今日は、小寺 義兄の東日本大震災の報告をお聞きしました。もう、震災から3週間以上が経ちましたが、地震、津波、そして原子力発電の放射線漏れと、今だに多くの人達が苦しみ悩んでいます。
そのような人達のために、私たちは何が出来るでしょうか。
今日から木曜日まで、山形南部教会から4人の兄弟姉妹が、大震災の復興支援のために出かけていきます。その方々のためにお祈りをお願いします。
また、昨日東京オンヌリ教会のチャン先生から、被災者の方々のために、お金や物だけではなく、人を送って、クラシックなどの音楽などを通して被災者の方々の心に慰めと力を与えたいので、協力をしてくださいとお電話をいただきました。
そのように、いろいろなことが計画され、行われていますが、私たちクリスチャンでなければ出来ないこと、そして、一番大切な事とは何でしょうか。それは、お祈りをすることです。祈る事は、私たちクリスチャンにしかできません。祈る時に、全知全能の神様が御業を成して下さるのです。そして、祈る時に、神様が私たちが成すべき事を教えてくださるのです。
今日は、崩壊していたエルサレム神殿の復興のために、涙を流し、断食をして祈ったネヘミヤのお話しです。
今日の中心の御言葉は、ネヘミヤ1:4です。
「これを聞いて、わたしは座り込んで泣き、幾日も嘆き、食を断ち、天にいます神に祈りをささげた。」
②
この絵をみてください。これは誰でしょう。これが、エルサレムのために、涙を流し、断食をして祈っているネヘミヤです。
ネヘミヤは、ペルシャの王様に仕える役人でした。いつも王様の側で一生懸命働いていたので、ネヘミヤは王様からとても信用されていました。ネヘミヤはペルシャの王様からペルシャの国でとても幸せに暮らしていましたが、先祖のイスラエルの国のことは忘れたことはありませんでした。そして、神様を礼拝するエルサレム神殿にいつかは行ってみたいと思っていました。
①
ある日、ネヘミヤの親戚のハナニが、エルサレムから来た人たちを連れて来ました。
ネヘミヤは、その人たちをお迎えして
「よくいらっしゃいました。エルサレムの様子はどうですか。みんな元気に暮らしていますか。」と聞きました。
すると、その人達は悲しい顔をして答えました。
「今のエルサレムはひどい状態です。むかし町を守っていた立派な城壁は壊されて、門も町も火で焼かれてしまいました。ユダヤ人はみんな、苦しい生活をしています。」
それを聞いたネヘミヤは、とても悲しくなってしまいました。町の周りにある城壁が壊れたままになっていると、いつ敵に攻められるか解りません。
そこで、ネヘミヤは泣きながら、断食をして、悔い改めの祈りました。
「天の神様、なんということでしょう。多くのユダヤ人が、あなた以外の神様を拝んできました。本当の神様を礼拝しなかったので、仲間たちは、エルサレムでとてもつらい生活をしています。どうか、この罪を赦してください。そして、私たちを憐れんでください。」
祈りながら、ネヘミヤは、昔、神様が先祖たちに約束してくださった御言葉を思い出しました。それは、まことの神様だけに従い、神様だけを愛するなら、人々をエルサレムに帰してくださるという約束でした。
ネヘミヤはその御言葉を信じて祈ったのです。
神様は、そのネヘミヤの祈りを聞いてくださいました。
③
ある日のことです。
アルタクセルクセス王が、ネヘミヤのところにやって来てこう言いました。
「ネヘミヤ。病気でもないのに、どうしてそんなに悲しい顔をしておるんじゃ。何か心配事でもあるのか。」
ネヘミヤは今まで、一度もそんな悲しい顔を見せたことがなかったので、王様は心配でたまりません。
「はい、王様、私の先祖の地では、仲間たちが、苦しい生活をしています。町も門も火で焼かれたままです。それで、わたしは悲しくてたまらないのです。」
王様は、ネヘミヤがかわいそうになって、言いました。
「私がお前に何が出来るだろうか。」
ネヘミヤは言いました。
「もし、私の願いをかなえてくださるのなら、私を故郷に帰らせてください。そして、壊れた城壁を建て直すことを許してください。」
④
王様は、何と言ったでしょうか。とんでもないと言ってしかられたでしょうか。そうではありませんでした。
王様はこう言いました。
「行ってきなさい。必要なだけ故郷に戻って、城壁を建て直してきなさい。」
王様は、ネヘミヤにエルサレムに行くことを許してくださっただけではなく、無事に旅が出来るように、途中の町の総督に手紙を書いてくれました。
そして、なんと城壁工事に必要な材木も用意してくれたのです。
神様がネヘミヤの祈りに答えてくださって、すべての準備が整いました。
このようにして、ネヘミヤは、エルサレムに向かって旅立ったのです。
この御言葉から、二つのことをお話ししたいと思います。
(1)愛するが故に与えられる試練
3節
「彼らはこう答えた。「捕囚の生き残りで、この州に残っている人々は、大きな不幸の中にあって、恥辱を受けています。エルサレムの城壁は打ち破られ、城門は焼け落ちたままです。」
どうして、神様は、エルサレム神殿を壊し、イスラエルの民を苦しめられたのでしょうか。
イスラエルの民を見捨てられたのでしょうか?イスラエルの民を苦しめるために試練を与えられたのでしょうか。そうではありません。
それは、神様がイスラエルの民を心から愛しておられ、自分の罪に気づいて、神様の元に立ち帰って欲しいと願っておられたからです。
神様は、私たちを愛するが故に、試練を与えられることがあります。
ヘブライ12:5~6(P417)
