昨年12月30日から1月3日まで、私と恵美先生・恵衣ちゃん・詩音と淀橋教会の松本麻耶ちゃん・陽の6人で、本当は7人で行くはずだったのですが、北海道・愛隣チャペルで行われた「くるくるメビック体験セミナー」に参加してまいりました。
今回の体験で一番印象的だったのは、何といっても…みんなバタバタと倒れていったということでした。
12月29日、出発の前日のことです。
恵衣ちゃんが39度の熱を出したと聞き、ホサナの祈り会で「みんなで行けるように」と岡先生、聖志、詩音と共に祈りました。
しかし出発の朝、迎えに来てくれた車に乗っていた人数は一人欠けていました。
「やはり恵衣ちゃんは来られなかったか」
とガッカリした私の目に、マスク姿の恵衣ちゃんが映ったのです。
「あれ?」と思った私に「聖志が39度の熱を出した」と岡先生。
前日までピンピンしていて、
「恵衣ちゃんが癒されるように祈りましょう」
と率先して祈っていた聖志がまたしても風邪を引いてしまったのです。
私は教師として失格なのですが、その瞬間、残念な気持ちよりもつい笑ってしまいました。
これで、また一つ笑い話が増えたと思いつつ参加したくるくる最初の晩御飯中に、恵美先生が深刻な顔をして私の所に来ました。
「何かやらかしたか…」
と緊張をする私に、恵美先生は
「胃薬持ってない?」
と顔をしかめながら言ってきました。
前々からお腹が痛いのは知っていたのですが、よりによって恵美先生がイエス様の次に大好きなご飯タイムに、しかも滅多に食べることの出来ない“鹿肉しゃぶしゃぶ”だというのに胃が痛くて食べられないなんて…、
私はまたしても笑ってしまいました。
恵衣ちゃんはやはり体調が万全ではなかったのか、終始寝込んでいました。
でも食欲はあったようです。
最終日の朝、氷点下の空の下でソーダかけをしたのですが、「あとは帰るだけだからいいや!」と、恵衣ちゃんにソーダを思いっきりかけました。
…その後、恵衣ちゃんがインフルエンザになりました。悔い改めます。
詩音は1月2日の主日の礼拝中に頭痛と吐き気を訴えたので寝かせました。
詩音が癒されるように祈りましたが、言平先生のメッセージが面白くて詩音のための祈りは一時中断して現在に至っています。
何はともあれこうして今はみんな霊的にも身体的にも元気でいられるのは感謝なことです。
私は男ですのでどうしてもひいきになってしまうのですが、今回の体験で一番恵まれたのは詩音だと思います。
喜んで賛美する、真剣に祈る、率先して奉仕をする詩音の姿を見て、遠くに行ってしまった拓君の代わりに兄のような気分で喜びを噛みしめています。
詩音の証しで本人の口から語られるとは思いますが、彼はメッセージのノートを取ると神様の前で告白しました。
メッセージ中寝ていたら小突いてあげていただきたいのですが、
メッセージのノートを取るということは、神様の言葉を聞き逃したくないという行為の表れだと思っています。
また、辛いとき・くじけそうなときにノートを見て神様の言葉を反芻する、日々の生活の中で神様と共に生きていくということでもあると私は考えています。
詩音がそんなことを考えていたかどうかは分かりませんが、心の底から神様を礼拝したいという信仰心を詩音の中に見ました。
また、体験に行けなかった聖志はさぞかし落ち込んでいるだろうと思っていましたが、私たちが体験中に歌っていた賛美を何故か聖志も口ずさみ、私たちと同じように信仰も燃えていました。
「まさか本当に魂だけ参加していたのか!」
と驚きましたが、愛隣チャペルのホームページで逐一動画をチェックしたそうです。
その執念にちょっと怖いものを感じましたが、たとえ行けなくても信仰を成長させてくださる神様は素晴らしいと改めて思いました。
メビックセミナーのたびにサタン(聖志は神様からの贈り物・ゴッドウイルスだと言います)にやられる聖志ですが、信仰と精神はたくましく成長していています。
恵美先生は、胃痛で美味しいものが食べられないというのに自分のことは二の次にして、具合の悪い恵衣ちゃんのために祈っていました。
