箱根ケズィック・コンベンション50周年記念大会のために、お祈りありがとうございます。
1961年に箱根で始まったケズィック・コンベンションですが、それが、50年の間に、北は北海道から、東北、東京、箱根、大阪、京都、奈良、九州、沖縄と日本中に素晴らしい恵みが、広がっています。
大会では、各地区の委員長先生が、各地区の感謝と恵みを証ししてくださいましたが、、変わらない、「みなキリスト・イエスにあって一つ」というケズィックの精神と、聖書の真理と、イエス・キリスト御自身のことが語り続けられているということは、本当に素晴らしい事だと思わされました。
私は今年、特別な恵みが与えられました。東北ケズィック・コンベンションで、二泊三日と次の日の青年大会、そして、その日と次の日は、エイメス先生ご夫妻の接待と、飛行場へのお見送りのために、先生ご夫妻とゆっくりお交わりの時が与えられました。
そして、今回、50周年記念大会ということで、東北代表として、島先生と私たち夫婦が参加させていただき、箱根で二泊三日、恵みに浸らせていただいて、天国を垣間見るような時を過ごさせていただきました。
今日の聖書の箇所は、変貌山と呼ばれる聖書の箇所です。この聖書の箇所を通して、主の御声を聞かせていただきましょう。
今日の中心の御言葉は、2節です。1節から読みたいと思います。
「六日の後、イエスは、ペトロ、それにヤコブとその兄弟ヨハネだけを連れて、高い山に登られた。イエスの姿が彼らの目の前で変わり、顔は太陽のように輝き、服は光のように白くなった。」
今日読んでいただいた聖書の箇所は、変貌山と呼ばれるところです。
イエス様は、ペトロとヤコブとヨハネを連れて、高い山に登られました。この山は、フィリポ・カイサリアの北東20キロにある、ヘルモン山だと言われています。
イエス様と、ペトロとヤコブとヨハネが高い山に登ると、イエス様の姿が、弟子たちの目の前で、「顔は太陽のように輝き、服は光のように白く」なったのです。この輝きは、イエス様が神の子であることをあらわしています。また、この光は天国の光でした。
今日読んでいただいた聖書の箇所から、私たちがイエス様の光を映し出すために3つの事を学びたいと思います。
(1)イエス様を心の中にお迎えすること
イエス様が、光り輝き、変貌の姿を弟子たちにあらわされた時、エリヤがモーセと共に現れてイエス様と話し始めたのです。これは、弟子たちにとって本当に驚くべき光景でした。
エリヤもモーセも、イスラエルの歴史の中では特別な存在です。
エリヤは、預言者の代表のような人物で、列王記下2章11節を見ると、エリヤは、天から炎のような馬車がやって来て、天にあげられた事が書かれています。
また、モーセは祭司を代表する人物で、出エジプト記34章30節には、モーセが人々が近づけないほど神の栄光を受けて顔が輝いたことが記されています。
そのような旧約聖書を代表するようなエリヤとモーセが現れて、光り輝くイエス様と語り合っているのですから、弟子たちは本当に驚き、ペトロはどう言えばいいのか解りませんでした。
そのような中でペトロは、イエス様にこう言っています。
4節
「ペトロが口をはさんでイエスに言った。「主よ、わたしたちがここにいるのは、すばらしいことです。お望みでしたら、わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。一つはあなたのため、一つはモーセのため、もう一つはエリヤのためです。」
ペトロは、神に対する恐れと聖なる喜びに満たされたのでしょう。何と言って良いのか解りませんでしたが、とにかく、神様の栄光がそこにとどまるのを願って、3人のために仮小屋を建てることを提案したのではないでしょうか。
これは、良くペトロの軽はずみな言葉のように語られますが、私は、この言葉は本当に素晴らしい言葉であると思います。
なぜなら、私たちは聖霊が宿ってくださる神殿とされているからです。
パウロは、Ⅰコリント3章16節でこう言っています。
「あなたがたは、自分が神の神殿であり、神の霊が自分たちの内に住んでいることを知らないのですか。」
イエス様を信じて受け入れた私たちは、「神の霊が自分たちの内に住んでくださる」「神の神殿」とされているのです。そして、私たちがこの変貌山で輝きをあらわされたイエス様を心の中にお迎えしたらどうでしょうか。私たちもイエス様の輝きを光り輝かす素晴らしいクリスチャンとなることが出来るのではないでしょうか。
この変貌山で光り輝かれたイエス様を心の中にお迎えして、私たちも光り輝く者とさせていただきましょう。
マッシュー・ヘンリーはこの輝きについてこう言っています。
「モーセは山にて神にまみえ、したに降りてきた時にはその顔が輝いていたと言えど、それは、月が太陽の光を反射するのと同じく、ほかから借りてきた輝きであった。しかるにイエスの栄光は太陽の光と同じくおのれに備わる徳が、自然に外にあらわれたのであるから、ことさら尊い。」
出エジプト記34章29節には、シナイ山で、モーセが神様に出会ったことが書かれています。あの時、モーセの顔は、光輝いていました。けれども、モーセの場合は、神様の栄光を映して光を放ったに過ぎませんでしたが、イエス様の輝きは、神の栄光そのものでした。