あなたがたはまだ、罪と戦って血を流すまで抵抗したことがありません。また、子供たちに対するようにあなたがたに話されている次の勧告を忘れています。「わが子よ、主の鍛錬を軽んじてはいけない。主から懲らしめられても、/力を落としてはいけない。なぜなら、主は愛する者を鍛え、/子として受け入れる者を皆、/鞭打たれるからである。」
ラジオ牧師で有名な、羽鳥明先生が、このような話しをされました。
先生が、果樹園を訪ねた時のことです。果樹園のご主人が、玄関の横にある木の茂みの中に作った小鳥の巣を指さして、ニコニコ笑いながらこう言いました。
「先生、この小鳥はね。私が集めて切り倒した小枝の山の中に、わらを運んで巣を作りかけていたんですよ。この小枝は乾いたら燃やしちゃうんですから、長い棒で、巣をこわしちゃったんですが、この小鳥は、また、巣を作りましたよ。私は、また壊したんですが、また作りました。三回壊したら、とうとうあきらめて、ここへ引っ越してきたんですよ。」
この果樹園のご主人は、小枝に巣を作ったままだと、小枝を燃やす時に巣も一緒に燃やしてしまうと生けないから、別の木に巣を作るまで何度も巣を壊したのです。
これを聞いた羽鳥明先生は、こんなことをお話しされたそうです。
「実は、神様も時々、同じようなことを私たちの人生になさるのです。これで大丈夫と、小鳥のように、この世の物に巣を作っても、それは、地獄の火には耐えらず、世の終わりの大地震には持ちこたえられないのです。
そのことを悟らせようと、神様は私たちの人生をふるいにかけ、めちゃくちゃにされることがあるんです。しかし、それは、私たちを見捨てたのでも、憎んでおられるのでもなく、私たちを心から愛して、愛と喜びと永遠の人生を、築きなおすためにそうされるのです。」
神様は、私たちの人生に、どうしてこのようなことをなさるのだろうと思うような試練を与えられることがあります。それは、その試練を通して、私たちが、神様に立ち帰るためです。そして、この地上のやがて滅んでしまう巣ではなく、永遠に変わることのない天国という巣に宿るようにと招いておられるのです。
今、私たち日本人は、小鳥がやがて燃やされる小枝に巣を作ったように、やがて滅んでしまうこの世の物に頼り巣を作ってきたのではないでしょうか。神様は、その巣を壊すという大きな試練を通して、決して変わることのない、神様の御国へと招いておられます。
今、私たちは、大変な試練の中を通されていますが、このような時にこそ、日本が神様に立ち帰ることが出来るように祈りましょう。
(2)ネヘミヤのとりなしの祈り
1:4
「これを聞いて、わたしは座り込んで泣き、幾日も嘆き、食を断ち、天にいます神に祈りをささげた。」
ネヘミヤは、自分の故郷のエルサレム神殿が、ひどい状態にあることを知った時、心から悲しみました。そして、座り込んで泣いて、何日の歎いて、食べ物を食べないで祈りました。その祈りを神様が聞いてくださったのです。
神様は、ネヘミヤをエルサレムに返してくださいました。そして、エルサレム神殿を再建することが出来たのです。
今、私たちは、東日本大震災が起こり、地震や津波、そして原子力発電の放射線漏れで苦しんでいる多くの人達のことを聞いています。今朝の新聞には、(死者11,828人 安否不明 18,143人)と書かれていました。過去最悪の災害です。
そのような中で、誰に頼ったら良いのか、また、何を目的に生きていけば良いのか解らなくて、苦しんでいる人達が大勢います。
そのような中で、私たちはまず何をすれば良いのでしょうか。
それは、ネヘミヤのように祈る事です。私たちは小さくて、出来ることが限られています。
けれども、祈るならば、神様が全能の御手を動かして下さり、素晴らしい御業を成して下さいます。そして、私たちが何をすれば良いのかを教えて下さり、私たちを通して素晴らしい御業を成して下さるのです。
そして、何よりもイエス様が、私たちの罪のためにとりなしの祈りを献げて下さっているのです。3月9日~4月24日のイースターまで、受難節を迎えていますが、この時にイエス・キリストの十字架を見上げましょう。
イエス様は、あの十字架の極度の苦しみの中で、こう祈られたのです。
ルカ23:34
〔そのとき、イエスは言われた。「父よ、彼らをお赦しください。自分が何をしているのか知らないのです。」〕
あの十字架上でささげられたイエス様のとりなしの祈りによって、私たちは、罪が赦され、神の子とされ、永遠の命が与えられているのです。
その恵みを覚えて、滅び行く魂のために、とりなしの祈りを献げ、この素晴らしい福音をひとりでも多くの人々にお伝えしましょう。
今から450年ほど前ですが、イギリスのスコットランドにジョン・ノックスという伝道者がいました。その頃のキリスト教は腐敗して、悪いことや間違ったことが平気で行われていました。そこで、ジョン・ノックスは、心を痛めて
「スコットランドを救い、平和にするものは、聖書の教えだけだ。たとえ女王に憎まれて迫害されるようなことがあっても、犯罪や汚れたことを平気で行うキリスト教は改革しなければならない。」と言って、祈りながら伝道をしました。
ジョン・ノックスは、何度も、夜を徹して神にこう叫んだそうです。
「我にスコットランドを与えよ。しからざれば死を与えよ。」
神様は、その熱心な祈りを聞いてくださって、スコットランドに素晴らしいリバイバルの御業を成してくださり、スコットランドを建て直してくださったのです。
1:4
「これを聞いて、わたしは座り込んで泣き、幾日も嘆き、食を断ち、天にいます神に祈りをささげた。」
ネヘミヤが、エルサレム神殿のために断食をして祈ったように、また、ジョン・ノックスが、スコットランドのために命がけで祈ったように、私たちも今こそ、東北のために、日本の救いのために祈りましょう。