今朝の説教題は「百倍の祝福と永遠の命」です。 ホサナの祈祷会で、毎週「岡先生・好美先生」は百倍祝福されますと祈ってくれています。最初この祈りを聞いた時、プレッシャーを感じました。今でも一生懸命頑張っているのに、100倍頑張らなければならないのかと思ったのです。 ところが、今日の聖書の箇所を読んだ時に、それは神様が与えてくださる一方的な祝福だと言うことが分かりました。その時から、肩の力が抜け、百倍の祝福を祈られることが喜びに変わりました。 神様は、イエス様に従う人に、百倍の祝福を与えてくださるお方です。
今日の中心の御言葉は、29節です。
「わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。」
今日の聖書の箇所は、福音書の中でも最も有名な聖書の箇所で、マタイだけではなく、マルコやルカ3つの福音書に平行記事が書かれています。マタイによる福音書には、この富める青年のことが「青年」と書かれていますが、マルコでは「ある人」ルカでは「役人」と書かれています。これを合わせて想像すると、彼は「青年の役人」で、彼が金持ちであったということです。今日の聖書の箇所を3つに分けて学びたいと思います。
(1)富める青年の間違い
16節
「さて、一人の男がイエスに近寄って来て言った。「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」
「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」 これは、当時のユダヤ人にとって最大の問題でした。 それは、言い換えれば、どうすれば神の国に入ることが出来るのでしょうか。どうすれば救われるのでしょうかということです。そして、それは、ユダヤ人だけではなく、すべての人にとって大きな問題です。
この青年は、まじめに求道はしていましたが、一つの大きな間違いをしていました。
16節の後半で、彼は「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」と言っています。この言葉に表されているように、彼は自分の善いことを行えば永遠の命を受け継ぐことができると考えていたのです。その証拠に、17節で「イエスは言われた。「なぜ、善いことについて、わたしに尋ねるのか。善い方はおひとりである。もし命を得たいのなら、掟を守りなさい。」
と言われると、彼は18~20節でこう答えています。
「男が「どの掟ですか」と尋ねると、イエスは言われた。「『殺すな、姦淫するな、盗むな、偽証するな、 父母を敬え、また、隣人を自分のように愛しなさい。』」そこで、この青年は言った。「そういうことはみな守ってきました。まだ何か欠けているでしょうか。」と言っています。
彼は、律法学者の中でも優等生でした。律法に定められている人を全て守っていたのです。しかし、彼には、「永遠の命」に対する確信と平安がありませんでした。 彼は、律法を守り、道徳的なことを行っていれば、救われると考えていましたが、人は努力や行いでは、決して神の国に入ることは出来ないのです。
あの東日本大震災の後、津波が襲ってきました。多くの人が、建物の中に取り残されましたが、その人達の内、自分の力で泳いだり、逃げようとした人たちは、津波に流されて命を失ってしまったそうです。 しかし、必ず、誰かが自分たちを助けてくれると信じて、出来るだけ無駄な体力を使わずに、救いを待ち続けた人たちは、警察や自衛隊によって助けられそうです。
私たちの救いも、それに似ています。富める青年が、「先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。」 と尋ねたように、自分の努力や善い業によっては、私たちは、決して神の国に入ることは出来ないのです。ただ、イエス・キリストの救いを待ち望む時、神様が、私たちを救ってくださるのです。
(2)イエス様の答え
それでは、どうすれば私たちは「永遠の命」をいただくことが出来るのでしょうか。また、永遠の命をいただくために、何をしなければならないのでしょうか。イエス様は、その金持ちの青年を見つめて、慈しんでこう言われました。21節 「イエスは言われた。「もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。」