それは、ちょうど、月と太陽の違いのようなもので、モーセは光を反射させているだけですが、イエス様は、イエス様御自身が光を放っているのだというのです。
イエス様は、この栄光の姿をあらわされることによって、イエス様御自身が神であることをあらわされたのです。
私たちは、イエス様のように自分自身で輝くことは出来ません。けれども、モーセのようにイエス様の輝きを反射させることができるならなんと素晴らしいことでしょうか。
ペトロは、イエス様の変貌の輝きを見た時、仮小屋を造って、その中にお入り下さいと言いました。私たちも、私たちの家庭に、また、この教会に、そして、わたしの心の中にイエス様お入り下さいとお祈りをしましょう。
(2)イエス様の御声に聞き従うこと
弟子たちは、エリヤとモーセと語り合っているイエス様の姿を見て、非常に恐れました。そして、ペトロは、4節で3人のために「わたしがここに仮小屋を三つ建てましょう。」と提案していますが、イエス様はそのようなペトロに、もっと大切なことを教えられました。
それが7節です。
「すると、雲が現れて彼らを覆い、雲の中から声がした。「これはわたしの愛する子。これに聞け。」
ここで弟子たちは、「これはわたしの愛する子、来れに聞け。」と天からの御声を聞きました。
弟子たちは、光り輝くイエス様を見た時、ここいにいることが一番幸せだと思っていたのではないでしょうか。しかし、イエス様は弟子たちに、信仰の喜びや恵みに浸っているたげではなく、この山から降りて、いろいろな問題や課題が渦巻いているこの世の中で、「これに聞け。」と神の言葉を聞いて従うように命じられたのです。
これは、私たちに対するチャレンジでもあります。私たちも今礼拝をささげていますが、恵まれた礼拝に出席したり、心から賛美をしたり、愛するクリスチャンとの交わりを経験すると、ずっとここにいたいと思うことがないでしょうか。
けれども、イエス様は、そこに止まらないで、山を降りて、問題や課題の多い生活の中で「これに聞け。」と言われる神様の言葉に従うことによって光り輝くようにと命じられているのです。
光は、周りが暗ければ暗いほど輝きます。それと同じように、私たちも暗い世の中で、イエス様の御声に聞き従う時に光り輝くことが出来るのです。
日本ケズィック・コンベンションの最後の、バイブル・リーディングで、D・オルフォード先生が、「本当のダイナミックな献身」という題で、ローマ12:1~2からメッセージを取りついてくださいました。
「こういうわけで、兄弟たち、神の憐れみによってあなたがたに勧めます。自分の体を神に喜ばれる聖なる生けるいけにえとして献げなさい。これこそ、あなたがたのなすべき礼拝です。あなたがたはこの世に倣ってはなりません。むしろ、心を新たにして自分を変えていただき、何が神の御心であるか、何が善いことで、神に喜ばれ、また完全なことであるかをわきまえるようになりなさい。」
デイビッド・オルフォード先生のお父様は、今は亡きスティーブン・オルフォード先生で、日本ケズィック・コンベンションに何回も来られ、聖霊に満たされて、機関銃のように、力強いメッセージをされることで有名な説教者です。
このS・オルフォード先生は、宣教師の息子で、アフリカのアンゴラで育ちました。17歳になった時、イギリスに帰国されました。
この頃のイギリスは、アンゴラとは全く情況は違い、霊的に大変困難な暗黒の時代を迎えていました。
S・オルフォード少年は、まず、エンジニアの仕事をするようになりました。そして、オートバイのレースに夢中になり、レーサーとして活躍するようになりました。。
ところが、ある日、非常に大きな事故を起こしてしまいました。長い時間道路に倒れたままになっていましたので、肺炎になってしまい、生死の間をさまよいました。
そんなことを知らない、S・オルフォード先生のお父様が、アンゴラから一通の手紙が届きました。当時は、アンゴラからイギリスまで郵便が届くのに、3ヶ月もかかったそうです。
その手紙の中には、こう書かれていたそうです。
「私たちの人生は、たった一度だけで、すぐに過ぎ去ってしまう。しかし、いつまでも残るものは、キリストのために生きることだけだ。」
この手紙を、読んだS・オルフォード先生は、ベッドから起き上がって、「神様、この病を癒してください。もし、癒してくださったら、全てを神様のためにお献げします。」と祈りました。
すると、やがて病はいやされ、S・オルフォード先生は、イギリスだけではなく、世界中で、そして、日本ケズィック・コンベンションを心から愛してくださって、何度も来日されて、素晴らしいメッセンジャーとして用いられたのです。
それは、神様に全てを献げたところから始まったのです。
「これに聞け。」と神様は、私たちに語りかけておられます。これから私たちも、主の御声に聞き従って、光り輝かせていただきましょう。
(3)イエス様の苦難を共に担うこと
山を降りながら、イエス様は、9節で「一同が山を下りるとき、イエスは、「人の子が死者の中から復活するまで、今見たことをだれにも話してはならない」と弟子たちに命じられた。」