「ただ恵衣ちゃんが恵まれて欲しい」という教師の愛です。
その具合の悪い恵衣ちゃんは、万全ではない体調を押してでも「くるくるに行きたい。恵みをもらいたい」というイエス様を求める信仰を感じました。
当の私はと言うと、信仰の原点に気付くことができました。
みなさんご存知かと思いますが、私は一昨年まで東京に住んでおり、その間はイエス様を遠ざける生活をしていました。
それなのに、どうしてイエス様を信じることが出来たのか、私も言葉にすることが出来なかったのです。
神様はなぜ親子関係というものを作ったのでしょう。
それは、天の父である神様の愛が素直に分かるように、父母が無条件に子を愛す姿に例えていると言います。
二年前まで自分の力だけで成功できると信じ、ろくに帰らずフラフラと生活していた私の「お金貸してください」という突然の電話。
「オレオレ詐欺」と間違われてもしょうがないのに、両親は無条件で私を助けてくれました。
イエス様が大嫌いだった私はそんな親の愛を知り、好美先生との祈りの中で、私の罪のために死んで地獄に行ってくださったイエス様の愛に気付き、大好きになることが出来たのです。
今回、私が信仰に立ち返るきっかけを言葉にできるようになったことが一番の感謝です。
また、恵みばかりでなく、決意させられることもたくさんありました。
まず一つは、中高生たちに伝えなければならないということです。
くるくるの初日、バスの中で中高生の男たちは「ハリーポッター」の呪文を一生懸命唱えていました。
山哲平先生の前で魔法を唱えるその度胸をお友達伝道のときにも見せて欲しいなと思います。
彼らは何が良くて何が悪いのか知らないのです。
「ハリーポッター」ぐらいと思われるかもしれません。
しかし、何でも吸収してしまう中高生はその「ぐらい」から罪の坂を転がり落ちていくのです。
私も学生の頃はアリ地獄のような罪の深みにはまっていきました。
結果、その後のくだらない、罪にまみれた7年間を歩んでしまうのです。
今の中高生に私と同じ道を絶対に歩んで欲しくありません。
そのためには何をすればいいのでしょうか。
伝えなくてはいけません。
イエス様の愛はもちろん、何が良くて何が悪いのかを。
これを言ったら教会に来なくなるかもしれないという恐怖はあります。
でも祈って祈って、それでも彼らのために伝えなさいと示されたら勇気を持って声にしましょう。
必ず思いは伝わるはずです。
人間的な優しさを考えたら、言わない方が良いでしょう。自分も相手も傷つきません。
しかし人間の優しさと神様の優しさは違います。
これが教えられた二つ目です。
神様は愛のお方ですが、同時に畏れるべきお方です。
私は昨年の4月からホサナの教師を始めました。
人間の優しさを優先してしまい、お友だちに神様の愛を伝えるチャンスを何度も逃してしまいました。
「このお友だちは、まだホサナに来るようになって日が浅いから、今神様の救いを話しても引いてしまう。もっと続けて来るようになってからにしよう」。
そのお友だちは次の週から来ませんでした。
神様の計画は計り知れないので、そのお友だちがこれから先どうなるか私には分かりません。
しかし、神様がお友だちを導いてくださり、私を用いようとしているのに、私の勝手な判断で神様の優しさを潰してしまいました。
そのお友だちはそのまま地獄に行くかもしれません。
列王記下5章3節
『少女は女主人に言った。「御主人様がサマリアの預言者のところにおいでになれば、その重い皮膚病をいやしてもらえるでしょうに。」』
女主人の奴隷だった少女は、しもべの分際で主人に口を聞けば殺されていたかもしれません。
しかし彼女は恐れずに進言しました。
それは神様にこそ真の救いがあると知っていたからです。
私たちも先に救われた者として、人間的な優しさを捨てて、本当に大切なことを恐れずに伝えていきましょう。
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