ここで、イエス様は、「永遠の命」を得るために、3つのことを命じられました。
①「行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。」 貧しい人に対する愛
この愛こそが、律法の中で一番大切な教えです。マルコ12:28~31(P87)
「彼らの議論を聞いていた一人の律法学者が進み出、イエスが立派にお答えになったのを見て、尋ねた。「あらゆる掟のうちで、どれが第一でしょうか。」イエスはお答えになった。「第一の掟は、これである。『イスラエルよ、聞け、わたしたちの神である主は、唯一の主である。心を尽くし、精神を尽くし、思いを尽くし、力を尽くして、あなたの神である主を愛しなさい。』第二の掟は、これである。『隣人を自分のように愛しなさい。』この二つにまさる掟はほかにない。」
ここで、イエス様がおっしゃられたように、律法の一番大切な教えは、神様を愛し、隣り人を愛する愛です。ところが、ユダヤ人達は、その一番大切な律法の教え、律法の心であるといっていい、神様を愛し、隣り人を愛する愛を忘れて、形だけの律法を守って平安を得ようとしていたのです。そこに彼らの大きな間違いがありました。
②「そうすれば、天に富を積むことになる。」天に宝を積むこと
その事をイエス様は、マタイ6:19~21でこうおっしゃっておられます。
「あなたがたは地上に富を積んではならない。そこでは、虫が食ったり、さび付いたりするし、また、盗人が忍び込んで盗み出したりする。富は、天に積みなさい。そこでは、虫が食うことも、さび付くこともなく、また、盗人が忍び込むことも盗み出すこともない。あなたの富のあるところに、あなたの心もあるのだ。」
ここに「富は、天に積みなさい。」とあります。私たちは、イエス・キリストを信じる信仰によってやがて天国に行きます。けれども、その天国にどれだけの富が蓄えているでしょうか。地上のことばかりに心を奪われて、富を、天に蓄えていないということはないでしょうか。この地上に富を蓄えても、それを天国に持っていくことはできません。しかし、私たちの持っている賜物や、富を、神様や人のために使うなら、私たちは天に宝を積むことが出来るのです。 「富は、天に積みなさい。」この地上で、自分の富を握りしめるような生き方ではなく、喜んで神様と人のために用いて、天に宝を積む生きたかをさせていただきましょう。
③「それから、わたしに従いなさい。」イエス様に従う生活
マルコ8:34~36(P77)
「それから、群衆を弟子たちと共に呼び寄せて言われた。「わたしの後に従いたい者は、自分を捨て、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい。自分の命を救いたいと思う者は、それを失うが、わたしのため、また福音のために命を失う者は、それを救うのである。人は、たとえ全世界を手に入れても、自分の命を失ったら、何の得があろうか。」
イエス様は、私たちの罪のために十字架にかかってくださいました。その十字架の贖いによって、永遠の命への道が開かれたのです。命を投げ出してくださるほどに、私たちのことを愛して下さっているイエス様に従うことこそが、永遠の命への道です。 自分を捨て、自分の十字架を背負って、このイエス様に従わせていただきましょう。
イエス様は、金持ちの青年に、「永遠の命」をいただくために大切な3つのことをお話しになりました。ところが、その青年は、今までの自分の生き方や、自分の富を手放すことが出来ませんでした。22節 「青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。」 ここに、「たくさんの財産を持っていたからである。」
とイエス様のもとから立ち去った理由が書かれています。この金持ちの青年は、人よりも物を、神様よりも自分を選んだのです。 けれども、本当にイエス様に従う人というのは、物よりも人を愛し、自分よりも神様を選び取っていく人です。そして、そういう人こそが、永遠の神の御国に行くことが出来るのです。
(3)神様が一方的に与えてくださる祝福
最後に、神様が与えてくださる3つの祝福について見てみたいと思います。①神様の愛による全能の力 22節に 「青年はこの言葉を聞き、悲しみながら立ち去った。たくさんの財産を持っていたからである。」とありますが、このことを一番悲しみ嘆かれたのは、イエス様御自身だったと思います。