弟子たちは、ここでイエス様が「死者の中から復活するまでは」という言葉が良く解らなくて、10節で、「なぜ、律法学者は、まずエリヤが来るはずだと言っているのでしょうか」 とイエス様に尋ねました。それは、マラキ書4章5~6節にメシアが来られる時には、まずエリヤが来ると預言されていたからです。
それに対して、イエス様は、11~12節でこう答えられます。
「イエスはお答えになった。「確かにエリヤが来て、すべてを元どおりにする。言っておくが、エリヤは既に来たのだ。人々は彼を認めず、好きなようにあしらったのである。人の子も、そのように人々から苦しめられることになる。」
ここには、二人の苦難が書かれています。一人はエリヤで一人はイエス様です。
まずエリヤですが、
ここで、イエス様は、「エリヤは来た」と言われました。これは、イエス様の先駆者として活躍したバプテスマのヨハネのことを言っています。しかし、一般民衆や権力者たちはそれに気がつかず、好きなようにあしらったのです。
マタイ14:1~12には、バプテスマのヨハネの殉教のことが書かれています。
ヘロデの誕生日に、ヘロディアの娘がみんなの前で踊り、ヘロデを喜ばせました。そこで、ヘロデが、ヘロディアの娘に「願うものは何でもやろう」と言うと、ヘロディアに唆された娘が「洗礼者ヨハネの首を盆に載せて、この場でください。」と言い、牢の中にいたバプテスマのヨハネの首が盆に載せて運んでこられるという、恐ろしいことが書かれています。
イエス様は、そのことを語られて、人々の霊的な盲目と罪とを鋭く指摘しています。
次に、イエス様御自身の苦難です。
12節後半に「人の子も、そのように人々から苦しめられることになる。」とイエス様はおっしゃっておられます。これは、イザヤ書53章のことを言っているのです。イザヤ書53章では、栄光に輝くはずのメシアが人間の罪のために苦難を受ける姿が描かれています。
その御言葉を引用して、イエス様は、預言通りに苦難を受けられることをはっきりと預言されたのです。イエス様は苦難を通して、しかも十字架の死を通して神様の栄光をあらわさたのです。
ピリピ2:6~11
「キリストは、神の身分でありながら、神と等しい者であることに固執しようとは思わず、かえって自分を無にして、僕の身分になり、人間と同じ者になられました。人間の姿で現れ、へりくだって、死に至るまで、それも十字架の死に至るまで従順でした。このため、神はキリストを高く上げ、あらゆる名にまさる名をお与えになりました。こうして、天上のもの、地上のもの、地下のものがすべて、イエスの御名にひざまずき、すべての舌が、「イエス・キリストは主である」と公に宣べて、父である神をたたえるのです。」
イエス様は、苦難を通して、しかも十字架の死を通して、神の栄光をあらわされました。私たちも、このイエス様の苦難を共に担うことによって、神様の栄光をあらわし、光り輝くことが出来るのです。
今回、東北ケズィック・コンベンションには、外国人講師のエイメス先生ご夫妻が来てくださいました。参加された方は、ご存じだと思いますが、奥さんのエリザベス・エイメス先生は、こちらにこられる直前に、乳ガンの手術をされました。日本に来るのは無理だと言われていましたが、日本を愛し、日本のために無理を押して来てくださったのです。
そして、御用を終えられて、数日後から放射線治療が始まるそうです。ぜひ、先生の癒しのためにお祈りください。
そのご主人のR・エイメス先生が、先生の牧会しておられる教会のひとりの姉妹の話しをしてくださいました。
その姉妹は、関節炎にかかり、関節のいたるところが痛みます。だんだん腰が曲がり、堪えられないような痛みが、毎日襲ってくるそうです。
それでも、礼拝には休まずに毎週来られているそうです。エイメス先生が、礼拝が終わった後、彼女のところに行き、「今週はどのような一週間でしたか。」と聞くと「痛みがあって、辛く苦しい一週間でした。」と答えました。
ところが、その後彼女の顔が輝いてこうおっしゃったそうです。
「主が素晴らしいお方です。私が苦しい時、私が悩んでどうしようもなかった時、主は私と共に苦しんでくださり、わたしと一緒に悩んでくださったのです。ですから、私は幸せです。」
イエス様は、この世で、栄光の道を歩まれずに、苦難の道を歩み、十字架にかかって救いの道を開いてくださいました。
私たちも、全てをお献げして、このイエス様と共に苦難を担って、神様の栄光をあらわす者とさせていただきましょう。
十字架で苦しまれたイエス様は、私たちと共に苦しみ、私たちと一緒に悩んでくださるお方です。
今日は、私たちが光り輝くクリスチャンとなるために、3つのことをお話ししました。
(1)イエス様を心の中にお迎えすること
(2)イエス様の御声に聞き従うこと
(3)イエス様の苦難を共に担うこと
イエス様を心の王座にお迎えし、主の御声に聞き従い、イエス様の御足跡に従いながら、イエス様に似たものとさせていただきましょう。
イエス様が、この変貌山で光り輝かれたように、私たちも光り輝いて神様の御栄光をあらわす者とさせていただきましょう。
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