに。すっかり、その喜びを忘れて、神様を悲しませ、怒らせるようなことばかりをしています。 エズラは、本当にがっかりしてしまいました。悲しくて仕方がありませんでした。そこで、神様にお祈りをしました。「神様、神様が良いことをたくさんしてくださったのに、私の国の人たちが、悪いことをしています。どうぞゆるしてください。」
④
エズラは、神殿の前で、涙を流してお祈りをしました。すると、イスラエルの人々もエズラの所に集まって来て、みんなで神様に悔い改めのお祈りをしました。 エズラは、立ち上がりました。「今まで、神様に従わないで犯してきた罪を悔い改めて、もう一度、御心に適った生活を始めましょう。」 こう言って、ただ一人のまことの神様に従うように、みんなを導いたのです。そして、イスラエルの民は、エズラの語る律法に従って、神様からたくさんの祝福をいただいたのです。
今日は、エズラのお話しをしましたが、このエズラの信仰の姿から、二つのことを学びたいと思います。
(1)私たちの旅路を導いてくださる神様
エズラ8:31
「わたしたちは第一の月の十二日に、エルサレムに向かってアハワ川を出発した。道中待ち伏せる敵の攻撃も、神の御手に守られて、免れることができた。」
エズラは神様の御言葉をよく読んで、聞き従う人でした。そのようなエズラを神様は祝福してくださいました。 そして、ペルシャ王キュロスを用いてくださって、イスラエルの民は自分の故郷のエルサレムに帰ることが出来たのです。
その旅路も危険な旅路でしたが、神様が共にいて下さったから、悪い人たちや、恐ろしい獣からも守られたのです。 神様は、御言葉に従う人を守って下さいます。神様が共にいて下さるから大丈夫なのです。
MSR+(宮城復興支援ボランティア)の働きのためにお祈りをありがとうございます。このボランティアも、2ヶ月が過ぎ、先週は5回目のボランティアを無事に終えました。 最初は、何をしたらいいのか解らなかったのですが、神様が、先だって導いて下さっています。 私たちは、EM散布をして、臭いを消すボランティアをしていますが、最初の出会いは、4月の終わりに、気仙沼に行ったことがきっかけでした。 二日目に、気仙沼の町に足利さんという方が、EM散布をするので手伝って欲しいということで、くじを引いたところ、なぜか、牧師の小寺 隆先生と私が、くじに当たったのです。そこで、EMの効果を知りました。 そして、5月の終わりに、宮城南部でボランティアをしようという話しをしていたときに、ちょうど、気温の高くなって、津波の臭いがひどくなっていました。それならば、あのEMを散布しようということになって、足利さんの協力もあって、今の活動が始まったのです。 と言っても、EM散布をどこで、どのようにしたら良いのか、解りませんでしたが、亘理町の逢隈高屋に一人のクリスチャンの方を紹介されて行ってきました。その方も被災されたのですが、「このような形でお役に立てるのは、とても嬉しいです。」とおっしゃってくださり、チラシを配って下さったのです。 そのようにして、逢隈高屋地区全体200世帯以上のEM散布が出来るようになり、EMとピアノのコンサートには70名の人たちが集まって下さいました。 そして、8月は早股下一地区、162世帯、先週は、ボランティアセンターのある下野郷下地区の52世帯のEM散布を行いましたが、この時は、町内会長、副会長、区長さん名とが毎日一軒一軒道案内をしてくださいました。 その他、被害の大きかった吉田地区10世帯、山元町などの散布をさせていただきました。 それだけではなく、これまでは、住宅の臭い消しでしたが、これからは、畑にEM散布をして欲しいという要望があり、先日は10軒ほどの畑に散布を行いました。
まだ、2ヶ月の旅路ですが、神様が導いて下さり、教団教派を超えての協力をいただき、地域の人たちにも信頼されてご協力をいただいています。 今は、自衛隊が撤退し、多くのボランティアセンターが、やることがなくなって、閉じているような中で、このように地域の人々に必用とされていることは、本当に感謝な事だと思います。
2ヶ月関わって解ることは、神様が共にいて、私たちの旅路を導いて、一歩一歩の道を開いて祝福してくださっていると言うことです。
イスラエルの旅路を導いてくださった神様は、私たちの人生という旅路にも共にいて、守ってくださるから、大丈夫なのです。この神様を信頼して、従って行きましょう。
(2)悔い改めて主の御言葉に従う祝福
10:1 「エズラは神殿の前で祈り、涙ながらに罪を告白し、身を伏せていた。イスラエル人が彼のもとに集まり、男、女、子供から成る非常に大きな会衆ができた。この人々も激しく泣いていた。」
エズラが、エルサレムに帰ると、エルサレムの人々は、異邦人と結婚して、異邦人が拝んでいた偶像を拝んでいました。 また、神様が悲しみ、怒るような悪い行いを平気で行っていたのです。それに対して、エズラは、イスラエルの民のために、涙を流して悔い改めの祈りをささげたのです。
エズラのように、私たちのために、とりなしの祈りをしてくださった方がおられます。それは、誰でしょう。そう、イエス様です。イエス様は、十字架に架かられる前、ゲッセマネの園に行かれました。そこで、こう祈られたのです。ルカ22:43「父よ、御心なら、この杯をわたしから取りのけてください。しかし、わたしの願いではなく、御心のままに行ってください。」 その時、「汗が血の滴るように地面に落ちた。」と書かれています。どんなに真剣に命がけで祈られたかが解ります。
そして、あの十字架上で、「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」
と全人類のためにとりなしの祈りをされたのです。その祈りによって、私たちに救いの道が開かれたのです。 私たちも、このイエス様を信じましょう。そして、イエス様やエズラのように、他の人たちのためにとりなしの祈りをする者として用いていただきましょう。
最後に、堀 貞一先生のお話をしたいと思います。1889年明治22年の秋のことです。堀先生は、新潟教会に使わされましたが、その教会にはいろいろな問題や課題のある教会でした。 先生が、遣わされて、大変な牧会伝道を強いられ御苦労をされましたが、いろいろな問題に取り組んで一つのことが解ったのです。それは、教会の信徒が神様に寄り頼まないで、人間に知恵によってすべての計画を立てていたということです。 先生が示されたことは、これから、この教会を再建していくために必要なのは、人間の力に頼るのではなく、神様の力に寄り頼むこと、つまり、祈ることこそが、教会を救う唯一の道だということでした。 そこで、次の日から毎朝、裏山の森林の墓地に行って、納骨堂の石碑の前にひざまずいて祈ったのです。それは、ちょうど冬で寒さ厳しく大変なことでしたが、先生は熱心に神様の恵みを求めて祈り続けたのです。 そのうち一週間ほど経って教会内に祈祷会を開けとの御心を感じ、早速有志を募って、その晩から連夜の祈祷会が行われました。すると、集まる人達がだんだんと増え続け、ついに教会にリバイバルが起きたのです。 受洗者が、ぞくぞくと起こされて、3,4ヶ月の間に4,50名の受洗者が与えられたのです。 勿論、教会の紛争や問題は解決し、実に立派な教会として成長していったのです。
祈りというのは、自分たちの力ではなく、神様に100パーセント信頼することです。その祈りによって、この新潟教会は、紛争や問題が解決し、救われる人達が起こされ、教会が建て上げられていったのです。
エズラが、イスラエルのために祈ったように、また、イエス様がわたしたちの救いのために、祈られたように、私たちもとりなしの祈りをさせていただきましょう。そして、神様の素晴らしい御業を見せていただきましょう。
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