「ああ主のひとみ」という讃美歌があります。その1番にこの富める若人のことが出てきます。
1、「ああ主のひとみまなざしよ。聖き御前を去りゆきし、富める若人見つめつつ、嘆くは誰ぞ、主ならずや」
イエス様は、このイエス様のもとから立ち去っていく青年の姿を見て、どんなに心を痛められたことでしょうか。それと同じように、私たちがイエス様のもとを離れる時、嘆き悲しまれるのです。なぜなら、イエス様にとって一人一人がかけがえのない大切な存在だからです。それほどにあなたのことを愛しておられるのです。
イエス様は、富める青年が去っていく姿を見送ると、弟子たちを見回してこう言われました。23~24節「イエスは弟子たちに言われた。「はっきり言っておく。金持ちが天の国に入るのは難しい。重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」
この言葉を聞いた、弟子たちは驚いてしまいました。25節にこう書かれています。 「弟子たちはこれを聞いて非常に驚き、「それでは、だれが救われるのだろうか」と言った。」
富める青年は、律法を忠実に守り、人の目から見ると、誰よりも祝福された人でした。しかし、その彼が、富を貧しい人に与えることが出来ないからといって、神の国に入ることが出来ないのなら誰が入ることが出るのだろうと言ったのです。
それに対する、イエス様の答えが、26節です。
「イエスは彼らを見つめて、「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」と言われた。 「人間にできることではないが、神は何でもできる。」 人間は弱くても、神様は全能のお方です。その神様には出来ないことがありません。 神様は、私たちを愛しておられます。そして、その神様は、私たち罪人のために全てを与え尽くしてくださったのです。 ヨハネ3:16「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」 富める青年は、自分の財産を貧しい人に与えることが出来ませんでしたが、神様は、愛する独り子イエス・キリストを私たち罪人の救いのためら与えてくださったのです。そして、神の子であられるイエス様は、私たちの罪の身代わりに十字架に架かってくださいました。 その十字架の贖いによって、私たちに救いの道を開いてくださったのです。 私たちの努力や善い行いによっては、決して救われませんが、私たちの罪のためにイエス様が十字架に架かってくださり、三日目に罪と死に打ち勝ちよみがえられて、救いの道を開いてくださったのです。「それは人間にできることではないが、神は何でもできる」 神様だけが、私たちを救ってくださるお方です。
24節に「重ねて言うが、金持ちが神の国に入るよりも、らくだが針の穴を通る方がまだ易しい。」とありますが、聖地旅行に行った時、エルサレム神殿に「針の門」という小さな門がありますした。それは、小さな門で、らくだがそこを通るには、すべての荷物をおろして、跪いてでなければ、その門を通ることが出来ません。 そのように、主の前にへりくだって、イエス様の十字架と復活を心から信じて、神の国に入る者とさせていただきましょう。
②100倍の祝福
そして、すべてを従って主イエス様に従うならば、神様は100倍の祝福を与えてくださるのです。 27~29節をご覧下さい。「すると、ペトロがイエスに言った。「このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました。では、わたしたちは何をいただけるのでしょうか。」イエスは一同に言われた。「はっきり言っておく。新しい世界になり、人の子が栄光の座に座るとき、あなたがたも、わたしに従って来たのだから、十二の座に座ってイスラエルの十二部族を治めることになる。わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。」とイエス様がおっしゃったのです。
29節に「わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、」 と書かれています。 「イエス・キリストに従う者に100倍の報いを与える。」これが、イエス様の約束です。これは、ペトロだけに対する約束ではありません。ここに「皆」と書かれています。だれでもみんな、すべてを捨てて主に従うなら、100倍の祝福をいただくことができるのです。
宮城南部復興支援ボランティアのためにお祈りをありがとうございます。 6月の最初に開所式が行われました。私たちが今中心に行っていることは、EM散布で、有用微生物を散布することによって、臭いを消して、土の改良を行っています。 ただ、最初は、どこに散布したらいいかも分からず、ただ、亘理町の1人のクリスチャンだけが頼りでした。まず、開所式の次の日にその方をお訪ねして、EM散布をしました。そして、このチラシを委ねて帰ってきました。すると、その姉妹の家の臭いが消えたと喜んでくださり、また、このチラシの裏に十字架と証しが書かれているので、喜んでこのチラシを地域の人たちに配ってくださいました。 その結果、その地域の話し合いで、逢隈高屋地区全体にEM散布をして欲しいということになり、この地区だけで200軒、その他の地区からもたくさんの申込が来ています。また、先週は遺体安置所として用いられた、岩沼市の体育館も散布し、臭いが消えたと喜んでいただきました。 そして、来週の月曜日は、公民館で、EMとピアノの夕べが行われ、山形南部教会にも来てくださった、小西優子先生が、ピアノと証しをしてくださる事になりました。 ぜひ、行かれる方はお申し出下さい、 神様は、そのように、行き先を知らないで出発した私たちでしたが、100倍の祝福を与えてくださっています。どうが、この働きを通して、救われる魂が起こされるように、また、教会があの地に建てあげられるようにお祈りしてください。
全てを捨てて、イエス様に従う時、イエス様は、100倍の祝福を与えてくださいます。その約束を信じて、イエス様に従って行きましょう。
③永遠の命
イエス様が、私たち救いのために、十字架上ですべてを捨ててくださったように、私たちもすべてを捨ててイエス様に従うならば、神様は必ず、100倍祝福してくださいます。そればかりか、「永遠の命を受け継ぐ。」と永遠の祝福を約束してくださっているのです。 みなさんに祈っていただいていた、飛渡ヒロエさんが、94才で天に召されました。 それは、私たちに取って寂しいことですが、飛渡ヒロエさんは、40周年記念誌に、こんな証しを書いておられました。
「神様の恵みに導かれて」 飛渡ヒロエ
幼い頃、私は教会のとなりに住んでいました。鐘の音や讃美歌を聞いて育ちました。けれども、初めて教会に行ったのは、今から7年前75才の時です。先に救われていた次女のヨウ子をたずねた時、誘われるままに、埼玉県の和光市の教会に出席しました。3回の礼拝に出席してすぐイエス様を私の救い主として信じてバプテスマを受けました。 山形に帰る時、娘に教会に行ってねと言われましたが、どうしてよいかわかりませんでした。そんな折、出先で国井ハナさんとばったり会いました。そして、国井さんが教会に行っていることを知り、その次の週から私も教会に通うようになりました。それからもう7年が過ぎました。今何もかも、神様の恵みだと感謝しております。娘たちが先に、救われたことも、国井さんに出会ったことも、神様が全部働いて下さったのです。 うまく言えませんが、私はイエス様を信じます。死ぬことも恐くありません。イエス様が天国に連れて行ってくださると約束されているからです。 ヨハネによる福音書11章25節の約束を信じます。「わたしは復活であり、命である。わたしを信じる者は死んでも生きる。」これからも、よろしくお願いします。
この証しの中で、飛渡ヒロエさんは、はっきりと、私はイエス様を信じます。死ぬことも恐くありません。イエス様が天国に連れて行ってくださると約策されているからですと言っています。 実は、この証しは、筆談で書かれた証しで、この言葉を家内が書き取ったのです。その時、飛渡ヒロエさんがこの言葉をおっしゃる時の、確信に満ちた、平安な顔を忘れる事が出来ません。
神様は、この約束通りに、イエス・キリストを信じ、従う者に100倍の祝福を、そして、永遠の命を与えてくださるお方です。
29節「わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子供、畑を捨てた者は皆、その百倍もの報いを受け、永遠の命を受け継ぐ。」 全てをイエス様にお委ねして、百倍の祝福と、永遠の命を受け継ぐ素晴らしい人生を歩ませていただきましょう。